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私が関わった人間は全て私の作品である

Hの祖母が最期に読んだ本『数学する身体』

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友人の名はH。

国立大学を卒業した麻酔科の医師。研修もあけ、とりあえずの専門を麻酔科にしたらしい。

私の十年来の友人だ。

 

90にもなる祖母が入院しているということで、Hが見舞いに行った際、私が勧めた書籍をちょうど持っていると、祖母が「見せてみな」と、その本をパラパラと読み始め、ついには最後まで読んでしまったという。

 

本の名は、『数学する身体』。

昨年、小林秀雄賞を受賞した作品だ。

最近、私が大ハマりしている森田真生さんの著作。

彼は、文系で東大に入り、異色の数学家・岡潔(1901-1978)のエッセイを読み、インスパイアされ、数学科に転部した。現在は、岡潔同様、独立して(なんの組織にも属さず)数学を勉強している。

 

そんな森田さんの著者『数学する身体』をパラパラと読み始めたHの祖母は、当時の女性では珍しく、かつては物理学を専攻していたインテリだったという。

そのことをHは後に知るのだが。

 

「いやー、これは面白いね。なんで、これを買おうと思ったの?」と聞かれ、「友達に紹介されて」とHが答えると、「ちゃんと読みなさい』と言ったという。

その目は、真剣だった。

Hは、初めて祖母を怖く感じたという。

 

その後、残念なことに、Hの祖母は亡くなった。

あの本は、祖母が最期に読んだ本だったに違いない、とHは言う。

 

 

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2017.3.2.
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私の叫び vol.74

