何番がお好き? vol.11
- ちゃんとその人間と接したらその人間が私をどの様に見ているか私のどの部分が嫌いでどの部分を気に入っていて私にどのくらいの愛や憎しみを持ち、どこまで自分を犠牲にしてまで私に尽くしてくれるかということがグラフや表で書けるくらいにわかる。また私の愛がどこまで伝わっているのかも同じ様にわかる。
- 一人でも馬鹿がいると周りの誰かを殺す結果になる。
- 自分よりもこの世に苦痛を感じている人を前にした時あなたはあなたの経験則でその人間のことを理解しようとするの?無理よ。理解できないことが悪いんじゃない。理解できないと知ることが大事なのよ。それを知ったら常に苦痛を感じている人間に対してなるたけなら傷つけない様に接することになると思う。
- 死にたくなる様な地獄の中でのやっとの笑顔とあなたの単なる笑顔とが同じなわけがない。あなたのその笑顔もとても大切だ。それならばそれを貫けばいい。矛盾しなかったら全てが正しい。でも忘れないで、私は地獄にいて微笑むのがやっとなの。それをわからずに笑えよ、だなんて言わないで。私を殺す気?
原則として私は相手が泥酔中だろうと障害者だろうと間違いを絶対に認めない。またその場面において間違った人間を今後信じることはない。間違うってことは死ぬってことよ。戦争中、右へ行くか左へ行くかを間違ったら死んでしまうでしょう。それと同じよ。だから私は毎瞬間考えているのよ。
- 真剣に生きてる人を馬鹿にしないで。
- 世界がもっともっと私を泣かせ悲しませ苦しくさせてくれたら、それだけでこの世界は素晴らしい。
- 私は私が生きているだけで死にたいと思う様な連中と同じこの地球で生きているのだと思っている。それをコンプレックスと言うのよ。
- 私は単にA型を嫌っているのではない、A型的な奴が嫌いなんだ。自分の元からあるもの-宿命や運命と言えるだろう-それらに抗わないでのほほんと生きている奴らがいけすかねぇだけだ。
- 私は私を見失っては生きられない。でもそれは要するに日常的に私を批判し続けなくてはならないってことなの。そうでなくては私は私でなくなってしまう。大変な矛盾を孕むことになるのだけど私を私だと認識する為には私を私でないと思えなくてはできない芸当なのよ。
- 私から他人を裏切ることはない。それほど私は意気地なしだし保守的。でもやられたら必ずやり返すし、其れ相応の対応は取るわよ。私の血が黙らない。
- 煙草を吸う男の煙草の煙が目に入り目を細める姿が格好いいのだと女の私は思う。でもだからこそ死んでも男の私は人前でそんなことをしない。そんなのは単なる天然だから。
- 女に勇気を与える男でありたい。
- 男に緊張感を与える女でありたい。
- 私は浮気をしたことがない。でもこれは自慢できるものではないと思っている。ただ単に事実だ。浮気が悪だとも思っていない。でも私は私の美学に、正義に誓って浮気をしない。仮に好きな人ができたら好きな人ができたと必ず言う。そういう諸々を信じてもらえないと私が男として生きている意味がない。
- 例えば恋人に対して要求するものの一つに忘れられない前の恋人がいることを私は平気で挙げるわ。
- 逃げかもしれないけど、私は私のことを理解してくれる、あるいは理解してくれると勘違いでも思わせてくれる人と話がしたい。私がたとえその人に騙されていようと私は愛を持って接するだけ。こちらからはそれくらいしかできない。私の方がよく見えていないんですもの。私は馬鹿だから。
- 実体を視覚や嗅覚を使って確認できない者(会ったことのない者)を認識するには、他の五感をフルに使うことになる。でもそれによって会うことよりも更に強く認識し合ったり、余計に伝わったりわかったりしてしまうこともあるのだろうと思う。