何番がお好き? vol.47
- 私は第三者から知るその人間の情報を聞きはするが信じない。その人間の言動だけを信じる。結局はその人間と五分でも対面で座って無言の会話、視線だけでのやり取りをすれば十分にその人間がどういう人間か理解できる自信がある、相当な二重人格者でない限りは。
- 500日のサマーについて書いているものをネットで探して読んでいるのだが、全くこの男と女の「運命」に関する美しい構造を誰もが正しく読み取れていない。もちろん映画の感想なんて観た人の自由だけど、あまりにも理解できていない。まぁわからない人にはわからない。私がここで説明するまでもない。
- 本当に究極のものが何なのか真剣に考えていない人たちが多い。世の中が色々な面で飽和しているからこそ(勿論そうでなくとも人間は普通)究極のものを見たい、知りたい、触りたいと思うのではないかと私は考えるのだが意外とそうではないのかも。クリエイターはさすがにそんな訳にはいかないわよね。
- 人間は自分から遠い食べ物こそ好きな傾向にあると思うんです。私にとって魚がそこまで食べ物として魅力的に映らないのは、私の前世が魚に近い生き物だったに違いありません。こちらは論理性皆無な推論でしかありません。
- どれ程嬉しいことがあろうと私はいつだって最悪の事態を私の頭の中だけででも並行させます。そうして帳尻を合わせながら生きています。常にエロスとタナトスの間を瞬間的に行き来するんです。そうして振り子を降り続けながら生きているんです、私の心臓はその様に動いていると私は信じています。荒木のエロトスですかね。
- 少なくとも、自分の言動には全て根拠がなくてはならない。
- 女の人は自分が築いたものから飛び立とうとする強さがある。反対に男の人には自分が築いてきたものを守り続ける強さがある。どちらも強さであり弱さにもなり得る。
- あなたは何の為に覚悟をするの?覚悟をする時それは自分の為ではなく、相手の為にしなさい。
- 拳銃で撃たれたことはないけど拳銃を撃ったことはある。あんなもんを人に向けられる神経ってのは相当ですよ。私は向けられませんでした。
- 完璧な謝罪ができるということは完璧なコミュニケーションが取れるということである。
- 例えばね、あなたが子持ちバツイチで子持ちのバツイチ旦那と再婚したとする。旦那が仕事で出かけた後、旦那の子供と自分の子供と三人で遊園地に出掛けたとする。遊園地の入口まで走った子供たちが同時に転んだとする。その時には、あなたは旦那の子供を先に助けなくてはならない。それが理性で愛です。
- 社会性、日本には社会通念、法やルールだけでなく、もっともっと他者を暗に気遣うという優しさのようなものが存在する。茶の世界だ。戦国時代の茶の昔話でもネットで拾ってきて勉強しろ。本当のホスピタリティ、サービス精神がそこにはある。
- 私の生き方は息苦しいと言われるだろう。ではあなたの知らない間に散々他者に迷惑をかけて村八分にされたとしても、あなたはあなたの好きなように生きるのね。その覚悟があるのなら構わないわ。私は社会と共に生きている。社会がなければ死んでいる。私には初めから国なんてものないの、少しくらい依存させてよ。
- その場での安泰を求めない。安泰は結果に過ぎない。
- 私は死ぬまで考えることをやめない。
- 携帯を見ないと言っていても一回でも見たことある人はもう一度見るわよ。普段は見ないんだけど…だなんてのは言い訳に過ぎない。私は生まれてこのかた他人の携帯なんて見たことはないと言えなくてはならない。そして付け足しで、おばあちゃんの携帯だけは気になって見てしまったけど。とあれば更によい。
- 結局はみんな自分にとって都合のいい「共感」とやらを求めている。でも私はそういうもの、一切いらないの。本当のこと以外いらないの。事実だけが欲しい、事実の後に真実があって、その裏にやっと感情があるのよ。私はただただ気持ちに寄り添ってくれるような甘い言葉を信じない、例えそれが真実だとしても。
- 飲食店でスプーンもフォークもおしぼりも出ていない状態で料理だけ出てきたとする。だからといって私は怒らない。national製のピンポンを押し、店員がこちらへ来るのを待ち「どうなさいましたか?」という阿呆な声掛けを一飲みし、丁寧にパスタを食べるフォークがないことをお伝えする。
- 人がぶつかりながら横を通った時に私はまずムッとするだろう。だからってすぐそいつの腕をつかみ怒りを露にしない。まずは私が立っている位置が横を通る者にとって邪魔にならない位置だったかを気にする。(デブなどは除外して)人ひとりが通れるスペースがあると確信が持てた時にそいつを殺す。
