prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

私の叫び 84

f:id:youtalkingtome:20180424202718j:image

 

 

  1. 何を言っているのかサッパリわからないような本を読んでください。本の内容なんてわからなくていいんです。その時に考えたことや、感じたことがその本の内容なんです。
  2.  
  3. 恋人やパートナーは理想の相手なんかでなくていい、自分にとって「本物」であるということが最も大切である。
  4.  
  5. 価値観がまったく違えども、互いが少なくとも「わかり合える」関係でないと、仮にその相手が死んだ場合に、誤解したまま離れることになるから、嫌なんだと思う。
  6.  
  7. 感情論を一切抜きにして、立場的な弱者を守ること。頑張っている、動いている、その弱者を切り捨てることのないように。
  8.  
  9. 一緒にいて疲れない人とか無害な人って、その人にとってそうなだけで、また別の人からしたら、クソ疲れる人、めちゃくちゃ害のある人になるわけじゃん。
  10.  
  11. デンベレとマッチアップして勝てる気がまったくしない。
  12.  
  13. サッカーも同じだけど、みんな目の前の相手を「殺し」ながら進んでいるんだ。
  14.  
  15. 私の身に起こることは、基本的にはすべて私が引き起こしていると考えている。それが自立しているってことじゃないのか。
  16.  
  17. 自分が嫌だと思うことを相手が勝手にやめてくれることなんてなかった。その時点で、相手は私のことを知ろうとしていないどころか、見ていないとわかる。これに気づいた時、恐怖だったのは、私も同様に相手が嫌がるようなことを気づかずにおかしているのではないかということ。
  18.  
  19. すごく難しいのだけど、たとえば何代か前からの伝統を受け継ぐとしたら、その本質だけを捉えればいいわけではない。その時代と今の時代とのギャップも考えて、少し引っ張ったり押したりしなくてはならないんだ。伝統を守ろうとすることにこだわるあまり、ここがスッポリ抜けてしまっている思想が多い。
  20.  
  21. ただセクハラをしないと誓うのではなく、目の前の相手が何に悲しみ怒るのかを毎秒考え続けることが大事なんだ。
  22.  
  23. 「いい日本人も悪い日本人もいる。いい外国人も悪い外国人もいる」じゃ物足りない。「いい日本人の中にはいい日本人と悪い日本人がいる。悪い日本人の中にはいい日本人と悪い日本人がいる」くらいまでは外でも考えたいね。
  24.  
  25. 考え続けろ。疑い続けろ。そして、信じ続けろ。
  26.  
  27. すべては一方によって作られるのではなく、両方により作られる。いずれにせよ、なんだかの形でどちらか(あるいは両方)が引っ張られてしまうのは避けられないのだが、それがどちらかにのみ引っ張られてしまうのは「正しく」ない。「よく」ない。理想は、一方は一方で独立・自立している状態である。
  28.  
  29. すべては共犯関係にある。よって、引き起こされた現実の事象というものは、なんだかの(一方が作った)きっかけであるにしても、両方の「責任」になる。悪いことが行われているとしたら、そこで黙っている方もまた共犯者なのである。私の正義感からいくと、むしろ黙る方にこそ「責任」があると考える。
  30.  
  31. これは、すべての人間関係にも当てはまるだろうし、権力と非権力、政治と国民、送り手と受け手の関係にも該当する。テレビを見て情報を鵜呑みにするとしたら、それは私たち視聴者がそれを担保し、また作り上げてしまっているんだ。送り手に一切の責任がないとは思わないが、やはり受け手にも責任がある。
  32.  
  33. 「○○のなにが可愛いのかわからない」と言う時、必ず「○○を可愛いと思っているみんなとは違う」という「上から目線」があるように思う。それはなんのための発言なのか。マウンティングのためだろう。それでみんなが幸せになるか。余計なことは言わないほうがいい。そんなのは自分の中で殺せよ。
  34.  
  35. パワハラやセクハラに対して厳しい世の中になり、なかなか色んなことを発言しにくくなったと言う人がいるが、だとしたらまったく会話ってものをやってこなかったと自白しているようなものなんですよ。相手が嫌だと思うようなことを平気でやってきたということです。でも、そんな意図はないとか言いますよね? 「ごめん」で済んだら、警察はいらないのか。
