prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

この場で一番の「弱者」は誰か。

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私は単に立場的に弱いものを弱者と認めない。頑張っている(行動の伴っている)弱者をこそ、弱者とする。その上で、弱者とされるもの、「小さくされたもの」を助けたい、というとおこがましいが、その人に連帯したい。

弱者の声に耳を傾けたい。

 

この場で一番の弱者は誰か。

 

誰にでもわかる明らかな弱者を私が助けることはない。私の出番ではないからだ。

「狙って」泣いている女の子を救うのは泣いている女をほっとけるはずがないと思う男に任せればいい。

【バカップルの誕生】

 

私は、なにより権力のある強者とされるものが弱者となる瞬間を見逃したくないのだ。

 

マイノリティや、立場の弱い人の気持ちをわかろうとし、彼らを擁護するような立場に立とうと思う人はね、その場で一番の弱者が誰なのかを真剣に考えなきゃならないと思う。

私は、突然何かが起こって、権力者がマイノリティになる瞬間を見逃すようなリベラリストにだけはなりたくないの。

 

結局、そういう風に言ってしまうと、その人が最も大事にしていた主義・主張と反することを自らがやることになってしまうことに気づけないのか。

私はたとえここで死んだとしてもそうなりたくない。それが、私にとって人間としてちゃんと責任を持ってこの地球で生きるってことだから。
そうじゃなくて、そういう被害を受けたからには、少なくとも弱者やマイノリティに対して少しでも傷つけないように言葉を選んだり、誤解されないような態度をとったりすることが、傷つけられた人ができる最高の姿勢じゃないのかな。

結局、私が「弱者」、「小さくされたもの」の存在に気づいてあげられなくなると、母はおろか、父のことさえも「救えない」人間になってしまうんだ。

私は両親を救いたい。

それが、世界平和へと繋がると信じている。

 

目の前にいる人を【ハラワタを突き動かされて】救えなきゃならないんだ。

頭で考えることではない。

 

たとえば、いかに白人を恨んでいる黒人でさえも、黒人街で金髪白人女性が道で倒れていたら助けるでしょう。

違うのかな、少なくとも私はそうありたい。

そういう場面では、反射的に体が動くと予想している。

 

父は、「評価に値するのは行動(結果)のみ」と言った。しかしそれは必ず、「プロセス」を含んでいる。

父の誤解されている点は、私がみんなに誤解される点と重なる。

結果だけを求めていると勘違いされるが、本当は「優しすぎる心」を経ているんだ。

 

男女平等ってなんですか? 共働きでも女の人が料理を作らないといけない暗黙の縛りはなんですか? 全然平等じゃない。それを込み込みでやっているのならいいと思う。でもそこで女の人が私の方が負荷がかかると思っていながらもやっているのなら、やはり目に見えない「常識」に縛られていると思う。

男女平等を目指すのであれば、女の人に「料理作れるの?」と言うことはセクハラだろう。

 

どんなときでも、自らの加害者性に気づかなくてはならない。

 

自分が楽だからこれでいいと思っていても、そのせいで周りが迷惑しているのなら全然平和的じゃない。話し合って役割分担を決めることも大事だろう。助け合いの精神ってのが難しい。その人にとってのキャパもあるし、その点、ずっと家事をしている父は本当に偉い。

 

愛, 優しさ, 慈愛, ほっとけない精神
論理, 整合性, 筋
正義, 倫理, 公平
情熱, パワー, 熱量

 

この日本にいて相手がいる状況ならば、必ず「正解」はある。

でなければ、快楽殺人犯はいくらでも人を殺してもいいということになってしまう。

極端なのではない。大なり小なりそういうところの甘さがある人はいつだって自分だけが攻撃できる、救われる論法を使う。だからそれが私の正義に反するのだ。

 

‪どんなにウザくてヤバい奴がいたとしても、私はそいつとの関係を自ら切らない。

少なくとも、話をすると思うんだ。

そうやって話すことさえしない人たちは、殺人犯は自分らとはまったく違う価値観を持っている、単なる異常者だとして思考停止してしまうだろう。

その結論こそが殺人犯を育てるとしたらどうだろう。‬