prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

私の叫び 89

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  1. 被差別者にも流儀というかモラルが必要である。むしろ被差別者にこそ、だ。「今日はカエル、明日はヘビ」というように、簡単に被差別者は差別者にかわってしまう。そのことをこそ、被差別者は心して生きなきゃならない。ただ差別をするな、と抗するだけでは、望んでいる未来をつくるのには足りない。
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  3. 最近は、うまく言葉にできないことが多くなってきた。でも、それを言語化して無理やりわかろうとする必要はない。それはそのままでいいものなんだ。言葉にできないことが多くなればなるほど、むしろ自分としてはとっても安定するように思える。すべてを言葉に託してしまっては、ある意味では無責任だ。
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  5. 急に自信満々というか、「だってこうなんだもん」という圧倒的に真であることを信じて疑わない自分と、何もかもが砕け落ち壊れ、なくなってしまうという不安に苛まれる。
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  7. 輪郭を奪われそう。
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  9. 「絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあり、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちはこの流れを止めないために食べ続けている。この分子は流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っている。個体は、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない」
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  11. 必要/不必要とかじゃないんだよな。得る/失うでもないんだよな。そうなんだもん。
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  13. 何ヶ月か前からちょっとしたことでよく涙を流す。男の子が一生懸命走っていたり、女の子がランドセルを背負っていたり、障害者の子が車椅子サッカーをやり始めたことで普段出ていなかった体育の授業に出席し外から声を出していたりするのを見ると泣けてくる。単に涙腺が緩いとかそういうレベルでなく。
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  15. 何度も夢を見て、その度にそれが夢か現かわからなくなる。その頻度も高まり、そもそも夢の中こそ現実なのではないかとも思えてくる頃、私はまた夢に誘われる。シュタゲ的にいえば、もうどの世界線を自分が歩んでいるのかわからなくなる。そのすべてが現実だとしたら、この私の意識はなんなのか。
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  17. そう考えると、のうのうと飯を食い、睡眠をとっている自分がなぜ死なないのか不思議で仕方ない。死にたい。それは、単なる逃げかな。それとも、結論を出したくないだけかな。私にはもうわからない。
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  19. 「暗示性が具体的な形を取るまで待てばいいと思うんだけど、何かを無理に変えるのではなくて、ただ公平に物事の流れを見ていけばいいと思うんだけど、言うのは易しいけれど忙しいわたしたちには難しいね。」
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  21. 基本的に奪われるのはいいが、奪うのは気持ちが悪い。
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  23. これが私でなく、また私であるという事実を認めることで、「私」はいなくなる。まぁ認める以前に、そうなのだろうが。となると、私である必然性がない。たまたま偶然、全体と連なって生きているだけである。そこで、本当に運命の相手などが必要になるのだろうか。それは本当にたまたま近くにいたってだけの話なのか。でも、そういう場の利はあるか。時間と場所。
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  25. 「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ」福岡伸一
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  27. 「『直感に頼るな』ということである。つまり私たちは、直感が導きやすい誤謬を見なおすために、あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。」福岡伸一
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  29. 「私たちは『おなかが痛い』と言うときの『おなか』を、自分の身体の内部のように思っているが、生物学的にはそうではない。」福岡伸一
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  31. そうか、私は他人に自分を救って欲しいだなんてこれっぽっちも思っていないんだな。いつからか、私は別に誰かに救われたいとは思わなくなった。ただ誰かを救うというか、もし仮に私がいることで、相手にとって何かしらのメリットなりきっかけなり装置みたいなものになり得るのなら、そういうことに協力? してみたいとは思っている。人は誰かに救われるのではなく、結局自分を救うことしかできない。もし仮に誰かに救われるとしたら、自分で自分を救った後、その誰かがたまたま近くにいたってだけだと思う。
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  33. 尹さんの、子どもがオムツを替えたくないと言っている時に、困っていたのは自分(大人)ではなく、子どものほうだった、という話が印象的。今でもそういう「文化」の違いによって生まれる齟齬みたいなものに苦しむことがあるので、そういうものをどうにかして拾ってあげたい、といつも思う。