prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「高倉健」

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『夜叉』で共演したビートたけしは、撮影中のエピソードを挙げた。
真冬の福井ロケのある日、オフだったにもかかわらず、高倉がロケ現場へ激励に現れた。厳しい寒さの中、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は全く焚火にあたろうとしない。スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めるが、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。このためスタッフだけでなく、共演者誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた。
Wikipediaより。
 
 
この手順が必要なんです。
最低限この立場にいる人間は、この手順を踏まなければならない。高倉健は恐らく「私があたらないとみんなあたれない」ことを知っている。
人の立場に立ってものを考えられる人なら、この考え方はマストだ。
その上で私の立場では〜ということになる。
こうした適切な手順を踏むことが本当の仁義の通し方なんだ。
これで高倉健が「私があたらないとみんなあたれない」ことを知らないとしたら、高倉健には−−私の考えでは–−仁義の欠片もないことになる。
 
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@ 秋人間