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私が関わった人間は全て私の作品である

紀里谷和明と宇多田ヒカルの離婚

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結論から言うと、紀里谷和明宇多田ヒカルは互いに「運命の相手」だったと思う。

だから、現在の結果に、世俗的な私としては、とてもかなしく思う。

でも、当人たちはある意味、「大成功」であったと思っているに違いない。

いや、紀里谷は、か。

 

宇多田ヒカルは、誰かが救えるようなタマじゃない。

私は、宇多田ヒカルの力強く、(ナチュラルに)孤高に生きようとする歌詞に共感する。

 

ああいう「孤独の天才」を、男たちはどう救えばいいのだろうか。

正直、救えないと思うんだよね、「真面目な」男たちには。

イタリア人と結婚したけど、その人はたぶんそういうのを押し付けないのだろうね。

 

宇多田ヒカルは寂しさや、孤独みたいなものを感じてはいる。

でも、変だけど、そのままでいいのよね。

ある種、“病気”だから。

 

真面目な男が救うべき対象じゃない。

 

彼女は、やっぱり孤独を感じていない。

彼女自身が「孤独」そのものだからだ。

でも男側から見ると、女神に見えるから困ったものだ。

 

イタリアの人は「日本人的」ではないと思う。

実際は、宇多田ヒカルはどこかしら日本的なのよね、彼女の基本システムは外国人だけれど。

だからこそ、結婚相手のイタリア人に救われているんだろうと思う(紀里谷の救い方とはかなり違う)。


そして、イタリア人の前での宇多田ヒカルは本当の宇多田ヒカルではない、と紀里谷は考えているはずだ。
問題は、宇多田ヒカル自身、本当の自分がなんなのかを知らないことだ。

 

ある意味では、紀里谷が見たのは、彼が思い願った宇多田ヒカルで、そしてそれは虚像。

「孤独の像」

真面目な男には、そう見えてしまうと思う。

 

矛盾するかもしれないけれど、惹かれるってことはある意味、運命の相手じゃないんだよね。

とても難しいのだけれども、だったら会わないままの方が「美しい」。

ただ会わずにはいられないよね、そんな人を見つけたら。

でも、その先の進み方なんてわからない。

(片方が協力しないようなら、無理なのかな)

 

「恋する」瞬間に、本当の自分があらわれるとして、紀里谷和明は「情が深く優しい女」に、宇多田ヒカルは「解放され自分らしく強く孤独な男」になった。

だから、それはある意味では、幻想的でハッピーで、「最高の恋」なんだと思う。

 

結婚とか離婚とかいう制度の上に二人の関係はない。

 

※敬称略

 

2016.8.29. 秋