prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

何番がお好き? vol.58

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  1. 荷物が多いのは自分のせいで、公共の場で例えば電車でその荷物の多さに嫌気がさし管理が行き届かないとしても、そこで他人にそのイライラをぶつけることなど絶対に許されない。まだ、まだ連れに当たるのなら、わかる。でも完全な他者にそのイラつきをぶつけるのはお門違いだ。どうなる?ニッポン。

  2. 私ね、今ここで死んで、と小刀を渡してその場で喉を搔っ切らないような恋人のことは絶対に信じられないのよ。私が渡されたら死ぬもの。あなたが望むのなら私なんて簡単に差し上げるわよ。

  3. それすらも飛び越えて欲しいのなら、兎に角、律儀に思考を止めず今の自分と相手がどこにいるのか理解しようと努めなくてはならない。その上でやっと文句が言えるか言えないかのギリギリのところに立てる。それでも文句は言えないのよ。そういう互いを互いに大切にする為に必要な境界線ってやっぱりあるでしょう。

  4. 人間の心はどこまでいってもわからないから、最終的に信じられるのはその造形の美しさのみだ。

  5. 人間というものは「あなたの論理的整合性なんてものはどうでもいい」と思われたり言われたりするような状況をどれほど踏んできたかなのかもしれない。

  6. 小説でも映画でも私は「構造」を先にみる。やっぱり評価の対象になるのは構造なのよね。プロットとは少し違う。プロットというのは骨組みのことだと思うのだけど、私の言っている「構造」とはその骨の組み方と言えばいいのだろうか。そこにはね、作家の本当に伝えたいことと形式美(美学)があるのよ。

  7. 「わたしはぐっと喉の奥で言葉が詰まるタイプです。違うのに違うのに…ってもやもやぐるぐるして泣きそうになるの。自分は人の言動から勝手に先回りして妄想して配慮することを刷り込まれてきている分、きっと無意識に他人にもそれを求めてる」と言っている人がいたのだけど、全然お門違いもいいところで、私からすると、本当の意味で、先回りして配慮していないと思える。そういう人を見ると結局独りよがりで自分しか好きじゃないんだと思えてしまう。そういう人の方が何倍も気持ちが悪く汚く、嫌な人だと思う。私はね、何かを言われて発言しない、反論しない人というのは、何も考えていないと見なされて当然だと思うの。権利の上に安住するものは保護するに値しない。もちろん何も考えていないとは思っていないけれど、そこで形にできないのなら、何も考えていないと思われても仕方がないと思うのよね。

  8. 私が一番嫌いなのは、相手が矛盾することを言うことだ。AそしてB-矛盾というのはわかりきったことだが-AのあとにBがきてやっと成立する。私はそこでは怒らない。Aと比べたBの矛盾に気付かないことには怒らないということだ。ただ注意はする。そのあとにA'と言ってきた時に完全にショートする。関西弁で言うなら「どないやねん」な事態である。しかし一切突っ込みたくない、それなのである。その時には私は取り残された気持ちになる。矢張り私は誰とも会話が通じないんだと思う。どんな極端な考えでも構わない。ただ他者と会話をする時だけでもせめて一貫してほしいの。行動が矛盾するのは別にまだいいの。

  9. “縦”に進むから“横”が効いてくる。
  10. -フィーゴのドリブルをみて-

  11. 自分の手から離れたものを返してほしいとは思わない。だって本当に大切なら言葉だってなんだって世に晒さないでしょう。でも勇気を持って、手放したくないものを世に晒さなくては本当の意味で自分のものにはならないのよね。

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