prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

紀里谷和明と宇多田ヒカルの離婚

f:id:youtalkingtome:20160829204213j:image

 

結論から言うと、紀里谷和明宇多田ヒカルは互いに「運命の相手」だったと思う。

だから、現在の結果に、世俗的な私としては、とてもかなしく思う。

でも、当人たちはある意味、「大成功」であったと思っているに違いない。

いや、紀里谷は、か。

 

宇多田ヒカルは、誰かが救えるようなタマじゃない。

私は、宇多田ヒカルの力強く、(ナチュラルに)孤高に生きようとする歌詞に共感する。

 

ああいう「孤独の天才」を、男たちはどう救えばいいのだろうか。

正直、救えないと思うんだよね、「真面目な」男たちには。

イタリア人と結婚したけど、その人はたぶんそういうのを押し付けないのだろうね。

 

宇多田ヒカルは寂しさや、孤独みたいなものを感じてはいる。

でも、変だけど、そのままでいいのよね。

ある種、“病気”だから。

 

真面目な男が救うべき対象じゃない。

 

彼女は、やっぱり孤独を感じていない。

彼女自身が「孤独」そのものだからだ。

でも男側から見ると、女神に見えるから困ったものだ。

 

イタリアの人は「日本人的」ではないと思う。

実際は、宇多田ヒカルはどこか日本的なのよね、彼女の基本システムは外国人だけれど。

だからこそ、結婚相手のイタリア人に救われているんだろうと思う(紀里谷の救い方とはかなり違う)。


そして、イタリア人の前での宇多田ヒカルは本当の宇多田ヒカルではない、と紀里谷は考えているはずだ。
問題は、宇多田ヒカル自身、本当の自分がなんなのかを知らないことだ。

 

ある意味では、紀里谷が見たのは、彼が思い願った宇多田ヒカルで、そしてそれは虚像なのかもしれない。

「孤独の像」

真面目な男には、そう見えてしまうと思う。

 

矛盾するかもしれないけれど、惹かれるってことはある意味、運命の相手じゃないんだよね。

とても難しいのだけれども、だったら会わないままの方が「美しい」。

ただ会わずにはいられないよね、そんな人を見つけたら。

でも、その先なんてわからない。

(片方が協力しないようなら、無理なのかな)

 

「恋する」瞬間に、本当の自分があらわれるとして、紀里谷和明は「情が深く優しい女」に、宇多田ヒカルは「解放され自分らしく強く孤独な男」になった。

だから、それはある意味では、幻想的でハッピーで、「最高の恋」なんだと思う。

 

結婚とか離婚とかいう制度の上に二人の関係はない。

 

※敬称略

※追加 イタリアの人とは離婚したみたいですね。2019.2.15.

 

2016.8.29. 秋