prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「自分の存在を認めさせるにはその時に黙る自分を殺し、また喋る相手を殺すことになる」

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2014.8.15.03:19『山崎-yamasaki-』
 
 
相手を信じるには、いつでも自分から見える相手を、自分の想像する相手を疑うということだが必要だ。
要するに、相手ではない、自分を疑うのだ。
 
 
究極的なことを言ってしまえば、自分の存在を認めて欲しいと願う時、他人を傷つけなくてはならない。
自分で他者に自分の存在を認めさせなくてはならない。
覚悟と責任を持って選択を。
 
自分を認めて欲しいという願望を叶える時、その時には他人なんかこの世界になくとも構わないという雄々しさが必要となるし、それはそういう種類の排他性を含む願望である。
 
 
たとえば、「美人ですね」と他人に褒められた時、あなたは「そんなことないです」と言うだろう。
でも、それはあくまで表層の表層の会話だ。
 
相手の「美人ですね」が(本当に美人ですね)や(私よりブスね)、(こう言っておけばいいか)、(美人と褒めたら嬉しいんでしょ)、(ブスのくせにイキがんなよ)、(ブスなこと早く気付いてね)のどんな意味なのかわかっている?
 
それがわかっていながら「そんなことないです」とあなたは答えている?
(私の求めるところはここだ)
 
それとも面倒くさいから、「そんなことないです」という社会通念上よしとされる「謙遜」というカードを出しているの?
 
私の思う会話ってそんなに生ぬるいものじゃない。
 
 
でも、その生ぬるい会話がしっかりと成立することもある。
一つは、完全完璧に互いを信頼しあっている場合。
もう一つは、全く関係のないと思う赤の他人(あるいは初対面の人間)との話す場合。
 
また、本当に褒められている時に「そんなことないです」という社会通念上よしとされる選択肢を選んだばっかりに全然伝わっていないと相手が悲しんだり傷ついたりすることがある。
 
相手がどの温度で、褒め言葉や、反対に侮辱の言葉を言ってきているのかあなたはわかる?
 
ただ常識や社会通念にそったことを言っておけば、傷つかずに生きていける。
(その代わり知らず知らずに他者を傷つけるだろう)
 
要するに、あなたはその相手のことを本当に知りたいと思っていない。
本当にその人が欲しければ、その人を傷つける覚悟で、会話をして。
 
繰り返しになるけど、自分の存在を認めて欲しい時、相手を傷つける覚悟で会話をすることになる。
 
自分の存在を認めさせるにはその時に黙る自分を殺し、また喋る相手を殺すことになるからだ。
 
相手を傷つけたくないのであれば、相手が何に怒り何に悲しむかを知らなくてはならない。
その時には必然的に相手を知る必要が出てくる。
 
ただただ最初から相手を知りたいだなんてのは「変態」だ。
でも、なぜ相手を知りたいと思うようになるかっていうと、要するに自分の為なんだ。
自分が不利にならないで、自分の存在を相手に認めさせる為なんだ。
自分の発言で相手がどのくらい傷つくかを知る為だ。
無償の愛なんてものはほとんどない。
でも私はエゴから始まる愛だって、確かに愛であることを信じている。
 
自分の下した判断を毎秒疑う。
それでしか相手の真実になんて近づけない。
その努力を怠る者に人に関わる資格なんてない。
少なくとも、私に関わる時はそうしてもらいたい。
根底では信じて欲しい、同時に全てにおいてこの人が何の為にこれを言っているのか考えて疑って欲しい。
信じてるから疑う、相手も自分も。
 
それにね、やっぱり自分の考えがわからない人と話すことでしか本当の意味で自分の考えを知ることなんてできない。
そして、そうすふことでしか自分の考えを周りに伝える技術を得ることなんてできない。
 
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