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  1. ‪流行服という「制服」を着る人は好きじゃないと言う人がいる。だからといって、この世に出回っている洋服のうちにどれ程「制服」でない服があると言うのだろうか。ある意味では、そんなものはない。「私は私の好きな服を着る」と言って、私たちは誰もがみんなと同じ「服」を着ている。個性なんてものはハナからない。‬
  2. ‪日本の茶道にしろ、武道にしろ、自分が何者であるか、なんのために在るのかを突き詰めて考えるために、とまでは言えないかもしれないが、自分が今どんな状態なのかを探るツールのように思える。それは、その人にとって茶や武道でなくとも、キリスト教だとしてもいいんだと思う。私は、結局、「私自身」にかえってくるものが好き。‬
  3. 本当は病気なの。とっても苦しい、呼吸がままならないの。だからいつも透明な酸素ボンベを背負って生きていた。でもそれをずっと隠してきた。でも、あなたはどうしてそれに気付いたの? 目の前の男は答える。「君が僕と同じものを背負っていたからだよ、昨日君の横を通り過ぎる時ボンベ同士が擦れる音を耳にしたんだ」
  4. 麻布には米軍がいる。
  5. ‪私は言葉を“適当に”使う。だから、みんな私の言っていることを真正面から捉えて私を悪くイメージングする傾向にある。もちろん、自分のせいだ。でも私は、ただ試しているだけ。そんなものモノともせず信じてくれる人を見つけるために。どんなにふざけたことを言っていても、私という本質はブレない。‬
  6. 少なくとも私は全面的に信頼されていないと何も力を発揮できないから、仮に相手が私を疑うのなら、それは結果的にあなた自身を苦しめるだけなんです。
  7. 誰にも信頼されていないと思える時、私のことを信頼してくれているだろう人と話したくなる。たった5分でも普段通りの掛け合いをすれば、私の気は充電されるだろう。相手が私を“実際に”信頼してくれているかどうかは二の次。私がそう思えればいい。結局、相手のことなんてわからない。
  8. 信頼できる相手というのはある意味、私だ。相手のことなんか一切気にせず自分の話だけをしても成り立つような、そこに相手なんかいなくとも構わないような、鏡のような存在。要するに、私は私と会話をして落ち着いているんだ。本当に他者なんかと会話をしようとしたら、大変なことだろうな。
  9. ‪自分とただ似ているということだけでなく、私みたいと思えるようなものでもなく、こう私と同じと意識しなくとも、自然に、普通にいれるってこと。それが私が私と会話をする瞬間。少しでも摩擦があるから、客観性を帯びる。摩擦なんかない、摩擦という概念すら湧かない、そんな状況。それが「私」なの。‬
  10. 真剣勝負の場合はそうでしょう。しかし、多くが真剣勝負を望んでいない。となると、それもまた自分と相手の世界観の違いなのだろう。真剣勝負ができる場合以外は、相手の世界観と自分のそれがパラレルワールドで。真剣勝負の場合、どちらかに屈することになるのか。全く同じ世界観なのなら問題ないのか。
  11. 正義を押し付けることこそ、正義に反する。人それぞれ違う。だから、結局はそれぞれの世界観を認めることしかできない。真剣勝負を望むほうがこの世界では馬鹿げている。となると、無関心でいる他ないのか。あるいは策があるとしたら、自分の正義を世界中の誰もが羨ましがるものにしなくてはならない。結局、全員、自分にしてしまうということ。
  12. ‪人間の身体感覚や視覚による認識の仕方はおもしろい。隣に小学生がいるだけで、いつも見ている景色が突然まったく違った風景に見える、「トリップ」してしまう。‬
  13. イエス・キリストは本当にみっともない死に方をした。しかし、キリストがいちばん無力な形で死んでいく、その死に様を見て、ユダヤ人や弟子たちですら気づかなかったことをローマの百人隊長は気づく。「この人は本当に神の子だった」と。多くが「救い主だろう、自分で十字架から降りてみろ」と言う中。‬
  14. ‪私は言語化することが苦手だ。19歳から下手くそな文章を書きに書きまくっているのもそれが原因なのかもしれない。どれほど書いても、自分の頭の中で描いているものとの差は埋まらない。ずっとそのギャップに苦しんできた。ふるふるした、とか魂が共鳴するような、という曖昧な表現でしか表せない。‬
  15. 中村うさぎマツコ・デラックスの通じ合い方は私が理想とするものなのかもしれない。なぜ、表現をするのかというと、誰かと繋がりたいからだ。依存できる対象に飢えているからだ。心がふるふるとするような、魂が共鳴するようなコミュニケーションが取れる相手と話せたら、自然と泣けてしまうものだろう。
  16. ‪大人になったと思えるのは、ある問題に対して、それが完全な正解だとは言えないと考えているからだ。気持ちいいことがただただ「正義」だとは思わない。‬
  17. 本当に本人が言うように他人様にお見せするのも憚られるようなブサイクなら写真をSNSで公開するなんてことはできないはずだ。私の思う日本人の心を持っているのなら本当にブスでごめんなさいと思い、そういうステージでは何の「チャレンジ」もせず生きるしかないと思う。それが日本人じゃないのか。
  18. 誰をも好きになれるけど、誰でも愛せるわけじゃない。興味は愛へのきっかけに過ぎない。
  19. 自分のことをちゃんと知ってもらっていると感じられる人がいることに、私は「震える」。
  20. それは、相手を知るために質問し続けて「わかる」というものでもやはりないのかもしれない。それはもう初めから運命のように決まっていたみたいにわかるものだ。
  21. 暴言を吐かれ殴られた人が「お怪我はないですか?」と相手に言う。こういうものに私は「震える」。本当の勇気と優しさがあると思える。しかも、自分が暴言を吐かれ殴られたことをちゃんとわかっている人にそれをやってほしい。ブッダじゃダメなの。そういう人間になりたいんだろう、最高峰の人間になりたい。

 

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私の叫び vol.73

 

