prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

「悲しみよ こんにちは」

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2011年12月12日13:28

サガンの書き方というものもあるのかもしれないけれども、私はアンヌを毛嫌いしていた。
その気高さや規律性、美しさ、傲慢さを私は嫌っていた。私は私の大嫌いな偏見と差別に満ち溢れた見方をしていた。
結果的には、アンヌが死んでからわかることなのだが。

その前に一つだけその美しさが私の偏見や差別に打ち勝った瞬間があった。

それが後に紹介する119頁だ。

私が推測するに、サガンはあの1頁が書きたいが為にこの小説を書いた。

私も“très bien”とそこに書かざるを得なかった。

何よりもアンヌのその美しさに隠れる悲しみを察することができなかったことに涙した。
情けなかった、苦しかった。

子供時代の記憶のあるアンヌ、子供時代の記憶しかないセシルとその父。
その差はとても大きい。
子供時代の記憶のある大人の女を私はないがしろにした。
あの頃を通ってきたのだ、あの完璧なアンヌでさえも。 

アンヌの美しさは努力で勝ち得たものだ。
規律の人だ。
美しさの裏に潜む悲しみを感じ取れなければ、その美しさに触れる権利などあるはずもない。

119頁
「アンヌの両手が、わたしの顔を上向ける。わたしは視線を合わせるのが怖くて、きつくまぶたを閉じる。そこから涙があふれ出すのを、わたしは感じていた。衰弱の涙、不手際の涙、快楽の涙。するとアンヌは、あらゆる質問をあきらめたかのように、なにも知ろうとしない静かな動作で両手をおろし、わたしをはなしたのである。そうしてタバコに火をつけ、わたしにくわえさせると、ふたたび読書に没頭しはじめた」



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