prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

2017-01-01から1年間の記事一覧

この場で一番の「弱者」は誰か。

単に立場的に弱いものを弱者と認めない。頑張っている(行動の伴っている)弱者をこそ、弱者とする。その上で、弱者とされるもの、「小さくされたもの」を助けたい、というとおこがましいが、その人に連帯したい。 弱者の声に耳を傾けたい。 この場で一番の…

「お金を稼ぐ」

現代社会で生きている以上、私たちは分業で支えあっている。お金を稼ぐのは、他人の力を借りるため。 生きていくために他人の力を借りたければ、自分も他人の力になれるようなことをする。お金を稼ぐというのは、価値を集めるということ。 その価値を裏付け…

私の叫び 77

単純にすべてを懸けたい、と思える相手を見つけられるかどうか、だ。そう思える決め手は、その人にとって顔かもしれない。でも、いまの私にとってはそれが顔じゃないのかもしれないと思っている。もちろん、とんだブスとは付き合えない。しかし、本当に熱意…

私の叫び 76

‪自分はまだまだ優しくない。もっともっと優しくなれる。たとえば、サイヤ人の ––––力があり過ぎてコップを持つと割ってしまう ––––アレ。そう、サイヤ人は優しくない。強さとは優しさ。“本当に”ドアを静かにゆっくりと開けたり閉めたりすることができる人は…

私の叫び 75

‪どこか遠くへ行ってお土産を買ってきたとして、たとえばそれがそこの名産品ではなく、どこでも買えるようなものだったとしても、それをちゃんとそこの名産品として買ってきたと思える送り手と受け手があってはじめてそれが「そこのお土産」になるのではない…

Hの祖母が最期に読んだ本『数学する身体』

友人の名はH。 国立大学を卒業した麻酔科の医師。研修もあけ、とりあえずの専門を麻酔科にしたらしい。 私の十年来の友人だ。 90にもなる祖母が入院しているということで、Hが見舞いに行った際、私が勧めた書籍をちょうど持っていると、祖母が「見せてみな」…

私の叫び vol.74

‪流行服という「制服」を着る人は好きじゃないと言う人がいる。だからといって、この世に出回っている洋服のうちにどれ程「制服」でない服があると言うのだろうか。ある意味では、そんなものはない。「私は私の好きな服を着る」と言って、私たちは誰もがみん…