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prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「ルールの存在理由」

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一人一人のデスクの上にカレンダーが置いてあるとしよう。そのカレンダーは一ヶ月しか表示されていない。次の月に入る時には自分でめくらなくてはならないものだ。

【新しい月になったらカレンダーをめくって下さい】

それをルールにするか否か。仮にルールにするとしよう。となるとその場にいる人間の中に次の月に入っても自分でめくらない奴がいるってことだ。要するにこの中に馬鹿がいるってことだ。それがルールの存在理由だ。


そういう人がいるというだけでルール化しなくてはならなくなる。そんなこと当たり前じゃないか、と思っている人間もそのルール上に存在することになる。当たり前だと思っている人間にとってはまぁまだいい。そんなものルール化されなくてもできるからだ。


恐らく皆さんはそんなことルール化しなくてもできるに決まっている、と思うだろう。でもここで言いたいことはそういうことではない。

例えばそのレベルをどんどん上げていったとしたらどうだろう?必ずあなたにもできないことがある、そんな概念すらもないものもある。


あなたよりそういうことに長けている人にとって、それは要するに単に苦痛でしかないのだ。


私は馬鹿だ。

でもだからこそ今まで出会った人、見てきた人のできる、わかる、当たり前にやれる部分を見て真似して学んできた。それができないと目の前の人間を不快にさせてしまう恐れがあるからだ。確かに私はそういうものを気にし過ぎではある。でもそういうことをあなたができなくて目の前の人間にがっかりされてしまったらどうだろう。

例えば大きな声で挨拶もできない奴はダメだとか、箸を使って綺麗に焼き魚を食べれない人は無理だとか、そんな基準で生きている人と仕事しなくてはならなかったとしたらどうする?


挨拶や魚の食べ方は育ちや環境の差であるのかもしれない。それはある人にとっては当たり前で、またある人にとっては当たり前ではないものだ。

私は勉強して学べる知識(の絶対量)みたいなものが足りないことを咎めない。例えば、バタイユの『エロティシズム』を読んでいないのであれば話にならないと一蹴することはない。


だがしかし、もっともっと基本的なこと、それは誰もが考えたらわかること、そういうものができなかった場合私は、がっかりしてしまう。

やや抽象的になるが、自己矛盾をしてしまったものを人に押し付け責めたり、自分と相手の立場や距離感を誤り逆ギレしたりする人間を私は心から軽蔑している。


知りつつ禁忌を犯す覚悟があるのなら私は責めない。人を殺そうと覚悟して人を殺した人を私は咎めない。

でも知らなくてやってしまっただなんてのは罪悪だ。勿論わからないこともあるだろう。でも人間として、そんなものが一つでも自分の中に残っていてはならないし、過ちに気付いた瞬間には必ず悔い改めるべきである。


2014.6.26.

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