prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

私の叫び vol.71

 

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  1. 相変わらず人と会うことをストップしている。みんなが嫌いなわけじゃない。でもこのコンディションでは無理だ。全員殺したいと思っちゃうからだ。私は人と会う時には、みんなはそうは思わないかもしれないが、めちゃくちゃ気を遣っている。もう本当に死ぬ程だ。適当そうに見えるのもわざとだ。全部本気で噓だ。
  2. 私には偏見があります、これもアリだ。これが少し前までの私の立場だ。でも、それは思考停止じゃないのか。私にはどんな偏見があるのか。まずは考えてみた。詳細は割愛するが、私にどんな偏見があるか、全ての偏見を挙げられなくては、私には偏見があります、とは到底言えない、私の論理では。
  3. 私が思うに、いい偏見と悪い偏見があって、しかしそれはこの社会で生きていくためには、ということだ。だから偏見をなくせ! と言うことはある意味、無責任だ。本当に全ての偏見をなくせば、私たちは何もしないだろう(私はそれを望むが)。全ての偏見をなくして、曇りなき眼でこの世界を見たくないか?
  4. ざっくり言ってしまえば、私がやりたいことは、偏見をなくしたい、だ。それはみんなのというよりかは、まず自分の中にある偏見をなくしたいんだ。私には偏見がある、と思っていたが、おそらくみんなもそうだが、自分が思っているより、私たちは偏見に支配されている。伝えることはとても難しい。全ては偏見で生きているんだ。
  5. 自分の生き方や、やりたいことが見えてきた。仕事の上でも、とんでもない野望が見つかった。私は、弱者という立場に身を置きながらも、更にそこで自分を疑い、追い込み、鞭を打つ、一つも諦めずに希望を持って生きる人間と「ともだち」になりたい。そういう人間でありたい。それは私を救うからだ。
  6. 透明人間だ。透明人間だから、ここに私はいない。周りからは見えない。私が誰かに触りたいとして、触ろうとするとスルッとすり抜けてしまう。私からは見えるのに周りからは見えない。そういう生き方。例えば、あなたが透明人間なら私のことを認識できるのかしら。だとしたら、どうやって?
  7. 人にお願いするってことは、それがたとえかなわなかったとしても、その人を恨んではならないの。そのすべてを自らが背負いこまなくてはならない。
  8. バスに乗る。全ての席が埋まり、〈私たち〉は立っていた。停車する度に立つ人がいなくなっていく。いま、私以外に立っている人はいない。そして全ての席が埋まっている。後部座席は本来なら五人席だ。しかし乗車した時から四人しか座っていない。荷物を持つ主婦が端に座っている。その荷物が私だ。
  9. 永遠、遠ざかる
  10. タイムラグを認めない世界
  11. タイムラグが永遠だったのに
  12. 永遠を手放している
  13. 本当の本当のところで、真面目な話ができない人がいる。なんの違いなんだろう。ちゃんとゆっくり相手と歩調を合わせようとする優しさというか、空気感で今こいつにとっては大事なことを言っているんだなと察する力、空気を読むとかそういうのではない。ある種の反射のような。
  14. 永遠はどんどん遠ざかる。私たちはタイムラグを認めなくなった。タイムラグが永遠だったのに、今ではタイムラグなんてありえない。だから私たちは永遠を手放しているのよ。
  15. 私は論理的であるわけではない。私はただ単に「脳」に支配されている。身体的感覚や直感がもう少し表に出る環境を整えたい。本当はふわふわに赤ちゃんみたいに生きたい。しかしそうさせないのは、周りや環境のせいではなく、私が外に心を開いていないからだ。
  16. 私の「優しい」という性質は、私の核や本心に近いところにある。そこに誰かが到達する時には、それを表出するときには、私という人間の輪郭ごとなくなっている時だと思う。そんなのがいい。私の「優しさ」を一度でもいいから出してみたい。それ以外は小手先だ。本当の私には触れさせない。
  17. でもその「人」は、誰だっていいわけじゃない。おそらく私の選んだ人なんだよ。私のルールが特殊なんだろう。非常識なんだろう。私のことを本当に優しい、と評価する中にも二種類あって、そのうちの一つは私には納得できない。もう一つは多少はわかるという程度。私は優しくない。意地を張っているだけだ。
  18. みんなさびしいと言うけど、本当にさびしいと思っている人は少ない。人がいないとどうしようもない人もいる。どうしようもないのだけど、そこにはプライドがあって、人がいないと生きていけないことを隠して生きている人だっている。人に会いたくないのは、裏返せば、「人」を欲しているからよ。