- この世に生きるってことはね、自分がいることで死にたいと思うような(私のことを嫌いな)人間がわんさといるということを背負って生きるってことなのよ。生かせてもらっているのよ。ありがとう。
- 私が大事にしているのは誰もがわかるようなルールや規則ではなく、目の前の相手を本当に大切にできるか、という本来の意味での気遣いである。ただ目の前の人を私のせいで不快にさせない、この一点に尽きる。それでもどれほど思考錯誤しても多少は不快にはさせてしまう。だから私は私をいつも蔑む。
- 批判されたり否定されるのが怖いなら一言も喋るな、一つも動くな、ということです。
- 何故わからないんだろう。
- 「反省します」という言葉は気心が知れた人との間でギャグとして使う言葉でしかない。ガチガチの立場の違う人間に「反省します」は使えない、使える訳がない。怒られているのであれば《反省する》のは当然だからだ。
- 何故わざわざ公言するのだろうか。黙って自分一人で責任を取れば、回収すればいい。
- 私は好きな人へ誓っているのではなく、私は私に誓っているの。それが何よりも強いものでしょう。外部から迫られる禁止事項なんて破る為に在るのよ。
- 性格はそのまま顔に出る。ちなむけど、顔の造形ということではなく表情やらのことを顔と言っている(と思う)。美人なのに性格悪いという判断を下したことが私には生まれてこのかたない。何故一目見てそこまでわからないのか不思議である。美人かどうか判断したのはあなたの目が節穴だからだ。
- やっぱり太宰は論理的ではない。女だ。三島は論理ありき。男だ。男の方が美しい。
- 生まれた土地が自分の国であると疑いを持たずに生きることができるのは何よりのものです。
- 横断歩道を赤信号で渡り、車に轢かれて重傷を負ったとしても訴訟を起こさないのか?と聞いているんだ。法律なんて関係ない。日本人なら心意気で生きて欲しい。
- 思わぬ怪我をしないために、赤信号は止まれという風になっているんだ、それを渡ろうってんだから覚悟あってのことだよな?だから私は赤信号でも渡るのよ。いつ死んでも構わないし、私の遺族は加害者を責めない。私が相変わらず馬鹿で間抜けだったんだと思う。
- よくそれで今まで生きてきたねとつい私が口にしてしまう程目の前の相手の気持ちや自分の能力、至らなさを理解しない人間が多いことに気付く。私は、悪いことをしちゃダメだなんていう禁止ではなく、自身で全てを理解し、その言動に覚悟を持ち、また責任が取れるのかという確認をしているだけだ。
- 敏感でいて純粋な人ってなかなかいない。
- 私の愛がわかりにくいのは、私が伝え下手や天の邪鬼なのではなくあなたが純粋でなく、また鈍感だからでしょう。
- 私はね、思うところは秘めない。例え秘めていることに私自身が気が付かない範囲があったとしても(まぁあるでしょう)その部分は決して消えゆかない。私はどんなに小さいものでも必ず拾い上げる。そしてそれが意識できた時にはすぐ言葉にする。それは私にとって絶対噓ではない。
- あなたは私に-私なら-口が裂けても言えないようなことを言い過ぎた。
- ブスやブサイクが悪いとは絶対言っていない。なぜブスやブサイクとわかっているのにそういうこと(イケメンや美人がやってやっと成り立つ行為)をするんですか?それで蔑んだ視線を送ると私にブスやブサイクが悪いというなんて差別主義者だと批判するようなものが返ってくる。違いますからね。
- 私に追いつく為にはあなたは私の倍は苦しんで考えなくてはならない。でも私は私よりも苦しみ考えている人を追い抜く為にその人の三倍苦しみ考えている。となるとあなたは私の六倍苦しみ考えなくてはならなくなる。私は一日七時間は寝てるからその間苦しみ考え続ければ追いつけるのかもしれないわね。
- 人様の誕生日にプレゼントを送るのだって、とんでもない迷惑行為なのではないかと考えている。だからプレゼントをする時には「私がこれをあなたに無理にでも差し上げたいの」という単なるエゴであることを選択し、その責任を私が背負う。だから中身を見ないで捨ててもらっても、ありがとうと言える。プレゼントを受け取る側ではなく、送る側がありがとうと言えるような関係にしましょう。
- 悲しいからリアルだというような導き方はしないけど、大概リアルは悲しい。
@pongseon 秋