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  1. 「斜視はエロい」という価値観を持った人を私は全面的に信じています。
  2.  
  3. 恋なんてどうせ対象への強烈な興味でしかないでしょう。
  4.  
  5. 今までの私では通じない。そうなったときに私は、ありきたりですが、自分を変えなくてはならないことに気づきました。意識を変える。すべてのものに対して敬意を持つ。それぞれには歴史がある。それに対するリスペクトなくして、「私」を納得させることなどできないのだろう、と思う。
  6.  
  7. 実際に優しいのではなく、優しいと感じさせるってことが大切。
  8.  
  9. 自分が嫌われないように(好かれるように)相手に気を遣うことと、相手が本当に欲しているものを理解し、取捨選択をした上で相手のために行動することは全然違う。私は後者を考えていなかった。そんな概念すらなかった。ひとりよがりだった。相手を馬鹿にしていてもいい、ただ何が欲しいのかは理解しておかなくてはならない。実践。
  10.  
  11. 電車に乗った。私以外の全員、仮面を被っている。 「なんて、態度の悪い奴らなんだ」。電車を降りる時、目の前に鏡があった。仮面を被っていたのは、私だった。
  12.  
  13. 敏感に感じるのは、自分自身がその部分を必要以上に低く評価しているからだ。
  14.  
  15. 「学ぶ」というのと「救われる」というのはとても似ている。
  16.  
  17. 「私のやりたいことは、より多くの人に新たな価値観や視点を紹介し、考え方、生き方の選択肢を一つでも多く提供することです。人間は選択肢が多いほど幸せになれると考えられるからです」
  18.  
  19. 痛みを知る人。そういう人がやっぱり好き。痛みを知っているということはね、物理的な、もしくは精神的な痛みを経験しているってこと。あるいは天才がいるとしたら、そんなことを経験しなくてもわかる人なのかもしれない。痛みの程度の差はあれど、1経験して、それを5にも10にも想像して感じられる人は痛みを知る人だ。叩かれる痛みや無視される痛みを恐らく誰もが一度は感じたことがあると思う。私はその痛みを「嫌だ」と思う。究極的には、愛する人に殺されることを厭わないとしても、とりあえずベースはこれだ。怒る必要なんてない、殴る必要なんてない。本当に殴ったり殺したりするのは、最終兵器の「愛」だ。外的なもので、必要な痛みなんてものは存在しないと思う。たとえば条件次第で、相手の優しさが自分の痛みになることもよくあるわよね。そういうので十分じゃない? 私は常に「傷」を負っている。だから敢えて、趣味で、自己満足で他人を痛めつけるなんて、下品な行為だと思う。
  20.  
  21. 目に見える地震のような被害に遭った人たちよりももっともっと救わなきゃならない人たちっているのに、みんなそこはノータッチなのよね。私は目に見えるものだけを信じない。目に見えるものは大切だ。私も大事にしている。だけど、目に見える世界の上でだけ生きている人に興味がない。
  22.  
  23. 感情は論理や理性の果てにやっと在る。
  24.  
  25. 地位も名誉も金もないけど、愛だけはある。
  26.  
  27. 私が知る限り、優しい人ってほとんどいない。表層的な優しさじゃない、愛があるからこそ相手のためを思って何かを言える、とかでもない。みんなそれらを勘違いしている。もうスピリチュアルなこと言い始めているのはわかっている。だけどね、本当に優しいってのは、優しい人間にしかわからないのよ。
  28.  
  29. 優しいって性格ではない。性質、生まれ持ったものなのよ。それがない相手には、私は私を明け渡せない。その上、「こじらせ」だけど、理性的な優しさってものも兼ね備えて、いつでも出せるようにできる人じゃないとダメなの。だから、その人の優しさは、噓か本当かわからない様になる。それを、それをこそ私は欲しいの。
  30.  
  31. 辛いこともある。自分が悪くないのに悪者にされて、この日本では、会社では空気やノリで「悪者」のレッテルを簡単に貼られてしまうことがよくある。私はそういうのが絶対に嫌だから気を抜かずに生きてきた。しかし、会社や業界の、社会人としてのセオリーを“知らない”私は突如、「弱者」になる。だから反旗を翻す。
  32.  
  33. 普段なら相当にサブく感じたことであろう。しかし、条件や環境が整った瞬間、それは魔法の言葉へと変わる。それは私の前で、キラキラしていた。唯一信頼する上司は帰り際、私の左肩(正確には左腕)を叩き、言った。「あんまりマジになんなよ」。咄嗟に出たのは「ありがとうございます」だった。
  34.  
  35. 刀を抜かないのは、怖いからではない。無益な殺生をしたくないからだ。少し我慢したら収まる問題なら刀を抜く必要はない。本当に(刀を)抜く時ってのは、悪意で自分の自尊心を傷つけられた時だ。私たちは「平和」を愛している。刀を一生抜かないことが武士の願い。でも望むなら、いつでも血みどろの戦闘もやってやんよ。
  36.  
  37. 砂丘を「彼氏」と読んだ。
  38.  
  39. 友人が「マリファナ一緒にやらない?」と言う。私は「(それ)やってんの、お前のお母さんに言えるのか」と聞くと、「言えるわけないじゃん」と返ってきた。私はその瞬間、そいつと「友達」をやめた。私はそいつのお母さんのことも知っている。お母さんに言えないことを、私に勧めるのね? カッコ悪い。ダサい。マリファナをやるのがダメだとは全く思わない。でも、お母さんにマリファナやります、と言えないやつがマリファナやって、どうすんの。中学生じゃないんだから。お母さんに言えるような、そうだな、シャボン玉やろう、とかならわかる。シャボン玉をマリファナにできないやつが、マリファナなんかやるな。カッコ悪い。クズめ。

