prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

何番がお好き? vol.52

f:id:youtalkingtome:20150515123400j:image

  1. 人間は同時に二匹以上の蛙を食べると死んでしまう。

  2. 私はね、どんなに素晴らしい愛が全く分かり合えない様な人間とすれ違いながらも互いに分かり合おうと「努力」することによって成り立つものだとしても、仮にそれをこそ愛と呼ぶのだとしても、私はそんなの耐えられないし、要らない。私はロジックの整合性なんかの話をしているわけではない。その人が、何でもいいのだけど貫き通していて、私がその人のことを気に入れば側にいて長く話すことでしょう。でも何も貫かず、更には社会通念や一般常識とされるものを盾にする人間とは人間関係を結ばない、その関係を築く上で建設的でないからだ。もしかすると私はロジックの話をしているのかもしれない。

  3. 【タイマン真っ向勝負】表と裏の会話を並行させながらユーモア的毒物や殺人的果物をプレゼントし合うの。互いが互いの領土を侵犯するの。それでそっくりそのまま対象と入れ替わるの。私たちの求める《戦争》や愛というのはそういうものでしょう。

  4. 噓のない、いや噓が通じない、というか噓みたいなものは存在しない世界に私はいたい。相手も私も互いの視線だけで考えの奥深くまでわかってしまう。だから噓をつくことが一つのユーモアにしかならない世界になる。そこには噓も本当もない。ただ全てが良くも悪くも在る世界。そこにいたら私は幸せなの。そこでは会話をする必要がない。全ては筒抜けだからだ。だからもう沈黙しか会話にならなくなる。言葉を発することがどれ程馬鹿らしいことか互いによく知っている。そういう関係にまで達した後に私たちはやっと会話をするの。「今日は天気がいいね」と。それは既に一般的な挨拶的天気の話ではないのだ。どれ程酷く醜く差別的な言葉を発せども「愛してる」「好き」という意味にしかならない。要するに詰んでいるのよ。八方塞がりなの。もう黙るしかないのよ。そういう経験をしたことがある?外で本当に会話をし尽くした人間にしか、あるいは自分との対話をみっちりやった人間にしかできない芸当なのよ。

  5. 私は連敗記録を積み上げて生きている。

  6. 視線だけで自分がどんな欲望を持っているかわかられてしまう様な世界に私たちは生きているのよ。本当に自分のことを理解してほしいのなら先ずは目を瞑って自分自身と本気で対話をするべきなのよ。

  7. 誰も私のダブルミーニングな言葉に、暗に意味することを発しているのに気付かない。でも私は気付いている、誰かがそのことに気付いていて、気付いているにも拘らずただ目視していることを。そういう立場や状況で動けないのかもしれない。ならば私はそれを尊重する。私はいつだって私の旗を振るだけ。

  8. 偶然性を認めないという考え方、私は大好です。表現者が作品に対して先ず持ってもらいたい意識の一つですね。偶然なんてあってもらっては困るのよ、そんなのその人が気付けるか気付けないかの差よ。勘違いしまくれば全てが偶然なのよ。私たちの目の前で起こっている事象というものに他者と差はない。

  9. 私は昔から地震が怖かった。私が幼い頃、父は季節の変わり目には必ず地震がある、と言った。私はそれで季節の変わり目の地震だけは怖くなくなった。しかし不思議なことに季節の変わり目でない地震なんてものは存在しなかった。季節の変わり目なんてものの定義は大変に曖昧だからだ。

  10. 性を感じさせないとの評価を頂いたのだがそれはとんでもない勘違いだ。どんな文脈で私を理解しているのだろうか。偶像を見られていても困る。私は中性では決してない。私は両極端に男性であり女性である。男と女を行ったり来たりして私のポジションを保っている。男になると女を抱き女になると男に抱かれる。比喩です。

  11. 私はある意味では科学者で、仮定を掲げてから身をもってそれを証明するの。そうしてきたのよ。

  12. 言葉は愛で、愛は唯一理性的なものだ。

  13. 何だかを創作するという行為は性別を失くす結果を生む。

  14. 恋愛の域から出ていない言葉というのは魅力的でない。宇多田ヒカルはインタビュアーに恋愛の歌ですか、と散々聞かれてきた。だけど宇多田ヒカルは答える、人生の歌だと。宇多田ヒカルの作品は表面的には恋愛の歌の様に思われるかもしれない。でもそれは間違いだ。恋愛要素の含まれる人生の歌なんだ。

  15. 私は自分が選択して行ったことに何の後悔もしない。昨日観に行った舞台がとんでもなくつまらないものだったとしてもだ。私は楽しみにして観に行った。ただ結果つまらなかった。例えば何処かの世界で観に行かない私がいたら最高にいい舞台だと思い続けていただろう。私は悲しみと無なら悲しみを選ぶ。

