prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「ある友人の恋愛」

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「あなたは、私の愛にちっとも気づかない。だからといって、この愛を注ぐことを止めようと思わない」とは、この女は思わない。

この女が持っているものは、彼女自身で気づくようなものではないからだ。そこまでのことを私も要求していない。ただ、私が「愛されている」と思えるだけで十分なのだ。

 

 

 

散々な目に遭ってきた。私はハナから人間を「信じている」。しかし、それが破られる瞬間を何度も目の当たりにしてきた。そして今、簡単には人を信じられずにいる。過去の経験が色濃く残っているからか、私はこの女を全く信じていない。それでも、私の中には、正義感が唯一支えているものがある。それは、素を見せるということだ。それだけはずっと徹底してきた。いずれにしろ、素を知ってもらわねば、私の思う恋愛にはなり得ないからだ。

 


この女の愛に気づいたのは、つい最近。

それまで「いつ化けの皮が剥がれるか」と馬鹿にしていたこの女は、とんでもない「怪物」だった。もちろん、私からすると、そして今までの女と比較すると、であるが。

その瞬間、この女の「永遠性」を見て取れた。それに私の心が震えたのは、そこにいつぞやの自分を見たからだ。私がずっと失くしていたもの。本当は必要で、欲しくて仕方がなかったけど、殻に閉じこもり無理矢理に自分を納得させていたところ。それは、その正体は、以前の「私」だった。

 

私は私と出会った。ドッペルゲンガーである。もうそれは死んでいるようなものだ。永遠性とは死とも言い換えることができる。要するに、この女と出会った瞬間に、私は死んでいたのだ。皮肉なものである。私は生きた心地がした瞬間に死んだのである。この女に殺されたのだ。そして、それは私が久しぶりに、あるいは初めて「生」を感じた瞬間だった。

 

私は基本的に、他者を殺したい・支配したいと思うタチだ。しかし、それは裏を返せば殺されたい・支配されたいということになる。

 

〈こころ〉は、簡単にひっくり返る。

 

 

 