 

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紀里谷和明と宇多田ヒカルの離婚

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結論から言うと、紀里谷和明宇多田ヒカルは互いに「運命の相手」だったと思う。

だから、現在の結果に、世俗的な私としては、とてもかなしく思う。

でも、当人たちはある意味、「大成功」であったと思っているに違いない。

いや、紀里谷は、か。

 

宇多田ヒカルは、誰かが救えるようなタマじゃない。

私は、宇多田ヒカルの力強く、(ナチュラルに)孤高に生きようとする歌詞に共感する。

 

ああいう「孤独の天才」を、男たちはどう救えばいいのだろうか。

正直、救えないと思うんだよね、「真面目な」男たちには。

イタリア人と結婚したけど、その人はたぶんそういうのを押し付けないのだろうね。

 

宇多田ヒカルは寂しさや、孤独みたいなものを感じてはいる。

でも、変だけど、そのままでいいのよね。

ある種、“病気”だから。

 

真面目な男が救うべき対象じゃない。

 

彼女は、やっぱり孤独を感じていない。

彼女自身が「孤独」そのものだからだ。

でも男側から見ると、女神に見えるから困ったものだ。

 

イタリアの人は「日本人的」ではないと思う。

実際は、宇多田ヒカルはどこか日本的なのよね、彼女の基本システムは外国人だけれど。

だからこそ、結婚相手のイタリア人に救われているんだろうと思う(紀里谷の救い方とはかなり違う)。


そして、イタリア人の前での宇多田ヒカルは本当の宇多田ヒカルではない、と紀里谷は考えているはずだ。
問題は、宇多田ヒカル自身、本当の自分がなんなのかを知らないことだ。

 

ある意味では、紀里谷が見たのは、彼が思い願った宇多田ヒカルで、そしてそれは虚像なのかもしれない。

「孤独の像」

真面目な男には、そう見えてしまうと思う。

 

矛盾するかもしれないけれど、惹かれるってことはある意味、運命の相手じゃないんだよね。

とても難しいのだけれども、だったら会わないままの方が「美しい」。

ただ会わずにはいられないよね、そんな人を見つけたら。

でも、その先なんてわからない。

(片方が協力しないようなら、無理なのかな)

 

「恋する」瞬間に、本当の自分があらわれるとして、紀里谷和明は「情が深く優しい女」に、宇多田ヒカルは「解放され自分らしく強く孤独な男」になった。

だから、それはある意味では、幻想的でハッピーで、「最高の恋」なんだと思う。

 

結婚とか離婚とかいう制度の上に二人の関係はない。

 

※敬称略

※追加 イタリアの人とは離婚したみたいですね。2019.2.15.

 

2016.8.29. 秋

『500日のサマー』レビュー

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ずいぶん前に観たので、うろ覚えなのだけれど、振り返ってみよう。

 

主人公・トムは「運命の恋」を信じていた。
対して、サマーは信じていなかった。


だけど、トムと別れてサマーは恋をする、運命的な恋を。
それはね、結局、トムがサマーに「運命」を感じさせたってことだと思う。


私は思う、素晴らしい映画だ、と。

 

100万回生きたねこ』(佐野洋子著)みたい。


トムの運命の相手は紛れもなく、サマーだった。

 

上のようなことを考えているときに、

この映画のレビューをめちゃくちゃ読んだ。

私としては、ガッカリだった。

なんでみんなわからないんだろう。


映画なんて感じ方も人それぞれでいいのだけれど、みんな、サマーは性悪女だ、みたいな評価で、かなしくなる。
それは全然見当違いだと思う。

 

契約

 

運命の相手なら相手に運命と感じさせてこそ。

サマーは運命を感じる、次の相手で。
それはやっぱり、主人公であるトムの功績だ。

 

トムにとって、オータムが何なのかは神のみぞ知る。

 

rkykのツイートの引用だが、

 

「つまりはトムはサマーの様に異性と付き合う女の人に出会ったことがなくて、サマーもトムの様に純粋に好きでいてくれる男の人に出会ったことがなかったということなんだろう」

ということだと思う。

 

2016.8.29. 