  16. 私のこのエネルギーは一人の人を愛す為だけにある。

  17. イルカが大きくなればクジラだというのと同じで、そうめんの延長線上にはうどんがある。

  18. 例えば男と女がいて、男がその女のことを嫌いで憎んでいて相当酷いことをし続けるの。誰が見ても男はその女のこと嫌いなの。女もそれがわかるの。でも腐れ縁みたいな感じで二人は近くにずっといるのね。それで男が死ぬ時に、「君のことが好きなんだ」と言うと、女は「知っているわよ」と言うの。

  19. ダンスって究極は歩き方でしょう。

  20. ダンスというのは個人競技か団体競技かで言えば私は恐らく前者だと思うのよ。だからそれに反するダンスを私は認めない。それを例えば後者だとするのなら共産主義国の軍人の行進こそがそれだ。それをダンスだと言うのなら、ね。

  21. 私の芸術で言えば、身体表現をするのなら身体表現をする前には必ず哲学者でいなくてはならないのよ。

  22. 私は文字に起こしていない人たちの世界って信じられないんだと思う。右脳にだけ頼っている感じがして根拠や証拠やソースや裏がないのよ。それを人間の創作物として私はとっても悲しく思うよ。

  23. 芸術というのは本物に限りなく近い偽物のことだから。噓をリアルにするという様なとこなのよね。でも、菅原小春のダンスはそういうのに向いていない。私はけなしていない。むしろ凄いんだ。過去や未来でなく今、月でなく太陽、噓でなく本当、理論でなく感情、しかも全てがハッピー、それで踊っている。

  24. 人間としてその人のできる範囲でいいから整合性、無矛盾性をもたせていること。そして自分のわからない範囲のことについてはわからないと言えること。それだけが私の評価対象だ。

  25. 人が何に怒ったのかを完璧に理解する前に謝れる精神が私にはわからない。事態を完璧に飲み込む以前というのは私の中では私に一切落ち度がないからだ。私は私の責任のもと全ての行動を決定している。一つ一つの行動に根拠がある。だから単に相手が怒っているからという理由だけでは、私は謝らない。

  26. 私が鳥獣戯画マグリット若冲と蕪村、単位展、レオナール・フジタに行かないのは、そこまで欲していないんだと思う。だって私は演劇なんぞそこまで積極的に観に行かない人間なのに、私はこうして死んでもこの目で見たいと思う人間が出る舞台ならホール前で当日券を買う為に何時間も前から並ぶのよ。

  27. 私はご存知の様にどんなに美味しいお店だとしても並んで飲食店には入らない。それが旅行先の必ずそこに行ったのなら入らなければならないとする場所だとしても並ぶのなら私はコンビニエンスストアでおにぎりとお茶を買って歩きながら食事を取る。並ぶのって馬鹿のすることよ。イタリアじゃ並ばない。

  28. 単に単純で素直な人というのは私たちにとって悪でしかない。

  29. 女の声なんてのは、ハスキーであればある程、枯れていれば枯れている程、低ければ低い程いい。

  30. 私は他者のどんなSOSをも見逃したくない。でも私が救うに値する人間しか助けない。努力をしない者には手を差し伸べない。全て手を尽くしてもなお解決できないことがあってSOSサインを私に出すのなら-私でよければ-最大限手を貸させて頂きます。

  31. ニュートラルみたいな単語は、その前にも後にもどんな修飾語をも必要としない。ニュートラルという単語そのもので完全完璧であるからだ。

  32. 究極に偏るか、ニュートラルでいるかのどちらかよ。但し、偏る場合はその偏り方を自身で他者に説明できなくてはならないと思うわ、そういう説明責任は伴うと思うのよ。だからニュートラルが一番最強なのよね、説明責任が伴わないから。でも私は感情剥き出しでいたい、ニュートラルでなんかいたくない。

  33. 私は右脳よりも左脳を取るの。人間だから。でもだからって右脳のことを馬鹿にしていないし、究極は右脳のやることだと思っている。でもね、私は人間だから、だから左脳で右脳のやることをしたいの。それが私の言う「完全を経た不完全」なの。直感が全ては経験から成り立つということと一緒。

  34. 他者に絶望され見離されると恐怖を感じ何事にも手がつかなくなる者よ。では何故その他者に自ら発言などできよう。皆目見当がつかない。それが恐ろしいのなら他者の前では微動だにしてはならない、発言をするだなんて言語道断。極端に言えば、呼吸すらしてはならない。その者の前であなたは死ぬのよ。

  35. こうしっくりぴったり来ないというのが本当はしっくりぴったり来ているってことなのよね。
--~--~~--~-~~--~--~--~~--~-~~--~--~--~~--~-
何でもご依頼受けます。
@ 秋人間