2016年

私の叫び 90

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  1. 愛してるってのはね、たとえばこちらになんの落ち度もないのに勘違いされて飲み物に睡眠導入剤や劇薬やらを致死量ぶち込まれてそのまま死んだとしてもいいと思えるってことなのよ。真剣を相手に与え喉元を常に晒すの。だって、愛してるから。
  2.  
  3. 本当に世界平和を叶えたいのなら、みんな今すぐに死ぬべきなんだ。生きているってことはな、絶対的に自己満足なんだよ。そんな自我を晒して生きている奴が公の場で世界平和なんて言葉を使えるわけがない。世界平和を、そしてまじで言葉をなめんな!
  4.  
  5. リベラルがやたらと敏感なのは大事なことかもと思えてきている。それは現場にいて傍観することは同罪だと知っているからだし、それがどこか遠いところで起こっていたものだとしても、そうやって放っておくとそういうものは知らず知らずのうちに大きくなってしまうからだ。(指示語多し)
  6.  
  7. 共感は人を簡単に全体主義へと誘う。人と仲良くすることで大戦争が生まれるとしたら、どうだろう。共感すると、グループができる。グループができたら、そこから漏れる人が出てくる。小戦争の始まりだ。だから、やっぱり三人以上の関係を私は信じない。もちろん、国なんか信じていない。そんなものはない。
  8.  
  9. 自分が無力すぎて、情けない。だって、私ができることは自分のできることを一生懸命やって、本当にたまたま目の前で倒れている人を見つけたら、その人に声をかけたり手を差し伸べることくらいだから。それが私の〈世界平和〉だから。
  10.  
  11. 「私は、どうしたって(頑張っている)弱者の側に立ちたい」と声にしたら、涙がボロボロ出てくる。
  12.  
  13. どんなに恐ろしく、また扱いづらく苦手なものだとしても、やっぱり私には言葉しかないから。
  14.  
  15. 人を傷つけるな、と言っていない。傷つけるなら覚悟を、と言っている。どういう言葉が目の前の相手にとってどのくらいの威力となるのかをなるべくわかろうとするべきだ、と言っている。あるいは、本当に好き勝手やりたいのなら、何を言っても大丈夫な完璧な信頼関係を築け、と言っている。
  16.  
  17. 私たちの価値観が後天的に植えつけられたものだとしても、私はそれを批判しない。子どもたちにディズニー映画を観るのを止めさせろ、とは死んでも言わない。そうじゃない、どんなに洗脳されても(人間は洗脳されて正常だ)、それを知った上で自分で選択をするってことが大事なんだよ。
  18.  
  19. 最近、よく目にする。みんな社会的にはとてもす・ご・い人なんだろうけど、聞いている分には面白いかもだけど、やっぱり我慢ならない。言葉をナメてるとこ、何でも凶器になることを知らないとこかな。言葉では、世界平和とか言いながら、結果的にそれと正反対のことをやっていることに気づかない連中。確かに他人だから、関係ないとも考えられる。でも私はお節介だし、被差別者として、やっぱりそれに抗わなきゃならないと思うの。言葉だけならいらない。それは職業柄なのか、それにより更に強まった感は否めないな。たったの一言で人は人を殺し得る。確かに、本物/偽物を問うのは馬鹿げている。私の物差しがナンボのもんじゃいと自分でも思う。にしても、偽物だ。愛がない。テクニックとしての心配なら心配しないほうが優しい。人は簡単に傷ついてしまう。だから、たとえば活字にする時、その配慮を怠ることはしてはならない。ただし、それが著者の大事な主張である場合、それは編集もその覚悟を一緒に持ち選ぶんだ。たとえこの表現によって傷つく人がいることがわかっていたとしても、選ぶんだ。そのすべてをかぶる気で。それが表現だろう。それでも、そういう気持ちのない奴らが世界平和と言う。私とおんなじことを言う。それが悔しくてたまらない。こんなに悔しいことはない。悔しくて仕方がない。無理やり世界平和を作ろうとして生じた負はすべて製作者がかぶるべきなんだ。そうでない思想なんてヤワすぎる。私は本気でやってるんだ。それでも、やってみなきゃわからないと言う。違うだろう、関わらせた人がいるんだぞ、手出したらケツ拭くまで面倒見なきゃならないんだよ。そんなの全然世界平和じゃない。本来、計画的に人助けをするとか、誰かと誰かをつなげるなんてできないんだよ。じゃ、そこで問題が起きたらどうするの? ちゃんと最後まで看取ってくれるんだよね? 絶対に途中でこいつは使えないって切るよね? だったら、お前の世界平和ってのはなんなんだよ。思うのは、どうしてそういうことをしちゃうんだろうって。かなしいの。とってもかなしいの。また世界平和が遠ざかる。
  20.  
  21. す・ご・い人の「最近おもしろい奴いないな」「昔の俺に似ている」という発言が無理すぎる。そういうのが私は本当に苦手で、やっぱりなんだろう、すごく怖いのはそういう人たちにとってはそういう言葉がすごくナチュラルに出ていることなんだよな。たぶん、普段めちゃくちゃ人を傷つけてると思えるの。
  22.  
  23. 私はな、子どもたちがピクニックに行くのを止めてしまうような大人にだけは絶対になりたくないんだ。
  24.  
  25. やっぱり「仕事ができる」という言い方が好きじゃない。先書いたような人たちは「仕事ができる」んだ。私自身、仕事ができるかはわからない。できると言われることもあるが、自分ではできないと思っている。でも世界観は持っているし、やりたいことというか、まだまだやれることはあると思っている。これまで、そういう仕事のできる人たちの多くに愛がないと私は感じてきた。たぶん、私のヘンテコなハードルが高すぎるんだと思う。たとえば、そういう人たちは、仕事を円滑に進めるために相手を気遣うこと(フリ?)ができる。おそらく、電車の中でも老人にスマートに席を譲るだろう。だから、私はその先を問うているのだ!!
  26.  
  27. 人間は、本当はその輪郭しかないのではないか。球ではなく、円であるということ。奥行きは幻。
  28.  
  29. だって、どうしても欲しいって言わせたいじゃん。