 

3度目の『500日のサマー』。

私があの映画に神様として出たとしたら、488日目にトムにこう言う。

 

「トム、なんでそんなに悲しそうな顔をしているんだい? 君の愛が伝わったんだよ。全然落ち込むことじゃない。君は、愛なんて信じない人に運命を教えてあげられたんだ」

 

2018.4.24.秋

 

私の叫び vol.72

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  1. 結局、その瞬間に「わかる」かどうかなので、感受性の問題になってくる。感じない人間には何も訪れない、と信じたい。私は、記憶や知識でなく、感受性に重きを置く。記憶なんてなくても、感受性があれば永遠に感じ続けられるからだ。それは刹那であり、永遠だ。
  2. 表面的な「失恋」でかなしいと思える人たちが結婚して子供を産んで、浮気して、それらがまるで人生の山や谷であったと死に際に病室で、家族や子供、孫に囲まれながら、自分の人生を反芻するんだろう。私はそんなのまっぴらなんだ。少しの噓もない世界なんて無理だけど、出だしから噓なのは耐えられない。
  3. たまに思うのだけれども、ある会に元恋人たちが全員揃ったとして、その人たちに初めて会うとする。私は誰と仲良くするのだろうか。その中で恋は生まれるのだろうか。
  4. モスバーガーが好き、にはマクドナルドが嫌い、が含まれている。
  5. 宇多田ヒカルは孤独を感じていない。彼女自身が「孤独」そのものだからだ。
  6. 私は韓国語を喋れるが、韓国人と韓国語を「よう話さん」。これまで私の接した人たちは差別的だったからだ。それでもほんの何人か、私が韓国語を披露した韓国人がいる。彼らは他の韓国人と違っていた。そこに「言語」という壁なんてものを作らなかった。だから、私は彼らに飛びっきり上手い韓国語を喋るのだ。
  7. あるのは事実ではなく、解釈。あるのはレベルではなく、方向性や趣味。
  8. 文字だけで人の心をほんの少しでも揺らすことができたら、生きている価値があると思える。
  9. 靴下なんて脱ぎ捨てて鞄の中に詰め込もう。
  10. この国で、日本人、と口にするのは大概外国人だ。
  11. お母さんはいい匂いがする。私にとっての私のお母さん。しかし、「お母さん」はいい匂いがしない。あなたのお母さんはいい匂いがしない。私のお母さんはいい匂いがする。お母さんはいい匂いがしない。
  12. 私に究極性なんてものがあれば、その究極性は、厳密に言えば究極ではない。それはどこまでいっても人間の感情に、欲望に、欲求に寄り添って、要するに地に足をつけて、やっと成り立つものだからだ。
  13. 私という外見は、私以外の多くのものから寄せられる視線によって、形づくられる。
  14. 「この世にあなたはあなたしかいない」の意味をちゃんと学校で教えて欲しかった。
  15. 運命だと思った人やものの次に現れるものが本当の「運命」の人やものだと昔から考えている。もっと言ってしまえば、誰だって運命の相手になり得る。「運命」にしたかったから、誰にだってそれを感じさせてあげればいいだけなんだ。となると、どうやって相手に「運命」を感じてもらうかが大事になってくる。
  16. いわゆる運命なら、努力をせずとも互いに感じるはずなんだ。まぁ、それこそが世間で言うところの運命であろう。理想的ではある。でも同時に私は、何事も主体性と覚悟ある選択によって掴むことができると信じている。あくまで受け身でなく、自らがそれを掴みにいくアクションが必要なのではないか。
  17. 一目でわかったの。だから無視した。
