何番がお好き? vol.30
トカレフ TT33
- 私たちは死の上にやっと生きていて、それならば生きていることに誇りを持たねばならないと思うのよ。要するにね、生きているんだってことを全肯定するのよ。
- メリーゴーランドではない、メリーゴーラウンドだ。
- 母との対峙はいつだってこの世に何一つ人間関係のセオリーを知らない人間がいるということを知らされる。その為だけに私と母の関係はある。
- 言葉が何の意味も持たない世界は諦めたので、言葉が何の意味も持たない関係を。言葉が記号化することでなく、言葉が単なる音になる瞬間を。
- 真剣でないものって嫌なの。セフレだろうが奴隷だろうが友達だろうが親だろうが構わないの。だけど私に対して真剣にセフレを、奴隷を、友達を、親をやってちょうだい。困るのよ、中途半端なものは。電話をするなら私の為に電話をかけて。セックスだって私とやる為だけに来て。本気でないならいらない。
- 私にとってのセックスと誰かにとってのそれは全く同じ意味ではない。私はセックスなどしなくても一向構わない様な経験をした。完全完璧なコミュニカシオンのことだ。そうね、私のセックスとあなたのそれが全く同じ意味になった時に行いましょう。確認作業としてのセックスを。愛のあるセックスを。
- 彼女は私の祖母である前に叔父の母であることを私は認識すべきだった。
- 私はいつだって両極端に私がいるの。それは何も私が分裂していることを意味しない。私は両極端に在るの。それだけなのよ。極点から極点へと光の速さで瞬間移動よ。行ったり来たり。反復運動。リフレインだけが愛よ。
- 自分の意見を持たない、または言えない人間が客観性のある様に見える一般常識によって毒されたもので、一生懸命自分の物差しを使い主観で語る人間を否定したり遮ったりする権利なんか到底持つはずなどない。 遮っていいのは発言者と対等な立場に在る者のみだ。それがスポーツマンシップでしょう。
- 病院っていうのはね、病人が行く場所ではないのよ、健康な人が行く所なのよ。
- 私が人間に物理的に触れるというのは其れ相応の覚悟があってよ。私が素面だろうが酒を飲もうが人間に触れているのを見たことがある?私は基本的に人との接触を好まない。人間に触れること自体とんでもなく神聖な行為だと思っているからだ。ある意味ではイスラム教徒の其れと近いものがある。
- お互いの言葉の定義や会話をする時のテンポ、そして日本語においては省略の箇所の違いが喧嘩を引き起こす要因と考えられる。要するに論理的矛盾などではなく、互いに互いの言葉の使い方、話の進め方をわかっていないことである。私はこれを第三者の立場で見ていて勿体無いといつも思って来た。
- 私個人としてはその様なコミュニケーションにおける喧嘩にはならない。相手の論法や間、言葉の定義や日本語における省略箇所などを完璧に先ずは理解する。だから私が仮に怒ったとしたら上で挙げた部分での齟齬なんてものはあり得ない。要するにその時には本気で怒っても差し支えない状態なのである。
- 謝って欲しいのではない。私が何故怒るに至ったか、その思考回路を、経過を完全完璧に理解して欲しいのよ。謝るっていうのは上のことが全て理解できた後にやっとできる行為なのよ。その謝り方次第では理解していないことがこちらにはわかる。その場合にはきっちり説明してもらう権利がこちらにはある。
- 入院している友人の見舞いに行き、大丈夫?と私は声をかける。大丈夫?という言葉が何も生まないことを、病人にとっては聞きたくもない言葉であることを私はよく知りながらそう声をかける。そこまでの思考の経過を見舞いをされている友人は理解している。だから友人は大丈夫だよと答える。これが会話。
- どんなに簡単に教わってもわからない時に、先生にこれ以上は教えられないわ、ごめんなさいと言われる時にやっとあなたはわかりませんと言えるのである。
