何番がお好き? vol.24
- 君の気持ちはわかる。だけどその訳のわからない人の気持ちを想像してやるのが俺の仕事だし、更に言えばあなたとその訳のわからない人のどっちもを完璧にわかった状態で白黒つけるのが俺の仕事なんだよ。
- あなたが殺される可能性のある社会、それこそがあなたの自由を保証してくれる社会なのよ。
- あなたも相手の気持ちにもっとならないとダメね。今回はあなた偏っているわ。だから格好悪いと言ってんの。相手の気持ちに100%なれた時にやっとその場へ行くことが許されるのよ。あなたが相手に対して本気で怒ることのできるのはまだまだ先の話よ。
- 僕が最も恐ろしいと考える瞬間というのは、イヤホンが本体に直接繋がれていない状態であることを忘れイヤホンを耳に装着し音楽を聞いている時に、このイヤホンが本体に繋がれていないことに気付いた瞬間である。
- 例えばこの珈琲は注文表に「珈琲」という魔法の様な名が書かれていることによって今回これが珈琲になっただけで、周りの景色が変われば珈琲は紅茶にもコーラにも成り得る。僕らはとてつもなく不確かなんだ。
- だってどんな人にも好きな人やものっていたりあったりするでしょう?
- 名言って誰もが共感できるから名言なのではないと思う。これは私だけに向けられたメッセージであると思えるものこそが本当の名言である。
- 私はね、その作品の内容よりもタイトルの方がよっぽど大事だと思う様な人間なんです。人間は顔です。そういうことです。少し言い訳をすると作品のタイトルに内容は現れるだろうし、人間の内面も顔に出ると思うからです。また私にはそこでちゃんと内容も内面も捉えられるという自信があるんです。
- やりたい様にやっていただけなのに人様から「あの後に使う人がやりやすい様にそれをわざわざしたんでしょう、本当に優しい人ですね」と言われることがよくある。本当にそういうものを意識してやっていた訳じゃない。寧ろもっとエゴイスティックで人様に知られたくない様なことをやっていただけのに。でも私はそれについて種明かしをしない。何故なら「違います、本当にやりたい様にやっていて、寧ろこういう悪い魂胆がありました」とカミングアウトすると「またまたご謙遜を」という様な更なる悪化を見せることになるからだ。私は私が意図していない行動を褒められるのが本当に嫌いだ。吐き気がする。でもこれはこうも捉えられる。全て見ているんだぞという神様からの遠回しで皮肉的な私へのディスりなのではないか、と。だから私は日々ビクビクしながら生きている。けど私が意図して悪いことをやる時には死刑になっても構わないという強い気持ちのもと行為に移っている。何だってかかって来なさい、と。
- いかにも神経質な女は愛する男には穢されれば穢される程愛を感じる。
- 私はずっとずっと勇気を持って私を晒してきたつもり。それは称賛に値するものではないかもしれない。でもね、私は自分と対峙したものとの戦いに正々堂々と向き合ってきた。勝つばかりではなかった。負け戦の方がむしろ多いわ。でも私はただ勝ちたいんじゃないの、本物の勇気を自分の中に感じたいの。
- その円から抜け出して自分で掴み取るのよ。あなたが満足できないのはその円の中には何もないからよ。そこから一歩でも出るの。外に出ると怖いことばっかりよ。それでも今の円の中にいる生活にウンザリしているんでしょう。どんなことが起きても構わないと思えるのならそこから一歩飛び出すのよ。さあ。
- 私はね、大病ではなくて風邪で死んでしまう人間っていう存在を愛しているのよ。
- 全ては広告代理店が悪いと言えてしまえば話はとても簡単だ。
- 偽りの自分で相手に気に入られても意味がないというものを押し付ける人間もいる。私にはわからない。そう選択したのならその人間を尊重してやれ。只私はそんな人間と関わるのは御免なだけである。ただそういう選択を知らず知らずにとってしまっている人間がこの世にどれ程いるか。気付かず死ねばいい。
- 好みの話だが、俺は強い女の弱さが見たいしそれに触れたい。それはまるで自分に触る感触を覚えるからだ。自分の心にも身体にも意識にも自分は触れられない。それらはこう客観性を持って触れることのできるものではないからだ。簡単な強さではない、本当に強いものの弱さに触れたいんだ、そういう女に。
- 私は頑なで一生懸命で前向きにも関わらず迷い苦しみ試行錯誤して生きる人間の味方である。そういう人間は正論と感情の区別がつく。私と会話をする人間が正論と感情を分けられないというのは両者にとって致命的だ。私は不意に人を傷つけたくない。傷つけるのなら意図的にそれをやる、覚悟と責任を持ち。
- 単なる可愛い子ちゃんに興味を抱けないのはその実は大変に強いものだからだ。そもそも彼女らは不特定多数者の為に変われるという真の強さを有している。でも私が欲しいものはそういう強さではない。寧ろ弱さと言えるだろう。私は変わらない、だけどこの人が好きだと言える、そういう弱さ(強さ)を愛している。
- 私が普段人間と話す場合私の本気を見せていない。見せられないのである。本気というのが私の理想でしかないだろうし、それはただ闇雲に人を傷つける為のストレス解消的会話なのかもしれない。けど私の底には愛がある。確かにある。だからこそ愛に裏打ちされた自由を私は相手と共に満喫したいのである。
- 私の女に対する条件は、先ず真に女であることだ。