  18. そこに事象がある。事象を結果だとすると原因があると世の中ではされている。しかし、本来、人間一人ひとりには解釈しかないんだ。
  19. 常に矛盾を抱え、迷い続け、失敗し続ける人間にポテンシャルを感じる。今の自分や、自分のやっていること・言っていることを否定しない人にポテンシャルを感じない。
  20. 学生時代、満員電車に乗って汗だくになりながら出勤するサラリーマンをアホだな、と呟いた。すると、誰かに「一生懸命、家族のために頑張っているサラリーマンを馬鹿にしないで」と言われた。本当に好きで、本人がサラリーマンをやっているなら、いい。でも違うだろう。アホじゃん。外せよ、その既成概念!
  21. みんなね、本当に好きなことをやっている? 日本の教育ってのはね、「優秀なサラリーマン」を作るためのものなのよ。それでもあなたは家族のために、お金のために、自分のやりたくもない「仕事」(それは仕事ではなくて作業)をやるのよね。それで構わないのならいいわよ。一生奴隷として生きなさい。
  22. やっぱり世界は、すべてが予め決まっているのではなく、個人が主体的に問題と関わり、自ら何を欲し得たいのかを意識することにより、思い通りの人生を歩んでいける。だから、決して世界は神や、宇宙の法則に縛られていない。それさえも予定通りだったとしても。私たち人間には、確かに選ぶ自由がある。
  23. 消えてなくなりたい夜も
  24. 月のせいにはできずに
  25. 夜道には人がいない
  26. 無機物だけが呼応する
  27. 白線と黒線の間に
  28. 私とあなたの影
  29. 夏の夜
  30. 冬の予感
  31. 大雨が降ればもう少し楽なのに
  32. 自分で課したルールをがっちり守ってきたからこそ、ここに至った。まずはがっちり掲げる。そしてそれをぶっ壊す。その連続で人間は成長する。何も無理することない。とても自然に生きるんだ。しかし都度、自ら選択するんだ。自分の納得いくものを選択するんだ。それでもダメなら変えればいい。
  33. 身体的感覚だけが唯一の客観性。
  34. 直感的なものが全て外れたら私にとって一番いい結果だ。
  35. 医療を医療で破壊するデストロイヤー、革命家が好きだ。私は革命を起こしたいんだ。金城一紀さんと繋がった気がする。私は革命を起こすよ。『ジニのパズル』(崔実・著)の影響でもある。完全調和の取れた世界にメスを、完全調和という不完全を、私はそのパズルの一片が一生見つからなくても探し続ける。
  36. 自分が選択することに一切間違いなんてないのよ。間違えたと思うのは、自分で決めていないからなのよ。自分の心に聞いて、自分でよく調べて、覚悟を持って選択すればいいのよ。それは何にしたって間違いではない。問題は、方法論や何か・誰かではなく、自分の心持ちなのよ。それだけ。それが全て。
  37. 何をしたっていい、自分が納得しているかどうか、だ。
  38. 心の声を聴く。本当に自分のやりたいことは何か。それをやるべきなんだ。その上で、自らが納得いく選択をすればいい。それは何を選んだって失敗にはならない。
  39. 既存の価値観をひっくり返す革命を。立場的に弱者だろうが強者だろうが、関係ない。今ある環境に甘んじることなく、まずは自分を疑い、所属する組織ーーたとえば国でも会社でも学校でも家族でもーーを疑い、そこにメスを入れる。パラダイムシフトを! 全員ぶっ壊す、ニーチェの神の否定は、単純でない。

 

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私の叫び vol.71

 