 

私の叫び 89

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  1. 被差別者にも流儀というかモラルが必要である。むしろ被差別者にこそ、だ。「今日はカエル、明日はヘビ」というように、簡単に被差別者は差別者にかわってしまう。そのことをこそ、被差別者は心して生きなきゃならない。ただ差別をするな、と抗するだけでは、望んでいる未来をつくるのには足りない。
  2.  
  3. 最近は、うまく言葉にできないことが多くなってきた。でも、それを言語化して無理やりわかろうとする必要はない。それはそのままでいいものなんだ。言葉にできないことが多くなればなるほど、むしろ自分としてはとっても安定するように思える。すべてを言葉に託してしまっては、ある意味では無責任だ。
  4.  
  5. 急に自信満々というか、「だってこうなんだもん」という圧倒的に真であることを信じて疑わない自分と、何もかもが砕け落ち壊れ、なくなってしまうという不安に苛まれる。
  6.  
  7. 輪郭を奪われそう。
  8.  
  9. 「絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあり、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちはこの流れを止めないために食べ続けている。この分子は流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っている。個体は、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない」
  10.  
  11. 必要/不必要とかじゃないんだよな。得る/失うでもないんだよな。そうなんだもん。
  12.  
  13. 何ヶ月か前からちょっとしたことでよく涙を流す。男の子が一生懸命走っていたり、女の子がランドセルを背負っていたり、障害者の子が車椅子サッカーをやり始めたことで普段出ていなかった体育の授業に出席し外から声を出していたりするのを見ると泣けてくる。単に涙腺が緩いとかそういうレベルでなく。
  14.  
  15. 何度も夢を見て、その度にそれが夢か現かわからなくなる。その頻度も高まり、そもそも夢の中こそ現実なのではないかとも思えてくる頃、私はまた夢に誘われる。シュタゲ的にいえば、もうどの世界線を自分が歩んでいるのかわからなくなる。そのすべてが現実だとしたら、この私の意識はなんなのか。
  16.  
  17. そう考えると、のうのうと飯を食い、睡眠をとっている自分がなぜ死なないのか不思議で仕方ない。死にたい。それは、単なる逃げかな。それとも、結論を出したくないだけかな。私にはもうわからない。
  18.  
  19. 「暗示性が具体的な形を取るまで待てばいいと思うんだけど、何かを無理に変えるのではなくて、ただ公平に物事の流れを見ていけばいいと思うんだけど、言うのは易しいけれど忙しいわたしたちには難しいね。」
  20.  
  21. 基本的に奪われるのはいいが、奪うのは気持ちが悪い。
  22.  
  23. これが私でなく、また私であるという事実を認めることで、「私」はいなくなる。まぁ認める以前に、そうなのだろうが。となると、私である必然性がない。たまたま偶然、全体と連なって生きているだけである。そこで、本当に運命の相手などが必要になるのだろうか。それは本当にたまたま近くにいたってだけの話なのか。でも、そういう場の利はあるか。時間と場所。
  24.  
  25. 「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ」福岡伸一
  26.  
  27. 「『直感に頼るな』ということである。つまり私たちは、直感が導きやすい誤謬を見なおすために、あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。」福岡伸一
  28.  
  29. 「私たちは『おなかが痛い』と言うときの『おなか』を、自分の身体の内部のように思っているが、生物学的にはそうではない。」福岡伸一
  30.  
  31. そうか、私は他人に自分を救って欲しいだなんてこれっぽっちも思っていないんだな。いつからか、私は別に誰かに救われたいとは思わなくなった。ただ誰かを救うというか、もし仮に私がいることで、相手にとって何かしらのメリットなりきっかけなり装置みたいなものになり得るのなら、そういうことに協力? してみたいとは思っている。人は誰かに救われるのではなく、結局自分を救うことしかできない。もし仮に誰かに救われるとしたら、自分で自分を救った後、その誰かがたまたま近くにいたってだけだと思う。
  32.  
  33. 尹さんの、子どもがオムツを替えたくないと言っている時に、困っていたのは自分(大人)ではなく、子どものほうだった、という話が印象的。今でもそういう「文化」の違いによって生まれる齟齬みたいなものに苦しむことがあるので、そういうものをどうにかして拾ってあげたい、といつも思う。

