prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「万引きのすゝめ」

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法律用語だが、人間の行為は全て悪意でなくてはならない。

法律用語の悪意とは、全ては自分の監視下にある行動であるということだ。全て自分で何が悪か何が善か、そして何をしたいのか何をしたくないのか判断がついている状態で行動を起こすということである。

これが私の求めるアナーキーな世界だ。


要するに選択の度に天秤にかけなくてはならないということだ。
天秤にかけるということはその選択にその人間の意志が在る。
するとそこには責任が生じる。

それにより、その人間は初めてその行為を行う権利を得られる。
それが自由というものの正体だ。



万引きをすることに決めたとする。
万引きが悪いことだということは百も承知である。
この時点でこの犯行は悪意である。

それが何故いけないのか考えたことがあるか?

法律違反だから?-違う。


自分のテリトリーから出ずに、周りにも迷惑をかけたくないのであれば、何故万引きがいけないのか考える必要はない。ダメなものはダメだと思っていればいい。

そういう奴は大概、中途半端なフェミニストで、100人とSEXしたことがあるという女がどんなにいい女でも自分から拒否することだろう。またSEXにおいてカッターで首の下からマンコの上まで切られて興奮をするようなSM行為を日常的にやっていた身体の縦に切り傷が一本筋のようにある女の身体を初めて見た時、この女は私の愛する女でないと怖気づいてしまうだろうし、自分が怖気づくこと自体は悪いことではなく、この目の前の狂った女が(一方的に)悪いのだと、一般常識と言われるものに照らし合わせて、直面した問題を前にして逃げることだろう。

(仮にその女がその怖気づいた男を心から愛し始めていたとしたら何とも悲しいことだ。その女は恐らく諦めるだろう、仕方ない、確かに私の身体は世間一般から見ると幾分かけ離れている、と。)

それならば最初から何の選択もしなくていい。お天気の話とお仕事の愚痴でも言うがいい。そして常識をただただ守り、幼稚園生と同じように赤信号の前でぼーっと待つがいい。


私はそこにいたくない。
私は私の欲しいものは私で掴み取る。
それでどんなに精神的に肉体的に傷つけられようが一向に構わない。
何も怖くない。怖いのは本当に欲しいものを手に入れられないことだ。


万引きが何故いけないのか。
法律違反だからではない。

万引きをすることによってその店に損失が出る。だいぶ端折らせてもらうが、それでその店のお子さんの高校へ行く授業料が揃わなかったらどうだろう。そこまで責任が取れて初めて万引きを決行すべきなんだ。あるいは決行する権利を得られるのである。

悪友は言った。
「木を切り倒そうという時 私はその木について全てを知らなければならないと思う」

仮に万引きをして捕まったのなら、その時に現ナマで500万程をお店に渡して申し訳ない、これでお子さんを高校と大学へ行かせて下さい.と言えなくてはならないのである。それが私のいう責任である。


その準備や覚悟が整っているのなら、さあ万引きを決行すればいい。

万引きをする際に必要なことは、まずは勇気を持つことである。
少々ironicではあるが、そうなんだ。
勇気を持つことである。
そうでなくてはびびって土壇場で思い切った行動が取れない。
それだけは避けたい。
ただ先程の準備と覚悟があればこんな勇気、屁でもない。

品物を手に取る時、自分が思ってるよりも挙動不審になる。
同時に挙動不審であると自分が過度に感じてしまう。
その時に大事なことは、再三になるが勇気を持つことである。
まるでその品物を購入するかのように平然と鞄に入れよう。
そこが肝なんだ。
その時法律違反をしているという認識がある人間はどうしても行動が微妙に早くなったりしてしまう。
(但し、その認識がない人間に万引きをする権利すら与えられない)
なるべく犯行時間を短くしたいのは勿論わかる。
その考えはある意味では正しい。
ただそこで一般の買い物客よりも早い動きをする人間はその違和感を周りに伝え易い。
ここで勇気が必要なのは、どれだけ怖い瞬間に立ち会ったとしてもなるべく普段通りに動かなくてはならないんだ。
そしてポイントだが、そんな緊急事態に普段通りにと意識しても、どうしても普段よりも小さく動いてしまう。だから気持ち大きく、そしてゆっくり、ゆったりと動くことが大事なんだ。

それこそが私の言う勇気だ。



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