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  1. 相変わらず人と会うことをストップしている。みんなが嫌いなわけじゃない。でもこのコンディションでは無理だ。全員殺したいと思っちゃうからだ。私は人と会う時には、みんなはそうは思わないかもしれないが、めちゃくちゃ気を遣っている。もう本当に死ぬ程だ。適当そうに見えるのもわざとだ。全部本気で噓だ。
  2. 私には偏見があります、これもアリだ。これが少し前までの私の立場だ。でも、それは思考停止じゃないのか。私にはどんな偏見があるのか。まずは考えてみた。詳細は割愛するが、私にどんな偏見があるか、全ての偏見を挙げられなくては、私には偏見があります、とは到底言えない、私の論理では。
  3. 私が思うに、いい偏見と悪い偏見があって、しかしそれはこの社会で生きていくためには、ということだ。だから偏見をなくせ! と言うことはある意味、無責任だ。本当に全ての偏見をなくせば、私たちは何もしないだろう(私はそれを望むが)。全ての偏見をなくして、曇りなき眼でこの世界を見たくないか?
  4. ざっくり言ってしまえば、私がやりたいことは、偏見をなくしたい、だ。それはみんなのというよりかは、まず自分の中にある偏見をなくしたいんだ。私には偏見がある、と思っていたが、おそらくみんなもそうだが、自分が思っているより、私たちは偏見に支配されている。伝えることはとても難しい。全ては偏見で生きているんだ。
  5. 自分の生き方や、やりたいことが見えてきた。仕事の上でも、とんでもない野望が見つかった。私は、弱者という立場に身を置きながらも、更にそこで自分を疑い、追い込み、鞭を打つ、一つも諦めずに希望を持って生きる人間と「ともだち」になりたい。そういう人間でありたい。それは私を救うからだ。
  6. 透明人間だ。透明人間だから、ここに私はいない。周りからは見えない。私が誰かに触りたいとして、触ろうとするとスルッとすり抜けてしまう。私からは見えるのに周りからは見えない。そういう生き方。例えば、あなたが透明人間なら私のことを認識できるのかしら。だとしたら、どうやって?
  7. 人にお願いするってことは、それがたとえかなわなかったとしても、その人を恨んではならないの。そのすべてを自らが背負いこまなくてはならない。
  8. バスに乗る。全ての席が埋まり、〈私たち〉は立っていた。停車する度に立つ人がいなくなっていく。いま、私以外に立っている人はいない。そして全ての席が埋まっている。後部座席は本来なら五人席だ。しかし乗車した時から四人しか座っていない。荷物を持つ主婦が端に座っている。その荷物が私だ。
  9. 永遠、遠ざかる
  10. タイムラグを認めない世界
  11. タイムラグが永遠だったのに
  12. 永遠を手放している
  13. 本当の本当のところで、真面目な話ができない人がいる。なんの違いなんだろう。ちゃんとゆっくり相手と歩調を合わせようとする優しさというか、空気感で今こいつにとっては大事なことを言っているんだなと察する力、空気を読むとかそういうのではない。ある種の反射のような。
  14. 永遠はどんどん遠ざかる。私たちはタイムラグを認めなくなった。タイムラグが永遠だったのに、今ではタイムラグなんてありえない。だから私たちは永遠を手放しているのよ。
  15. 私は論理的であるわけではない。私はただ単に「脳」に支配されている。身体的感覚や直感がもう少し表に出る環境を整えたい。本当はふわふわに赤ちゃんみたいに生きたい。しかしそうさせないのは、周りや環境のせいではなく、私が外に心を開いていないからだ。
  16. 私の「優しい」という性質は、私の核や本心に近いところにある。そこに誰かが到達する時には、それを表出するときには、私という人間の輪郭ごとなくなっている時だと思う。そんなのがいい。私の「優しさ」を一度でもいいから出してみたい。それ以外は小手先だ。本当の私には触れさせない。
  17. でもその「人」は、誰だっていいわけじゃない。おそらく私の選んだ人なんだよ。私のルールが特殊なんだろう。非常識なんだろう。私のことを本当に優しい、と評価する中にも二種類あって、そのうちの一つは私には納得できない。もう一つは多少はわかるという程度。私は優しくない。意地を張っているだけだ。
  18. みんなさびしいと言うけど、本当にさびしいと思っている人は少ない。人がいないとどうしようもない人もいる。どうしようもないのだけど、そこにはプライドがあって、人がいないと生きていけないことを隠して生きている人だっている。人に会いたくないのは、裏返せば、「人」を欲しているからよ。
