「死と生」
私は死を村上春樹的に捉えている。死は生の対極にあるものではなく、その一部として存在していて、それはドアを開いた向こう側に在る様なもので、そのドアを開くかどうかは自分次第。
好きな人がドアを開き向こう側へ行ってしまったら(物理的に会えなくなってしまったら)その人は自分の中で死んでいるも同然だ。
ドアを開き好きな人を追いかけていくと自分も向こう側へ行くことになる。それはその時ドアを開かなかった自分からすると死の世界。
自分が今まで何度ドアを開いたのか、正確に今どちら側にいるのかわからない。気付くと一度開いたドアは消え去り、境目がなくなっている。
好きな人に会いたければ死ぬ気で会いに行かなければならない。死の世界で好きな人と生きたいのであれば自分も向こう側へ行けばいい。ドアを開けばいい。
繰り返しになるが、もう一生会えないのであればその人は自分の中で死んでいる様なものなんだ。
あるいは二度と見たくもないものならそのドアを開かなければいい。
本当に欲しいものを見極めて(決めて)命を賭けて、自分を捧げ、欲してほしい。
死んでもいいと、騙されてもいいと思える人やものを見つけること。
あとは自分でドアを開くだけだ。
死と生は自分を扉(ドア)にして行ったり来たりしている。
幽霊画展2014に捧ぐ