  36.  
  37. もちろん仕事において、上司や責任者が部下や後輩を指導する場合には、嫌なことを言うべき時もあると思います。まぁ結局、個人個人のレベルというか、思いやりの問題でもあるのかな。でも、殴らなくても大声を張り上げなくても、いくらでも指導はできますよ。何を目的としていますか? ストレス発散?
  38.  
  39. 社会問題に関心のない人がいる。本当のことを言えば、私もわりに関心がないほうだ。ただ仕事柄、そういうのでマウンティングしてくる輩が多いから常に情報を仕入れているだけである。どんな社会問題も結局、構造は単純で、日常的な問題についてちゃんと考えることができれば、自分の意見で斬れるものばかり。
  40.  
  41. 日常的に起こる問題や、友人や知り合いの喧嘩の解決方法を考えることができれば、ある程度、どんな大きな問題にも対応できると思う。社会問題ばかり熱く語る輩のなかには、それ自体が目的になっている人がいる。そういう人は、時事に関心のない人を馬鹿にするが、日常的な問題についてはそこまで考えていないことがある。
  42.  
  43. ファッション好きな人って、見ただけでわかるじゃん。本当にファッションが好きなんだろうなって思う。その人は、なぜ人間が洋服を着ているのかまで考えているのかな。
  44.  
  45. 「右翼」になるには一瞬だが、「左翼」になるには、不断の努力が必要と思われる。
  46.  
  47. 私はおそらく自分の悲しみや痛みに対して鈍感なんだと思う。これでもあんまり感じていない方なんだ。どこかがバカになってしまっているのか、または幼い頃の経験からリミッターが用意されてしまっているのか。だから他人から言われて、はじめて客観的には辛いことだったんだってわかることがある。あんまり自分では辛いとは思っていない。だって、自分で決めた人生だし、起こることがどんなに理不尽なことだとしても、それを覆せないのは自分の力不足だと思うから。だから、そこで自分が可哀想と思うのは、私からしたら卑怯なんだ。自分ではそんなナメた判定はしない。だから本当に辛い時、そんな時があるのかさえわからないけど、意外と何にも表現しないんだろう。
  48.  
  49. 3度目の『500日のサマー』、私があの映画に神様として出たとしたら、488日目にトムにこう言う。「トム、なんでそんなに悲しそうな顔をしているんだい? 君の愛が伝わったんだよ。全然落ち込むことじゃない。君は、愛なんて信じない人に運命を教えてあげられたんだ」
  50.  
  51. 小学生からヘイトスピーチをカラダ中で浴びている私だから、そういうものには免疫がある。それは的外れなこともあるとわかっているからほとんど痛くもかゆくもない。まぁ最悪、ムカつけば倒しに行けばいい。でも、そんなものより普通に親とか恋人とか友人から浴びせられる、人を人とも思わないような、鬼のような言葉のほうがずっとクるよね。
  52.  
  53. いつだって自分が相手に嫌なことをしてしまっているのではないか、極端に言えば、自分が生きているだけで迷惑をかけている、自分が生きているのが憎くて仕方がない人がいると思えなきゃならないと思う。急に被害者ヅラする人もいるけど、もっともっといろんな弱者がいることに気づかなきゃ。
  54.  
  55. 確かに、嫌なことをされて訴えるのは大事だと思う。世の中ってそういうもんよね、と流しちゃダメ。私は闘う。でも、常に自分に縛りや、監視を用意する。そうでなゃ、「多様性を認める」なんて達成できない。結局どこに行ったって、私と違う感覚の人しかいないんだから。それは、ある意味では希望だ。
  56.  
  57. 私が愛してるのは、お互いが全く違うものだったとしても、わかりあえると信じてるから。
  58.  
  59. 編集者は、たとえ文才がなくとも、その文章が拙くとも、最低限、著者の心に触れるようなラブレターが書けなくてはならない。
  60.  
  61. 日本について。問題は自信がないこと。なぜ、ないのか。自立していないから。自分の価値観を持っていないから。自分の足で立つには、全て自分でやらなくてはならない。自らの言動に責任を持つこと。一生懸命に生きること。その代わり、自由だ。自立するというのは自由であるということだ。
  62.  
