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prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「多様な価値観」

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あなたの言う「多様な価値観を認める」という考え方は、例えばプレゼントをあげてもありがとうの言葉どころか、そういう気持ちすら持ち合わせていない相手に対して、何のムカつきも抱かない、どんなことに対しても(あなたが突然知らない人に斬りつけられようとも)ただただ認める、というような寛容な精神を常に持つということなのよ。

でも恐らく、あなたはそういう相手に対して苛立つだろうし、最悪は説教を始めると思う。
そしてそこで「これは常識だ」なんて言い張る、論理的説明なんて一切なく。
 
それって自分よがりの単なる嫌がらせ。
あなたは自分よりも厳しい基準で生きている人に対しては、多様な価値観を認めないと相手を批判し、自分よりも緩い基準で生きている人に対しては説教をする。
 
私は違う。
どんな人に対しても「なぜ目の前の相手があなたの言動をどう思うかを考えないの?」と思ってしまう。
私が覚悟を持って、何かを伝えなくてはならないと思った時には、私はそれを伝える。
 
例えば、あなたが突然知らない人に斬りつけられても「これが私の自由を保証してくれる素晴らしい社会なのよ」と叫べるのであれば、私はそれを尊重しよう。それならば、私があなたに説教をするだなんてことは大変に馬鹿馬鹿しいからだ。
でもあなたは違う。自分の都合の悪いことから逃げているだけなのよ。
私はね、努力目標だけど「目の前の相手を私のせいで不快にさせない」ことを目指している。
そうすると自分よりも厳しい基準で生きている人に合わせようとするはずだ。
 
例えばどんなに一般的にいい意味のことであっても、その相手にとって失礼になるのであれば、私はそれをしない
そして以後、どんなに緩い基準の人を前にしてもupdateされたままの、私の一番厳しい基準で目の前の相手と接する。
 
そうやって私は生きてきた。
これでもまだまだ足りない。
私の顔が生理的にダメな人もいる。
私はそんな時、ブスでごめんなさい、としか思えない。
ただ、私はそのような、変えられようのないものを他者に咎めたりはしない。
(定義や範囲が難しいのだけど)日本に住む者なら、一生懸命相手の身になって考えたらわかるようなことができない場合、私は怒りを露にする。
それは、いわゆる礼儀に近いものだろう。
「ありがとう」のお返しの「どういたしまして」や悪かったら謝るとか、そういうことが基本になる。
でも大概、そこから構造が複雑化する。
その時にその構造を捉えず、瞬間瞬間で反応をしてしまう動物のような「馬鹿」に、私は何と言ったらよいのでしょうか。
私にはもうわからない。
多様な価値観を認めましょう、となるのか。
 
私は決して間違えるな、とは言わない。
ただ省みなさい、と言っている。
私も散々、私よりも頭のいい人たちに怒られてきた。とっても恥ずかしい思いをしてきた。
だから私はこう言うことができる。
誰だって考えたら、絶対にできる。
考え続ければ、少なくとも意図せず目の前の相手を傷つけてしまう機会は減る。
 
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何でもご依頼受けます。
@ 秋人間