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私が関わった人間は全て私の作品である

「ベトナム・ラオス・タイ」

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ベトナムラオス、タイで書いたもの

  
日本は最後だが欧米では最初だろう。もしかしたらフランスは最後かもしれないな。 


問題 
一番恐いものは何? 
1起こった野ゴリラ柵なし 
2四次元ポケットを手に入れたマイケル・ジャクソン 
3看護婦全員西村知美 


僕は暗闇で東南アジア人か日本人かを見極めなくてはならなかった。 


僕はわざとらしくその時だけ好きぢゃない女の方を見る。 


目を見ること。 


時にはその臆病さがよく働くこともあるだろう。 

極端なことしか言わない女は急な温度差や急に触れられることを究極に嫌う。しかし急な犯し方(殺し方)には賛成のようだ。 


対等ってのはずっと対等だから対等なんぢゃねぇ。上になったり下になったりするから対等なんだ。 


ベトナムから国境線を越えラオスへ入るとそこはもうサファリパークだ。牛や水牛、茶色い川、本場さながらだ。それでも僕はその瞬間甘い恋愛ソングが聞きたくなる。奏、恋文、NAO、車輪の唄…


美とはなんたるや、 
美とはなんたるか、 
一面の緑に一点の赤であり 
無秩序の中の規則やルール、秩序である。 


例えばここがラオスならベトナムの子供たちとは全く違う。気持ちの悪くなるくらい晴れているせいなのだろうか。異人種だ。 


言葉が話せなくなる夢を見た。脳卒中? 


私は人生に関してはポジティブだが現状、あるいは現在、今についてはとてもネガティブだ。 


ベトナムに着てはや4日。空気や匂い、食べ物、乗り物、人間、犬。全てが母国と違う。しかし部屋でゆっくり小説を読んでいる時にピピッと鳴る携帯の充電終了の合図だけはどこにいても変わらない。私はその瞬間我にかえれる。 


外国の雲は何故かとても造形的で威圧的だった。どうだ。と言わんばかりに。 


またベトナムの太陽は気持ちの悪いくらい真ん丸で月と見間違うくらいだ。僕は何か見てはいけないものを見たような気がした。まるで襖をあけ三面鏡の前で着物のママが化粧しているのを見てしまった気分だ。僕は勢いよく空けてしまった襖を閉じながら「すいません」と言う。ママは笑いながら「大丈夫よ」と言ってはいるが、目の奥はおそらく笑っていない。 


僕には帰属意識がありすぎるのか恐がりなのか振り子のように極から極へ戻りたがる。日本へ帰る方法を常に考えている。いや日本へ帰る方法ではないな。私が常に私たらんとする為には何をすべきかを常に考えている。それはutadaを聞くことであり村上春樹を読むことであり筋トレをすることであり鏡で自分の全身のシルエットを見ることである。この現代においては、千と千尋のように名前を取られたら帰る場所がわからなくなるようなことはななか起きにくい。大事なものはパスポートや名前ではない。もちろん外国人登録証明書でもない。ホーチミンやフエ、ハノイの空気や食べ物、人間と同化しながら(悪魔に魂を売りながら)、一方ではutadaジムノペディを聞き、筋トレをして自分の体のラインを鏡で見る。決して顔ではない。顔は変わる。矢張りそのシルエットであり、骨格である。またはバランスである。それが私たちを私たちと正確に再確認させてくれる方法だ。 


ラコステが流行っているのか、偽物のようだ。もしかしたらラコステ社がベトナム用に作っているのかもしれない。 


寝台バスにはお母さんの赤ちゃん連れが何組もいた。日本と違い、国内旅行ではなくきちんとした移動手段で使っているのだろう。その為、バスは発達しているのだ。 


2010年09月15日17:35

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