  63. みんなね、正解が出したいのではなくて、正解を出しておけば誰にも文句を言われなくても済むからそうしているだけなんだ。自分や誰かのために、この場面に一番合った正解を出したいとは思っていない。だから、一般的に正解といわれるものを出す。それで迷惑した人が文句を言うと、「逆ギレ」することさえ、許されると思っている。
  64.  
  65. 正解なんてないからこそ、その正解を考えることが大事なのに、多くはそれを放棄している。当たり障りのない答えを出しておけば、誰にも怒られずに済むから。でも、それは考えていないということだ。結局、海老で鯛を釣ろうとしていて、問題集の後ろの解答ページだけを見て、正解を書けば満足なんだ。
  66.  
  67. 「他人から肯定されるために“して見せる”自己否定」、それを私は自虐風自慢(マウンティング)と呼んでいる。
  68.  
  69. たとえば洗濯物を干したまま家を出たとする。雨が降ってきて濡れてしまう前に誰かが取り入れる。私からすると、その時に取り入れた人はお礼を求めてはダメなんだ。それは、相手のためにやったなんてことにはならない(一般的にはなるのだろう)。その人が自分の「利益」のために、またはやりたくて好きでやったんだ。(この考え方はキツいのかな。)自分が洗濯物を取り入れたとする。その時に、「なんで勝手に入れたんだ!」と言われたら、謝る他ない。もしかしたら、(そんなことはないだろうが)濡らす必要があったのかもしれない。「濡れそうだから入れてやったのに、お礼の一つもないのか!」。これだけは言ってはならない。勝手を踏んだのは、自分なんだ。もちろん、ここで単純に「取り入れてくれてありがとう。助かったよ」と言うことがベターだ。相手も「どういたしまして」と返す。ただこの時、〈もしかしたら取り入れてほしくなかったかも〉という考えが脳裏によぎらなくてはならないと私は思う。その考えがあれば、仮にキレられても、謝ることができる。先に動いた方が責任を負うんだ。
  70.  
  71. そうか、身体的に経験しているものは絶対の自信を持てるんだ。やっぱり身体性が大事だ。そこは揺らがない。負ける気がしないのは、そういうことか。思想はまだまだユルい。いくらでも変更可能だし、議論したとしても、まっとうな勝負ではないから、未知数。体がぶつかるサッカーの経験は絶対だ。
  72.  
  73. 10年ぶりに会った高校サッカー部の友人が第三者に「この人は日本人よりも日本人で、日本人より日本の文化についてよく知り、実践もしている」「この人は筋を通す。曲がったことは絶対に許さない。だからって愛がないわけじゃない」と私の紹介をしてくれたが、高校時代にそんな話をしたことはなかった。ふと気になり、「なんで私のことそんなにわかるの?」と聞くと、高校時代にパスを出し合ったから、と言われた。なんとロマンチックな。実は、サッカーのパスには「メッセージ」が含まれていて、私もまだ高校時代には覚醒していなかったのだけど、彼はそれをちゃんと感じ取ってくれていたのだろう。私が一番変わった大学時代には会うこともなかったのに、こうも私のことがわかるというのは不思議だ。しかし、そう考えると、私は高校時代から何にも変わっていない。そして、彼も私と全く同じような正義感や公平性を持っていることがわかる。できることなら、高校時代にこの話をしてみたかった。私たちはレギュラーではあったが、技術的に高い方ではなかった。割に気合い頼みというか、状況を俯瞰で見、周りを使ってサッカーをするタイプだった。ただ、私たちにはとにかく体力があった、持久走は他のメンバーに負けなかった。そのような劣勢の立場にいたからこそ、こういう考えに至ったのかもしれない。いつだって能力が劣る=負けとは思わなかった。そんなものは最初からどうでもいいものだった。客観性、論理性、状況把握能力、あとは両足でのサイドキックとインステップキックの正確性、対人で負けないこと、それらがあれは、どんな強豪校とやってもマッチアップする相手に負ける気はしなかった。彼(左サイドバック)曰く、私(トップ下)のパスにはビジョンがあり、やりたいことが見えたらしい。全然見えないであろう、逆サイドで走っているフォワードに出したいがために、彼に左足・ダイレクトでしか間に合わないような弱めのパスを出したことがあり、明らかにそこには意図があったと言われた。サッカーってのは会話なんだな。
  74.  
  75. たとえば、本当に復讐したいのなら、感情をグッと押し殺して、その場は逃げ、次のチャンスをうかがう。これが目的達成のために取るべき選択だろう。なのに、なぜ感情ばかりが優先し、明らかに劣勢にもかかわらず、この場で相手を倒そうとするのか。私にはわからない。絶対に負けたくないじゃないか。