  19. おはようと言って、おはようと返されることで心が震えるような経験がしたいんだ。そんな一言でそこまでわかってもらっちゃ困るというような感覚ーー。例えばそれができればもう何もいらない。それがなかなかできないんだよ。本当に相手に殺されても犯されても何されてもいいと思えないとできないんだ。
  20. 例えば私の理想の恋愛は、互いに自立している人間同士が、互いの領地や領海を侵犯することで成り立つ。自分が所有しているものを全て相手に奪われたい。正々堂々、真っ向勝負で奪い合いたいんだ。愛し合っているからこそ、殴り合い、泣き合い、殺し合う。傷が癒えないように舐め合えばいい。
  21. まず自分が成り立たなくては他人と関わってはならないと思う。そういう意味で私は本当に自分の足で立っているのか。私は今でもそう立っていると思っている。私が19から考えてきた人との接し方は、どんな「馬鹿」にもわかるような仕組みなんだ。礼儀とも常識とも慣習的なものとも言えないが。
  22. 父が言うには、人間の性格や性質、考え方は、環境によるものも多いが、ほとんどはその子の持って生まれたもので作られている、と言う。となると、そういう使命を持ってこの地に降り立ったということが納得できる。家族だって、全然違うんだよ。だから私には私の生き方がある。慰められたい訳ではない。
  23. でもだからこそ、私は19の時から、「考えて」きたと思っている。それもとんでもなく無意味なことを考えてきたのかもしれない。他者とのコミュニケーションはいつだって難しい。19から本当に見知らぬ人とのコミュニケーションを実践してきた。うまくいくこともあるし、そうでないこともあった。
  24. 例えば、男ウケのいい洋服を選ぶ女がいるが、それとは私たちは違う。彼女らはターゲットを全ての異性としていると思う。だから、そこで引っかかる人から選べばいいのだ。私は違う、とても複雑なんだ。あなたがいい、そう決めた相手に認められたい、褒められたいんだ。それはなかなか起こらない。
  25. 面白いね、1日5食の日もあったり、何も食べないでいられる日もあったりするのも納得はいく。私は病気なのかもしれない。それでも全然構わない。病気でない人間なんていない。さて、このさびしいという感情を分析していきたい。みんなそうだが、認めてほしいんだ、褒められたいんだ。それだけだ。
  26. 父は私を摂食障害なのだと言う。精神分析医のヒルデ・ブルックは摂食障害を「食欲の病気ではありません。人からどう見られるのかということに関連する自尊心の病理です」と指摘している。それにはぴったり当てはまるだろう。どんな病名をつけられても一向に構わない。私は確かにここに在るし、生きている。
  27. 昨日、父は言った。「中学校までの君を見ていて、もう大丈夫だな、と思った。でも高校の時の君を見たときに、ダメかもしれないと思った」。言わんとしていることはわかる。私はその高校生までの自分が死んでも許せなかったから、19歳で生き方を変えた。ガラリと変えた。それは今にまで至っている。
  28. さびしさが気合いでどうにでもなることは知っている。でもそれを選択するときには、この世から人間が一人もいなくなったときではないのか。「価値観」が合わないから別れるのではなく、生きた心地がしないからではないのか。生まれてこのかた一度も「生」の実感がない。真っ赤な他人が私を証明してよ。
  29. 太宰治中上健次三島由紀夫の「さびしさ」、それはそれぞれ違うだろうけど、根底にあるものは同じなのではないか。人を欲することを許されない己の生き方があり、反面、どうしても人を欲してしまう。入水自殺したり、がんで死んだり、割腹自殺したりと結果は異なるが、凄くさびしかったんだと思う。
  30. ひとりよがりなのはわかっている。これが常人の行き方と違うことも承知している。それでもこのように生きた人だって、過去いるのではないか。芸術家たちなんかはどうか。本当にしようもないことで絶望的になって、どうしたって誰かに救ってもらわなくちゃ成り立たないことってあると思うんですよ。
  31. 日本に住む者だからか、我々には季節がある。季節というか、時期がある。みんながおかしくなる・悩む時期が確かにある。そして、その人個人がおかしくなる・悩む時期や周期みたいなものよもある。データをとってわかったことです。季節の変わり目ってみんなおかしくなるんだね。
  32. いつもいつも嫌われているのではないかと思って何もアクションを取ることができなくなる。恐いんだ。それが、ひとりよがりだとしても恐いんだ。
  33. 嫌われない保証があれば私はなんだってできる。しかしどれほどジャブを打ってもわからないことがある。そこからはもう生き死にの戦い。そこに行くにはあまりにも情報が少なすぎる。直感的なものを私は信じている。だからこそ、全て下調べをする。その後になって直感が正しかったことを納得するのだ。