「回想記2」
しかし、それはいわゆる性欲とはかけ離れたものだった。ほとんど乳離れができていないことと同義だったように思う。
もしかすると、人間はお母さんがいないと生きられないのかもしれない。その「お母さん」というのは、特に血の繋がりを求めない、誤解を恐れないで言うと、ただただ「おっぱい」ということだ。
成人の性欲とは違えど、私は確信犯的に女の裸を見ようとしていたことは確かだった。
小学校三年生くらいの頃。家族で旅行に行った先のホテルの大浴場でのことだ。
母が先に女湯に入った後、父はいますぐに母に伝えなくてはならないことがあった。私はそこで「(女湯に入って)母に伝えてくる」と伝える。
すると、父は私を止めた。
いま思うと、私はその頃にはすでに敏感だった。人の言動の裏が透けて見えた。
父が私を止めた理由はすぐに理解できた。
結局、2歳年下の弟がその役割を担うことになった。
何より悔しく悲しかったことは、このとき私自身に「女の裸が見たい」というやましい思いは何一つなかったことだ。
私は、正当に評価されないことを忌み嫌う。たとえば、やっていないことをやっていると言われることには耐えられない。やや矛盾するが、やったことをやっていないと言われるのには少し耐えられる。
ただ自分の中では、罪悪感が芽生える。
罪悪感があれば、私は何をしてもいいとさえ思っている節がある。
2016年1月30日
秋人間