何番がお好き? vol.48
- どんなに非道で残酷なことを妄想しても実行しても構わないが、その前には必ずど真ん中の常識(それが仏教でも儒教でも宗教だろうが学校の道徳の時間で学んだことでもいいけど)を知らなくてはならない。それを覆すのはあなたの判断です。あなたの下した判断というのは、あなたに全て責任があるんです。
- ベジタリアンがそれを健康のためだと言うのならまだしも、それを動物愛護の観点からとでも言おうものなら、では植物に命は、生きる権利はないと言うのですか?と私は聞きたい。
- 物理的に勝(まさ)っていなかったら如何なる論をたてても負けは負けなのよ。それでも私は私よりも物理的に勝っている相手に対して論をたてる他ないのよ、私の負けは確定していながらも論をたてて続けるのよ。
- いい女には男がいるってのは間違いだ。本当にいい女なら男なんかいらないからだ。しかしいい男には必ず女がいる。それは間違いない。
- 例えばこの後にとびっきりのセックスが待っていようとも先ずは自分の納得のいかないことに私は全力で戦う。仮にそれでそのセックスを逃したとしても私は何の後悔もしない。私のセックスは私の戦いの延長線上にあるものだ。そもそもそんなパン食い競争のパンみたいなセックスなら初めからいらない。
- -共犯的視線の交わり-
- 会話なんていらない
- 同じ場面で同じものを見て
- 同じ思考回路で同じことを口に出す
- 一歩手前で目が合う
- -共犯的視線の交わり-
- 私は私のことが大好きだけど、それは私しかいない世界でのことであって、一歩外に出て私以外の他者がいる世界に行くとそこでは私はいつだって最下位なのよ。
- Bは愛想を振り撒いた-振り撒けるだけ-積もりに積もって地球が一回転した。私はBになりBは私になった。互いに鏡の中の人間が一体誰なのかさっぱりわからなくなった。「これが私?」(Doppelgänger)Bはもう一回転させれば元に戻ると思い、ずっと同じことを繰り返している。時が進む。
- 本当にこの寒さは、冬が私のことを忘れないで、何ヶ月後かに必ずここに戻ってくるからと言わんばかりである。
- 太宰の斜陽を読んだ時の感動は今でも覚えている。でも三島と寺山の対談で斜陽について話していたものの方が興奮する。斜陽に登場する貴族の言葉は貴族の言葉ではないと三島が一刀両断。寺山が森茉莉がそう書いていたらどう思われます?と聞くと森茉莉はそんな言葉は使わないと三島は断言していた。
- モンサンミッシェルを見た事ない人がそれについて語る事に私は何の違和感も感じない。ある事を経験している人だけがある事を語れる訳ではない。寧ろそれを経験しない人がそれを経験した人よりもそれをよく知っている事もある。でもそこには「私それを見たことないのよ」感がなくてはならない事も確か。
- 私にオープンな愛があるとしたら、それは誰に対しても使うものでなく、私の決めた人間に、または私を本当に欲している人間が覚悟を持って近づいて来た時に、やっと差し上げるものなのよ。
- 仲良くなり始めると突然突き放したくなる、この感覚は何と呼ばれているものでしょうか?
- 変な意味ではなく、日本国万歳以外に日本に住む者にどんな立場があると言うんだ?
- あなたの言う多様な価値観を認めるというものは、プレゼントをあげてもありがとうの言葉どころか、そういう気持ちすら持ち合わせていない相手に対して何のムカつきも抱かない、どんなことに対しても(あなたが突然知らない人に切りつけられようとも)寛容でいるということなのよ。
@pourguoi 秋人間