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prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「刃物で刺す」

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【刃物で人を刺す】


刺されたらどれだけ痛いか想像できたら人を刺すことなんてできない、とよく耳にする。


そんなことは幼稚園や小学校の時に親や教師から教わったと思う。

友人や兄弟と喧嘩をしたり、サッカーをしたり、物理的に人間と接触したりしながら、徐々にそういうものが想像できるようになる。

どのくらいの強さで殴ったらどのくらい痛いのか、どのくらいの勢いで当たれば人が倒れるのか。

家庭科や工作の時間、家でママの料理のお手伝いをした時、実際に刃物を手にする機会があって、その刃物で自分の皮膚を傷つけてしまうこともある。

そういう経験を経て、刃物で人を刺したらどのくらいの痛さなのか想像できるようになる。

一般論だが。

本当にその通りで。

人を刺したらどれだけ痛いか想像できたら人を刺すことなんてできない。

私もそう思う。


だから、人を傷つけること、そしてそれを想像することによって興奮するようなサディスト以外は、人を刺す時には刺したらどれだけ痛いかなんてものは刺す瞬間には想像しないのではないだろうか。
そうでなくては刺せない。

どれだけ憎くて殺したくても、その痛みを想像したら刺すことなんかできないと思う。

その恨みや怒りは、瞬間的に人の痛みを配慮する様な想像力をなくしてしまうものなんだ。
その瞬間に刺すんだ。

だから人が人を刺す時、どれだけ痛いかなんて想像していない。


何が言いたいか?

人を刺す人は
人の痛みを想像することをしていないという批判は適切な批判ではない、ということだ。

こと、その瞬間においては。

人の痛みを想像出来ないから人を刺すことができるという批判は大間違いだ。

その瞬間は想像していないから刺せるのである。
刺す何秒か前まではどのくらい痛いか考えることができていたとしても刺す時にはそんなこと忘れて刺さなきゃならないんだよ、凡人は。



でも、私の好きな殺人犯は恐らく相手の痛みを知りながらゆっくりと人を刃物で刺すことのできる人間である。
しかもその殺人犯は上で述べたサディストではない。

その時、そこには本当の怒りがあるし、愛があると私は考える。


私もそうなりたい。



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