「愛ってのは」
愛ってのは
「知っているよ」ではなくて
愛ってのは
「知っているよ、だから話して」
だと思う
本物の勝利とは自分が手に入れたいと熱望したものを手に入れた後にそれを手放す勇気を持った時に訪れるものである。
本当の勝利を得たいとは思わないのか。
本当の勝利は本物の勇気に裏打ちされる。
とても悲しくなるのは秋だからではなく、夏が終わったからでもない。真実や真理に近づけば近づく程ペシミスティックにならざるを得ないこの世界に絶望するからだ。絶望するというのは希望を持っていたということだろう。何故焦るかといえば一生懸命だからだ。似たようなもんさ。
だって嘘ばかりでしょ。だから私は嘘をつかない世界を作るよ。
必要悪なんて信じない。
悔しかったら、力を抜いて美しい行動をとってごらんなさい。
自ら選択をするんだ。
だからその選択に対して責任を持てるし、希望も見れる。
ピュアだからって希望を捨てちゃダメなんだ。ピュアなら余計に戦わなきゃ。おかしいと思ったことに向き合えよ。ピュアでいることをキープしようとした瞬間それはピュアではなくなる。転がる石に苔はつかないって言うでしょう。
ビビることが悪いことなんじゃない。ビビって考えないで動かないことが悪いことなんだ。ビビったら身体を動かせよ。抵抗しろよ。それこそが美しさだ。
勝負して負けることが確定しているような戦いに尻込みして戦わないことが馬鹿で、そこでそれに向かっていくのが本物でしょう。どんな可能性にも賭けなくちゃ親はカードをきってくれないよ。負けるのが確定しているような戦いなんてそもそも存在しない。全てはイーブンだ。
数学的確率なんてものも必要悪なんかも信じない。
愛ってのは
「知っているよ」ではなくて
愛ってのは
「知っているよ、だけど話して」
でもなくて
愛ってのは
「知っているよ、だから話して」
だと思う