prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「私の違和感」

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生きにくそうね、と散々言われてきた私だが、私からしたら、なぜこうして生きないのか甚だ疑問である。

私は、最高に生き易くするためにこうしているのだから。
あなた方の生き方を私は批判も否定もしない。ただ、私のことを微塵も考えていない、理解しようとしない他者が私の生き方を評価しようとする時、私は反論するわよ。
「それで、よく生きてこれたわね?」と。
私はね、自分の頭で考えて自分の論理を持ち自分の意見を言って、肉体的にも精神的にも自分の足でこの地球に立ちたいの。
それが最低限、人間としてすべきことでしょう。
恐らく、あなた方は猫はただ自由な生き物だと思っていることでしょう。
違うわよ、彼らは毎瞬間神経を尖らせて生きている、だからあんなにも寝るのよ。
あなた方に何がわかるの?  と多少演じて書いてみたけど、私にこういう気持ちが少しはあるということだけは確かなようだ。
 
自分の言動の責任を自ら100%負うのよ。また同時に、私のやること全てに私は整合性を求める。
それができないうちは死ねない。
例えば、全てに整合性が取れたのなら死んでもいいわ。
でももうハナっから整合性なんて取れるわけないのよ。
だって、生まれたこの土地は私の国ではなかったのだから。
私はグラグラな地盤の上に城を築くことしかできないの。
例えどれだけ完璧な城を建てたとしても、地盤がグラグラなことを指摘されたら、私は何も言えない。
だから、最初から矛盾でしかないのよ。
でもね、私はここでベストを尽くす。そうしたら、いつか神様がご褒美で地盤を少しでもかためてくれるかもしれないじゃない?
生まれてこのかたずっと「違和感」でしかないのよ。もちろん、慣れることは慣れる。
でもね、初めから自国で生まれ育った人とは決定的に違う何かがあるのよ、アンビバレンスよ。
別に自国で生まれ育った人を批判しているわけじゃない。ただ私とは違う。 
それで仲良くしないわけではない。
でも、私のことがわかるフリはやめて。
私は、私が可哀想だとか、そういう意味で言っていない。
例えば、自国で生まれ育った人でも私と同じようなことを感じている人は沢山いて、そういう人にシンパシーを感じることがある。みんなそれなりに理由があって色々なことをやっている。
みんなは、私のなんかより全然厳しく生きていたりする。そう考えると私のなんて屁なのよ。
 
要は、それが私の中だけだとしてもね、私は矛盾なく生きたいの。
だから、いつも「変な感じ」はするのよね。
でも、そういう風に文句を言っているだけじゃ何にもならない、私の大嫌いな悲劇のヒロインぶっている人になるだけ。
 
先にも書いたけど、私は私の生い立ちが周りと比べて特段困難なものだとは思っていないの。
ただね、どうしたって拭えない、この違和感というものを知ってほしいの、私と深く関わる場合には。
まぁ、そんな生い立ちでなくても私はこれを感じていたであろうけど。
 
この何とも説明のつかない違和感みたいなものを共有できる人間が私は好きなの。そういう人が必要なの。
私みたいな生い立ちの人間でも、それを感じないで生きている人もたくさんいる。
私にはできない芸当だけれども。
ハワイ生まれならわかる(笑)。
 
でも、私たちはこうして四季を感じられる日本に生まれたのよ。
どうしてみんなこう情緒がないのよ。
本当はね、ペシミスティックにものを考えるのは、とっても根が楽観的だからなのよ。
本当に絶望の淵に立っている人間は、ペシミスティックにはならない。
黒人のラップやソウルミュージックを聴けばわかる。
自分に、周りに勇気を感じさせてくれるはずなのよ。
だからもしかすると、私のこの感情なんてものは単なる中二病なのかもしれないわね。
 
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