prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

『朝鮮学校と差別』 vol.6

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不思議なことだ。
そしてここはとても大事なとこである。

朝鮮学校と聞くと、みなさんはまず北朝鮮をすぐに連想すると思う。

でも、そこに通っている生徒は、韓国で生まれた、あるいは育った祖父や祖母を持つ生徒ばかりで、ほとんどが生粋の韓国人なのである。
要するに、私たちの故郷は(行ったこもないのだが)韓国なのだ。決して、北朝鮮ではない。北朝鮮と韓国を朝鮮半島という一つの国ではなく、それぞれ別の国だと考えると-それは今ではとても自然なことだと思う-矢張り、私たちは北朝鮮とは何ら関係のない血筋なのだ。
しかも95%以上が、そういう生徒なのである。それが朝鮮学校だ。

もちろん、祖父や祖母が生まれたり育ったりというだけで故郷と呼べるのかはわからないし、実際に北朝鮮と通じている総連系の人間が運営している学校なのだから、何とも言えないところもある。それは後々触れるとして、とにかくクラスで一人、北朝鮮を故郷とする生徒がいるかいないか、なのである。

血筋を焦点に当てて話すことになると、私たちは北朝鮮人なのではなく、あくまで韓国人なのだ。
それは確かなことだ。

例えば、朝鮮半島を一つの国とみると言われたのなら、確かに私たちは朝鮮半島出身の先祖を持つ。


さて、私たちの祖父や祖母の話をしよう。

はっきりと言って、私の祖父は強制労働をさせられる為に無理やり連れて来られたのではない。強制的に連れて来られたというリアルな話を私は身近な人からも聞いたことがない。

私たちがそれを聞いたのは朝鮮学校の教師たちからである。我々の先祖は、日本軍によって強制的に連れて来られ過酷な労働を強いられた、と先生たちは口を揃えて言っていた。

おそらく、先生たちはゴッドファーザーをPART IIIまで観ていないんだと思う。

とにかく、私の祖父はそうではなかった。

二代前の人間が何を考えて何をしていたかなんて私たちには到底わからない。そうでなくても、彼らは頑固であまりお喋りではない。

ヤクザやパチンコ屋、焼肉屋を経営し、闇市で儲けては、ベンツに乗っている印象しか私にはない。

彼らに言わせれば、とてつもなくいい時代だったんだ。


ただ、物語だけを読みたいという人も多いだろう。でも、私はどうしても朝鮮学校の中身をきちんと知ってもらいたい。
中途半端に誤解されてしまうのが一番恐ろしい。スポーツをする前にストレッチをすることと似ている。そうしないと酷い筋肉痛に、更には肉離れに見舞われることになりかねないからだ。

しっかりとわかった上で、批判なり差別なりをしてもらいたい、偏見を持ってもらいたいんだ。
しっかり理解してから、偏見を持ったり差別をしたりすることは全く悪いことじゃないと思う。私はそう考えている。
ジャンリュックナンシーの受け売りだが、
黒人を黒人として見ないことこそが差別である。


私もこんな説明なんか飛ばしたい。
ただ、私は朝鮮学校はおっかない所なんだ、とか朝鮮人はやっぱりクズだ、と言いたいが為に書いている訳ではない。

確かに、今回書いているのは金城一紀さんの著書にインスパイアされたのがきっかけである。それは否めない。

でも私にはどうしても私の通った学校について、在日朝鮮人について、しっかりと日本人や、更には在日朝鮮人に知ってもらいたいのだ。そして、それについてもう一度考え、皆さんに曇りなき眼で判断してもらいたいんだ。

従軍慰安婦、高校授業料無償化ヘイトスピーチ竹島(独島)、そういった問題について真剣に考えてもらいたい。

私はどちらかと言えば、朝鮮学校を擁護しない立場である。でもそれは恨みからではなく、敢えて言うのなら愛からである。

本当のコスモポリタンが何なのか、世界市民が何なのか、差別と公平性、本物の正義、本物の勝利が何ぞやかを考えてもらいたいんだ。



また小学校時代の話に戻ろう。 



小学校6年生の時だった。忘れもしない。学校で一番怖い先生に私は呼ばれた。
何の悪さをしたのか私は必死に頭をフル回転させ考えた。
しかしそんなものは何ら思い浮かばなかった。

私のした悪さはまた、今後じっくりと語ろうと思うが。

私は小学校六年生くらいまでは、とても真面目だったと思う。お喋りで目立ちたがり屋なとこを差し引けば、だが。
位もクラスで二番目に偉い位についていた。それは私にとっては一つの誇りだった。

私はまんまと朝鮮学校の制度やシステムに染まっていたし、組み込まれていた。それはそこそこ気持ちのいいものだった。弱者や負け組と言われる連中の気持ちなんてそこまでわからなかったと思う。


私は学校で一番おっかない先生に呼ばれた。
ある小さな部屋で一対一になった。
もちろん、体育教師だった。
何の話をされるかドキドキしていた。

緊迫した空間で体育教師は言った。

「お前は日本の学校へ行くのか?」


突然のことで、私は一瞬、訳がわからなかった。


思い出した。
ここで私の父親を登場させなくてはならない。

父は私を朝鮮学校に入学させる前に校長先生にアポを取り、話をしに行ったらしい。これは私が高校生になった後に聞かされた話だ。

父は校長にうちの子は中学、あるいは高校への進学のタイミングで日本の教育機関に入れる予定です。それでもいいでしょうか? という伺いをたてていた。
そして、朝鮮学校の体質の古さを批判し、100年先にこの学校をどういう学校にするつもりですか? という気の遠くなるような話をしたらしい。うちの子を朝鮮学校に通わせるのはハングル(韓国語)を習得する為だけです。
そちらの思想や主義には私は賛成しかねるので、と続けたらしい。


そうだ。体育教師の

 「お前は日本の学校へ行くのか?」

という質問だった。


その言葉にびっくりし呆気にとられたのは事実だが、私はすかさず行きます、と瞬時に答えた。



私が日本の学校へ行く、と答えると体育教師の顔は少々歪んだ様に見えた。

そうか、もったいないな。

と体育教師は囁くように言い、続けた。

高校から日本の高校へ行くのか?

はい。そのつもりです。

中学はこのまま進学するんだな?

はい。

私の意思が固いことを察したのか、体育教師は渋々といった感じで続けた。

では、悪いけど、中学での位は保証できないな。


私は何のことだかすぐにはピンと来なかった。

私の通った朝鮮学校は小学校から中学校までがつながった、エスカレーター式の学校だった。
中学三年生になると、その小学生、中学生の代表となる位が用意されていた。要するに、その学校で一番偉い位である。

その学校の生徒代表というようなものだ。
それが中学三年生の中から10人くらい選出されるのである。総理大臣、官房長官、副官房長官外務大臣運輸大臣……というように。
体育教師はその位のことを言っていた。
小学生の僕らでもその名を知っていたし、ある意味みんなの憧れだった。

そう、私はゆすられていたのだ。

体育教師は欲しくないのか? と言わんばかりに私をゆすった。

私はその時のことをはっきりと思い出すことができる。

ショックだった。
その時の私に最初に湧き起こった感情は、悔しいというものだった。次に哀しいというものだった。


私はこの時初めて色々なことに気付いた。

小学校六年生だった。
日本人を敵だと認識させるような学校で、私はこの学校の人間、いわゆる在日朝鮮人も含め全てが私の敵だということを認識した。私は本当の敵が何なのかを探す旅に出た。

今もなおその旅路の真っ只中である。



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