私の叫び 75
- どこか遠くへ行ってお土産を買ってきたとして、たとえばそれがそこの名産品ではなく、どこでも買えるようなものだったとしても、それをちゃんとそこの名産品として買ってきたと思える送り手と受け手があってはじめてそれが「そこのお土産」になるのではないだろうか。
- 例えばね、私が言っている愛ってのはね、ヨーイドンで同じスピードで同じ小説を読んで、同じところで笑っちゃうというようなものではないのよ。
- 知ったかぶりして、深く頷いていたら、あちらが間違っていたことに気づき、訂正した後、こっちはどういう顔をすればいいの? こっちのが弱者だろ。弱者の気持ち考えろ!
- 私は、その人間を「甘ったるい愛」を持っているか否かで判断している。そういうものを持っていない人を私は信用できない。最終的には、そこだ。それを判定する方法を、言語化はできないのだけれど、確かに「わかる」ものなんだ。はっきり言って私の周りでも、ほとんどの人はそれを持っていない。
- 結局、私からすると、信頼できる人間にはそれがある。それとは、甘ったるい愛みたいなもので、信用できるかどうか、信頼感というか。嘘をつくとかそういうのはどうでもいい。真っ直ぐであることなのかな、人を疑わないというか、こっちに寄りかかってくるような…。それがある場合、私は裏切らない。
- 人は、絶対に、今ここで変われる。
- 君の地獄のおおもとを辿ったところで、僕にとっては何の利益にもならない。本当に互いが互いを救うというような関係になる場合、必ずそこには一切「引かれる」ものがないはずなんだ。互いにとって益があるはずなんだ。だから、頑張ったら何かが得られるだなんて現代教育思想は早くから捨ててしまえよ。
- 「君が抱える地獄を背負ってあげよう」とすればするほど、君が相手を地獄に陥れるんだ。
- 問題は、初対面の人が、自分を信用してくれるか否か、だ。
- ある意味では、地や素を出せないのは、環境が悪い。上や、仕組みが悪いと思う。その中でどうやってそれを出すかというのが個人に課せられた問題なのだが。大学でもそれを出せない人間が、社会でそれを出すのは至難の業だろう。
- 周りが私のことをどう評価するかは、あくまで周りの仕事。私の管轄ではない。私は私がやりたいように生きる。自由に生きるということだ。自由なぶん、責任はつきまとう。当たり前だ。走ったからこけて怪我をする。でも走りたいから走る。そういう基本的なことを私たちは忘れている。アドラーを読もう。
- 習慣としているものを一つずつぶっ壊していこうかな。そうしたら、変わる。
- 私が常連だからといって、たまごのトッピングをサービスした日から、このラーメン屋の店員さんは、私にたまごなしではラーメンを出せなくなる。
- 家族だからって何もせずに信頼があると思っている輩が多い。家族なんて他人、完全に他人だよ。だから家族のために私が動くとしたら、それは情からだし、義務からだ。本当に信頼を勝ち得たいのなら、努力しなくてはならない。自分がどんなに辛い状況でも、その人のために動いて、初めて何かが芽生える。
- たとえどんなに間違ったものだとしても、その人が考えて決めたものであるならば、そしてその責任を取る覚悟があるのなら、それは「正しい」し「強い」。
- 誰も教えてくれない。自分で見つけるしかない。今までの人生でもそうだったように。
- 相手が嫉妬しないとか、選択を誤らないということじゃなくて、「(自分に)全幅の信頼を置いてくれる」ことだけが生きる糧だろう。何かトンチンカンなことを言ったって、道を踏み外したって前面的に君を肯定するということだろう。でも間違わないんだ。そして最後には、大間違えをして殺されればいい。
- 要するに、君に一切影響されない自分になった時にこそ、ということだろう。自分を生きる。自分のやりたいことを責任を持ってやること。
- なんの縛りもないからこそ、強い「縛り」が発生する。それを人は、縁とか運命とか宿命という言葉にした。
- 「私たちがつながるとすれば、〈言葉〉や〈文字〉を介してだと思う」
- 君は愛想を振り撒いた。振り撒けるだけ振り撒いた。
- 積もりに積もって地球は一回転する。僕は君になり君は僕になった。互いに鏡の中の人間が一体誰なのかさっぱりわからなくなる。「これが私?(Doppelgänger)」。君はもう一回転させれば元に戻ると思い、ずっと同じことを繰り返している。
- 共感してくれるのではなく、叱ってくれたり、私にとっては無茶苦茶な論理みたいなものを振りかざされたりするのも、実際私が生きていく上ではとても大切なことなんだと思う。ただ共感するのは、慰め合いにしかならない。時にはそこからとんでもないアウフヘーベンも起こるのかもしれないが。
- たぶん常に新しい自分に出会わなければ、人間は死んでしまう。変わり続けることで生き続ける。
- 元ネタわからないだろうなって人に無理やり難度の高いものを放り込むのが好き。それを知らなくてもわかってくれる奴はわかってくれる。おそらくは、元ネタがあるんだろうなって。
- メールだと「三重」に確認が必要。電話だと「二重」。会ってるときは「一重」。他人とのやりとりに「重」がないときなんてない。
- 誰にも左右されない。私は私にしかできない、私のやりたいことを表現する。だから、いまは本を作る。
- 私が考えていることは、本当に個人的なことで、ただ目の前の相手とどうすれば友好的な、互いに気持ちのいい関係を作れるか、ということだ。国家や家族単位で考えると不確定要素が多すぎる。だからこそ、いま目の前の相手をどうやって喜ばせるかに力を注ぐことが大事だと昔から考えている。
- 目が合ったら、すべてがわかってしまうような、そういう瞬間が私は大好きだ。その瞬間、まったく気を遣わなくても成り立つようになる。最低条件を互いがクリアしたことになる。そこからは、差異を楽しむんだ。もうただただジャズ。