「存在と他人」
僕らは
ストップモーションと
所謂動きのある動きを
同時に
そうだな
次元での違いはあれど
止めながら
待ちながら
攻め
動かなければ
生きられない
または死ねない
どっちかぢゃない
両方なんだ
まるで
中国マッサージのように
痛みを伴わない気持ち良さはないように
そして
僕らは
相対性の中でしか
生きられず
僕という人間や
あなたという人間を
決めるのは
紛れもなく
絶対なんてものではない
風景やシチュエーション
上下関係や重力、湿度、風向き
などの
あらゆるcomplicatedな
条件下でしか
僕や
あるいは
あなたは
僕やあなたという風に
定められない
僕は僕だ。ぢゃない
僕はない
だから僕はある
しかも
あなたや周りがあるから
僕はある
生かされてるとか
感謝とか輪廻とか
そんなんぢゃ決してない
聖書の話をしている
言語が先か
地球が先か
単純に言おう
僕は他人がいないと存在しない
2010年09月12日03:01