- 本当にナイーヴな人間は自分をナイーヴだと言わない。本当にナイーブな人間ならただ傷付くだけでなく相手が何故厳しいことを言ったのかを考えると思う。相手はナイーブ故、厳しいことを言ったのかもしれない。本当にナイーブな人間なら周りにあからさまにナイーブな自分で求めたりなんかしない。
- ナイーヴというのは全ては自分のせいであると認めてしまう人間に対する形容である。
- 私は私以外のものがなければ存在しない。
- あなたはね、まるで温かい氷なのよ。
- あなたにはカリスマ性がないと批判されたことがある。私が欲しいのはカリスマ性という受動的に効力を発するものではなく、もっと能動的に主体的に私が欲しているものを私が触れるという絶対的な力なの。
- 事実以外書きたくない。少しだけ真実。嘘は一つもない。
- この前私のローキックは260kgと計測された。お見舞いしてあげるわ。ちゃんと振り下ろすからね。右も左も同じ威力です。
- 何故馬鹿は自分の感情にあんなにも素直なのか、馬鹿の感情に寄り添わないことを私が言うと怒り出すのであろうか。私は第一に起こる感情を全く否定しない。それがない人間と争うことはない。何故馬鹿は自分が現在の社会通念上正しいとされる一般的行動から外れた行動を取ることを恐れないばかりか、その行動によって引き起こされた結果を自分の管轄外であると言わんばかりに感情だけを優先して他人に怒ることができるのだろうか。
- 貴様の選択した行動に対してどんなことが起ころうともあなた一人で回収するという覚悟がない、責任の取り方を知らない人間は周りからしたら迷惑なだけである。私の前でそれをやられると私は私の身を守る為に正当防衛的に「あなた本当にそれでいいの?いいのね?」と先ずは諭すことになるだろう。
- 「こっちはあなたの気持ちがわかる、でもあなたは私の気持ちがわからない、それなのに私でなく、あなたが怒ってる」という事態に私は呆れているの。服装がダサいことやある分野においての知識がないこと、それらを私は馬鹿であると判断しない。
- いつも喧嘩をふっかけられる時は私と相手がイーヴンでない。それはアンフェアだ。しかし互いにイーヴンな立場でフェアなことをする様な人間なら争いになることはない。私は戦闘的平和主義者である。殴られたら殴っても意味がないから殴るのである。
- 私個人としては可愛い女の子に興味がほとんどないんだが、ある種客観的に「可愛い」を突き詰めている友人に敬意を表せる。それは私の理想とする「男を超越する男」、「性別を超越する人間」と同じものを感じるからだ。
- 私は感情に左右されながらも最終的には理を取る。それが私にとってあなたを愛しているということだから。そしてそれは私の感情であるということなの。わかって、愛してる。
- 私は他人の実家の麦茶を美味しく飲めた試しがありません。
- 私は感情を優先しただけの生易しい直感なんて信じていないの。感情なんてものはね、理性の果てにあるべきものなの。あなたの直感、それも大変素晴らしいわ。でもね、本当の意味での正しい直感というものは自分の周りにある全ての物事に対して理性(正論)と感情を天秤に掛け続け育てあげるものなのよ。
- 美輪明宏の言う人間は肉体ではなく精神だと三島由紀夫の言う人間は精神ではなく肉体だは恐らく同義だろう。
- 独り善がりやエゴイスティックであることが悪いとは言っていないのよ。人間なんて漏れなく全員そうよ。だから少しでも目の前や周りの人の為にやっていますという様なポーズだけの似非相手本意は、せめて私の前ではやめてもらえないかしら。そう言っているのよ。それすらも気付いていないんでしょう。
- ピンと来ないってことが本当にピンときているってことなのよ。
- 私は自分にとって都合の悪いことは覚えているし、都合のいいことは覚えていない。
- 決定的なものがないという決定性に勝るものはない。
- 一つの嘘もない世界の構成要素には嘘がなきゃ成り立たない。
- 煙草を吸うってことはね、気分がいいっていう証拠なのよ。
- 私は嘘をつかない、嘘しか言わない。
@pongseon 秋