 

「以前、どこかでお会いしましたか?」

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あなたと〈再会〉する瞬間。

編集者としてあなたの事務所を訪れ、執筆依頼をする。

あなたは私と初めて会ったような面をし、すべて敬語か丁寧語だった。私もそれにならう。

本当は初めて会ったのかもしれない。

持ってきた企画に、あなたは二つ返事。

余計な会話は一切なかった。

事務所を出る時、あなたは言う。

「以前、どこかでお会いしましたか?」

 

2016年 秋

「それは絶対的にその絶対を絶対するってことなんだ」

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自分が編集者なのだと気づかされた。

時が過ぎるのはとても早い。あの頃、自分の中には伝えたいメッセージが溢れるほどあった。それゆえに自分の主張をこれでもかといろんな人に伝えていた。

でも今は少し違う。

私は相手の話を聴き、相手の核となっているものが何なのかを探ろうとすることに重きを置くようになった。

職業病なのだろう。

 

それでも変わらないものは変わらない。

私は更に「無邪気になった」。

また、「穏やかになった」。

 

時はまるで過ぎていない。あの頃、私はこの世のことがすべてわかっているような錯覚に陥っていた。しかし、それはあながち間違いではなかったと思う。本当にいろんなことを知っていたし、わかっていた。

でも今は少し違う。

今では何一つわからないのだ。まるで一つもわからないのだ。わかっている自分はここに確かに存在しながら、それでもわからないと思う自分がいる。

本当に直前の直前までジャッジしないこと、極端にいえば、その最中にさえも一切判断しないこと。

そこに私の今、今の私がある。

 

たとえば、「おはよう」という一般的にはよいとされる言葉でさえ、相手にとってはとてつもない凶器に簡単に変わってしまうことを「言葉一つで傷つくようなヤワな私♩」は経験的に知っている。

 

「私はね、いつだってこの場で一番の『弱者』を見つけるの。それもね、とびっきりの『弱者』を、ね。厳しいかもしれないけれど、条件は一つ。頑張っていること。もがいていること。悩んでいること。苦しんでいること。ガムシャラなこと。恥を晒すこと。」

 

私の話に耳を傾けてくれる人なんていなかった。

だから、人の話を前よりも聴くようになったのかな?

そんなことをしても、誰も聴いてはくれない。

やはり、それは職業病だろう。

 

私は私を救いたい。私は私で私を救いたい。

これは私の人生だから。これは私の闘いだから。

 

感情的にはいくら流されてしまってもお釣りがくる情況で、あなたがあなたの主張を通せたら、こんなに誇らしいことはない。

 

それでいい。それで絶対に間違っていない。

一切間違いがない。あなたはあなたの闘いを。

あなたの勝利は目前だ。

 

人生は勝ち負けじゃないっていうけど、私の言っているのは、いわゆる勝ち負けじゃない。

(私の言っていることは、わかりにくい。)

カッコ悪くても、たとえそれで幸せを逃したとしても、全然問題ない。

それがたとえディズニー映画によって後天的に洗脳されたものだとしても、あなたがあなたであるために選んだことは絶対なんだ。

だから、その絶対を大切にしてほしい。

 

それで「捧げたい今♩」と思うとき、その絶対を譲ってあげなさい。譲れない想いがある人が譲るんだ。

 

それは絶対的にその絶対を絶対するってことなんだ。

 

宇多田ヒカル/誓い♩