  19. おはようと言って、おはようと返されることで心が震えるような経験がしたいんだ。そんな一言でそこまでわかってもらっちゃ困るというような感覚ーー。例えばそれができればもう何もいらない。それがなかなかできないんだよ。本当に相手に殺されても犯されても何されてもいいと思えないとできないんだ。
  20. 例えば私の理想の恋愛は、互いに自立している人間同士が、互いの領地や領海を侵犯することで成り立つ。自分が所有しているものを全て相手に奪われたい。正々堂々、真っ向勝負で奪い合いたいんだ。愛し合っているからこそ、殴り合い、泣き合い、殺し合う。傷が癒えないように舐め合えばいい。
  21. まず自分が成り立たなくては他人と関わってはならないと思う。そういう意味で私は本当に自分の足で立っているのか。私は今でもそう立っていると思っている。私が19から考えてきた人との接し方は、どんな「馬鹿」にもわかるような仕組みなんだ。礼儀とも常識とも慣習的なものとも言えないが。
  22. 父が言うには、人間の性格や性質、考え方は、環境によるものも多いが、ほとんどはその子の持って生まれたもので作られている、と言う。となると、そういう使命を持ってこの地に降り立ったということが納得できる。家族だって、全然違うんだよ。だから私には私の生き方がある。慰められたい訳ではない。
  23. でもだからこそ、私は19の時から、「考えて」きたと思っている。それもとんでもなく無意味なことを考えてきたのかもしれない。他者とのコミュニケーションはいつだって難しい。19から本当に見知らぬ人とのコミュニケーションを実践してきた。うまくいくこともあるし、そうでないこともあった。
  24. 例えば、男ウケのいい洋服を選ぶ女がいるが、それとは私たちは違う。彼女らはターゲットを全ての異性としていると思う。だから、そこで引っかかる人から選べばいいのだ。私は違う、とても複雑なんだ。あなたがいい、そう決めた相手に認められたい、褒められたいんだ。それはなかなか起こらない。
  25. 面白いね、1日5食の日もあったり、何も食べないでいられる日もあったりするのも納得はいく。私は病気なのかもしれない。それでも全然構わない。病気でない人間なんていない。さて、このさびしいという感情を分析していきたい。みんなそうだが、認めてほしいんだ、褒められたいんだ。それだけだ。
  26. 父は私を摂食障害なのだと言う。精神分析医のヒルデ・ブルックは摂食障害を「食欲の病気ではありません。人からどう見られるのかということに関連する自尊心の病理です」と指摘している。それにはぴったり当てはまるだろう。どんな病名をつけられても一向に構わない。私は確かにここに在るし、生きている。
  27. 昨日、父は言った。「中学校までの君を見ていて、もう大丈夫だな、と思った。でも高校の時の君を見たときに、ダメかもしれないと思った」。言わんとしていることはわかる。私はその高校生までの自分が死んでも許せなかったから、19歳で生き方を変えた。ガラリと変えた。それは今にまで至っている。
  28. さびしさが気合いでどうにでもなることは知っている。でもそれを選択するときには、この世から人間が一人もいなくなったときではないのか。「価値観」が合わないから別れるのではなく、生きた心地がしないからではないのか。生まれてこのかた一度も「生」の実感がない。真っ赤な他人が私を証明してよ。
  29. 太宰治中上健次三島由紀夫の「さびしさ」、それはそれぞれ違うだろうけど、根底にあるものは同じなのではないか。人を欲することを許されない己の生き方があり、反面、どうしても人を欲してしまう。入水自殺したり、がんで死んだり、割腹自殺したりと結果は異なるが、凄くさびしかったんだと思う。
  30. ひとりよがりなのはわかっている。これが常人の行き方と違うことも承知している。それでもこのように生きた人だって、過去いるのではないか。芸術家たちなんかはどうか。本当にしようもないことで絶望的になって、どうしたって誰かに救ってもらわなくちゃ成り立たないことってあると思うんですよ。
  31. 日本に住む者だからか、我々には季節がある。季節というか、時期がある。みんながおかしくなる・悩む時期が確かにある。そして、その人個人がおかしくなる・悩む時期や周期みたいなものよもある。データをとってわかったことです。季節の変わり目ってみんなおかしくなるんだね。
  32. いつもいつも嫌われているのではないかと思って何もアクションを取ることができなくなる。恐いんだ。それが、ひとりよがりだとしても恐いんだ。
  33. 嫌われない保証があれば私はなんだってできる。しかしどれほどジャブを打ってもわからないことがある。そこからはもう生き死にの戦い。そこに行くにはあまりにも情報が少なすぎる。直感的なものを私は信じている。だからこそ、全て下調べをする。その後になって直感が正しかったことを納得するのだ。