prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「私は何の役にも立たない」

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私はね、それに触れたとき何もできなかったわ。私のどんな言葉も、どんな行為も全てが無意味で、そのことであなたがどれだけ苛まれていようといなかろうとあなたはあなたの中でそれをちゃんと吸収していた。私にはね、本当に、情けないくらいに何もできなかった。人として本当に情けなかった。

何不自由なく育ち何の因果も何の失敗も何の宿命もない私はね、「さだめ」の中で一生懸命生きている人に触れた時にね、畏れ多く感じてしまうのよ。私なんかがあなたに触れていいものかと、物理的にでなくともね。私は五体満足で両親がいて大学を卒業してちゃんと生きている。それがね、とっても恥ずかしいとさえ思えるのよ。

私はね、どうせ選ばれていないのよ。だから私はあなたの話を聞き、私の人間としての行いを正していくことしかできないの。わかる?とっても不謹慎だけど私だってそういうものが欲しかった。もしかしたらそういうことを経験しているのに感じないだけなのかもしれないけど。

時々ね、幸福な私の生活に嫌気がさすのよ。こんなはずじゃない、こんなはずじゃないって。普通は大変なことや嫌なことが起きてそう思うのかもしれないけど、私はね、逆なの。普通でいることがとんでもない罪なのではないかと悩んでしまうの。普通でない人に触れたときに私もそこにいるよ、と言いたかった。

普通である、普通でないというのは一般論だけどね。もちろん私はどんな人間も普通ではないと思っているし、一般的に普通でない人が好きよ。ただね、私がそんな人たちに触れる権利、あるのだろうか。私もね、父に殴られたり母に近親相姦を迫られたり弟にアナルを開発されたりという人生だったらな、と思うことがある。

悲しいことや辛いことがないと生きている気がしないの。そういう意味ではドMなのよ。でもね、私は同時に普通であることを猛烈に望んでいる。大好きな人がいて、たまには子供なんかもいちゃったりして、美味しいご飯を食べて、親の愛が欲しい子供なんかがいたら引き取って存分に愛くれちゃったりするんだからね。

何でこんなことになっているかというと私は昨日私がいつもいつも救うべき対象と設定していた人間を自分なりにだけど、救えなかったの。その罪悪感よ。もちろん救いなんてものは当事者が望むものだし、また当事者が望んでも誰かが救うことなんてできないことも知っている。それに本当の救いは、本人が本人を救うことでしか成り立たないこともわかっている。
でもね、それにしても私は何もできなかったのよ。

ただ立ち尽くす事しか出来ないこと程情けないことはない。こればっかりは私が10月に向けてプロテインを飲み身体を作り直していることやハリウッドスターの英語を聞き1年後に英語がペラペラになるよう努めていることなんかでは相殺できないものなの。精神的にも何をするべきかわからなかったのよ。

サンを救いたいだなんて思うアシタカのような男たちがいるのなら、サンがね、何を見て何を感じ何に怒り何に悲しみ、何に喜び何を望むかをサン本人になって感じなきゃならないことなのよ。だからね、私はまず初めに森の中に入って木ノ実を集めウサギを狩り生きなくてはならないの。

そんなことができない私はやはり人間で、人間ならね、最低限想像をすること、想像をすることしかできないのよ。もう想像力にしか頼れないという絶望的な状況に追い込まれた。でも私は諦めない。とにかく、想像をするのよ。フランス語が聞こえてくる。フランス語はとても悲しく聴こえる。

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