何番がお好き? vol.22
- 会話というのは勝負なんだ。そこで優位になるのに必要なのはテクニックではない、相手のことをどれ程知っているか、思えるかだ。要するに相手の言動を死ぬ程観察してパターンを規範をある程度覚えてしまい、そこからまた疑いに疑いをかけるんだ、相手ではなくて自分の勝手に想像する相手をね。
- 自分の運命に本気で立ち向かっている人間の絶望をあなたは知らない。自分の選択の誤りからくるものを不運だと嘆く雑魚に私は興味がない。私の運命の女は人と対面するだけで死んでしまう程に対面恐怖症なのに平気な顔をして接客業をするだろう。そして私がまたその女と対面し恐怖を感じさせてやるんだ。
- 例えば男女の相性が良すぎてお互いがいなくては歩けなくなるということが起きたとしたら、もうそれは相性がとんでもなく悪いということなんだ。本当はこうなんかマッチしないというものこそが本当にマッチしているということなんだ。
- 本当に大切なものは空気に触れずして生きていくことなんかできない、我々同様に。要するに全てのものはただ隠されていたり密封され閉じ込められていたとしたら失くなってしまうんだ。全てはこの世の中に晒されていなければ存在などしていないも同然なんだ。だから我々は晒されてこそ生き抜けるんだ。
- 相手のことを好きになる理由って本当にどんなものでもいい。例えば相手のファミリーネームがとんでもなく好きってのでもいい、逆にそれだからこそ絶対にあなたとは結婚したくないと言ったって成り立つんだ。
- 気を遣って相手にとって欲しいもの、相手の心を休める様なことは言える。でもだからそれを私に言わせたとしたらあなたはもう私の中で死んでいるも同然なのよ。思ったことをそのまま言わせてくれないのであればそれは同時に私も死んでいるのよ。
- 嫉妬したりムカついたりイラついたりするものの対象って必ず自分の中に存在している、ある一部である。
- 恋ってのは対象に対する強烈な興味心の延長線上に在るもの、あるいはそれそのものだろう。
- 私の愛というのはiPhoneからガラケーへと写真を送る際に一切サイズ変更をせずに送ることで、一般的に言われる愛ってのはそこでサイズを縮小してガラケーでも見れる様にすることだろう。でも最初からガラケーだからサイズ変更をしなくては、と勝手を踏むことは私からしたら相手に対する裏切りだ。
- でも戦うってのは個人の問題なのよ、あくまで超個人的な、ね。だから僕は僕の戦いをするし、僕の戦いに誰も僕の味方として参加できない。僕が応援したい人の戦いに参加することもできないし、その時にはただ遠くから援護射撃する感じであなたの戦いの健闘を祈るばかりだよ。
- 私はね、現代においてはちょっと無茶である様なエネルギー剥き出しで真っ直ぐで古風なスタイルを貫くが為に現代に生きる周りの人間とどうも衝突してしまうみたいな人間を応援したい。恐らく私も半分くらいはそうだからであろう。でもね、どんなスタイルだろうが本質の部分で間違っていなければそれは正しいんだよ。
- 何度も言うが成人男性に対する成人女性の可愛いという評価は格好いいを必ず経ている。本当に優しいってのは強いってのを経ているのと同じことだ。ここで「本当に」という言葉を使ってしまうくらいに文才が、私にはない。
- 私は24時間の中で午前4時が一番好き。
- 人を殺す前にね、私はあなたを殺しますとインフォメーションを与えておけば幾分か人殺しにも正義が、単なる殺す殺される関係性以上の対等関係が生まれると信じています。内面の短刀は剥き出しで、同時に外見はそれを見て万人がウットリする様な霧のケースに入れておくの。
- 俺は自分の意見を言う時に世間で言う客観性なんてものは排除する。俺が言いたいことは独立して俺が言いたいことであるからだ。それはどんなものによっても侵され得ない。例えばそれだと角が立つとしてもその発言を撤回することはない。その後その反省を活かし少しずつ丸くすることはあっても、だ。
@pongseon 秋