prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

何番がお好き? vol.41

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  1. 私が重要視している判断基準の一つに「ダサいかダサくないか」がある。私がめちゃくちゃにダサいのに、何言っているの?という批判は受け入れられない。私がダサいことと他人をダサいと評価することは連続していない、それぞれ独立して存在するものである。

  2. 私はね、外見というのはとんでもなく大事だと思えるわけよ。偏見というのは必ず存在するわよ。私はそれを批判しない。見てくれのよくない人間のルール上ギリギリセーフなことはほとんどアウトに見えてしまうのよ。だからね、見てくれがよくないなら品行方正に生きなきゃならないのよ。そういう国に私たちは生きているのよ。

  3. 上のことについて偏見だ、差別だ、人権侵害だ、とありとあらゆる批判が飛んできそうね。でもね、品行方正に生きている外見が整っていて、人当たりのとてもいい人を前にして、私たちブスやゲスはどう対応すればいいのよ。その時にはもう立ち位置が違いすぎてしまうのよ。だから少しでも引けをとらない様に集中して生きるのよ。

  4. 他者にもの申せば申す程、自身への戒めになる、自身への圧力が強くなる。私は喋れば喋る程に圧縮され小さくなる。それでも私は今日ももの申す。

  5. 言ったことを守れないことなんてしょっちゅうです。でも言うと幾らかプレッシャーがかかる。内田篤人はそういうものを公言しないと言っていた。自分の目標は自分だけがわかっていればいいと。だが私はそんなに自分に対して厳しい人間ではない、だからモハメド・アリに、本田圭佑に痺れるんでしょう。

  6. あのお店が潰れるなんて本当に悲しいと言う者がいる。極端に言えば、そのお店はあなたが頻繁に通わなかったから潰れたのよ。あなたが毎月何百万もそのお店で使わなかったから潰れるのよ。極端だけどそういうことなのよ。私たち一人一人の力なんて微弱で、本当に何かを救うことなんてできないのよ。

  7. 一度決めたものを私はそう簡単に変えない。選んだ責任というものもあろう。しかしそれ以上に選択に良し悪しなんてものはないのだと信じている。一度決めたものを長年愛用する。そうすると最初の選択なんてものは大した意味を持たない様に思える。勿論、入口が何より大事だという考えも捨てないけど。

  8. 強迫観念に苛まれながら緊張して緊張して間違いが起こらない様にと全神経を集中させて生き抜いた。するとどこかしらのタイミングでショートして一歩も動けなくなる。動けなくなった後に勇気を出して一歩出すこと。これが私の生きてきた道です。

  9. 名前って命の次くらいに大事で、でも同時に名前なんてなくてもあなたはあなたなのよ。それを忘れないでね。

  10. 私が言いたいことはね、心から欲しいと思うものを手に入れるには、それを手に入れたとしても、それを容易に手放せなくてはならないってことなのよ。あなたが鬱病から脱したい時には、あなたはこれから一生鬱病であるということを受け入れなくてはならないのよ。全てがそういう仕組みなのよ。

  11. 汚い言葉を使って自らを汚すことでその美しさを保っているとは考えられないですか?

  12. 正しい事を本当に正しいと思う事は正しくない。

  13. 私は吉本隆明の様に自分の言葉を使い、自分の言葉で立ちたい。

  14.  (日本人として)本当に大事なことを言っているつもりなのに誰にも共感されない。それはとても悲しい。いつもそれが本当に悲しい。私は日本人ではないのだろうかと思えてくる。

  15. 私のギャグって酸化しちゃうみたいなの。相手に届く前にどうしても空気に触れてしまうからその時にはもうギャグではなくなってしまうみたいなのよね。

  16. 会話というのは、沈黙の会話から始まっているはずなのよ。沈黙の会話というのは、脳の中で過去の経験則から導き出したものを出し、その上で五感をフルに使い目の前の相手の心の機微を探るという行為よ。元来、日本人が最も得意とした分野だと私は考えている。みんなみんな上辺の会話しかしていない。謝る時も、はいはいすみませんでした、という音でしかない。本当にその人が謝っているのなら、その時にふざけんじゃねぇょ、と言ったとしても、私には心から謝っているのだとわかる。私はその音だけを会話において重要視しない。

  17. 一日中ポストを確認した。届かなかった。

  18. 私はある種生理的な、または感情的な過ちを否定したり責めたりはしない。私に対してはこの時点から私は私を責めますが。他者に対しては、この時点の過ちは仕方のない部分だと考えています。ただ、その時点で私は大変傷ついています。それを私は私で揉み消します。しかし次の段階で私を無意味に傷つけるようなことがあれば、私は私を守る為(または目の前の相手の過ちを諭す為)武器を取り戦うことにしています。私が何度我慢しても改善がないようなら矢張り「説明しなくてはわからないようなものなら説明してもわからないもの」なのです。私の心身はボロボロです。

  19. 何歳だろうとちゃんと謝れない人間というのはクズである。それは要するにちゃんと感謝できないということになるからである。

  20. 結局自分が大好き(自我が強いだけ)で、他人、少なくとも目の前の相手に対して迷惑をかけない様にすることのできる人間がそうなのならば、私も認めます。でも大概そうでない。自分大好きというものと自我が強くて周りに迷惑をかけてしまう、不快感を与えてしまうことは本当は全くの別物なはずなのに。

  21. 私は先ず私の価値判断基準が絶対的に誤りだということを認めてから、考え行動に移しています。

  22. 立場のわからない人間には何を言っても無駄である。彼らは常に対面する相手との関係において対等な(あるいは自分が若干優位な)立場にあると思っているからだ。むしろその様な概念すらないからこういう事態が起こるのだが。私は昔気質の江戸っ子が好きなんだ、口は悪いけどシャイであるという様な。

  23. 信じるべき人に対して邪推から入ってしまうこと程迷惑で信頼をなくすことはない。

  24. 本来は沈黙の会話なくして一般的な会話というものは成り立たない。

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