prêt-à-porter

私が関わった人間は全て私の作品である

私の叫び 80

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  1. もう頭がよくなりたいとは思わない。ただ目の前の人が何を言いたいのか正確に理解できるようになりたい。それって頭がいいってことよね? 頭がいいってのは、優しいってことだよね。相手の言わんとしていることがわかったら、それに乗るか乗らないかは私の判断。そこからは自由な「料理」ができる。
  2.  
  3. ただ差別はいけない、と言っているだけでは単に自分以外のヤバい奴を批判するだけになってしまうことがあります。あたかも自分はレイシストではない、犯罪者ではないと考えている人間がとりがちな態度です。でも、違うんです。私もあなたも差別主義者で、他人を毎秒傷つけているんです。それに気づくこと。みんなが自らの加害者性に気づくことが何よりの近道です。
  4.  
  5. ‪何かを注意したり訴えたりする時には、ただ私がそうして欲しいから以外の理由なんてない。そこで一般論や常識、ルールみたいなものを持ち出した瞬間、その主張は大嘘になる。‬
  6.  
  7. ‪たとえば、パートナーとの喧嘩中に泣くとすれば、それは女(男)の武器を使うという高等なテクニックではなく、ただ単に面倒くさいからということもある。泣いて何もかもが丸くおさまるなら、安いものだろう。‬
  8.  
  9. それは人間の生理的というか、脊髄反射レベルのものなんですが、あなたはそれをした。それは素晴らしい。
  10.  
  11. ‪実際に心がきれいかどうかは別として、心がきれいと自分でちゃんと認識している人は、そのきれいさとは別の、むしろ真逆の要素を取り入れることによって、自分の心の美しさを保つ傾向にある。そこでは、「お花畑」をつくるために、「殺人」が必要なんだ。‬
  12.  
  13. 誰かが優越感を感じるということは、そこで他の誰かが劣等感を感じる可能性があるということ。
  14.  
  15. 私たちは誰一人、自分がナニジンであるかなんて証明できない。
  16.  
  17. ものを言う/書く時、「人を殺す」時には、それが自らの利益のためだけにあってはならない。そこには、必ず大義のようなものがないと成り立たないと思う。
  18.  
  19. 母は世のおば様たちの例に漏れず、羽生結弦さんの大ファン。何がいいのか聞くと、人間性と言う。では、「もし羽生がヤクやって捕まったらどう思う?」と聞くと「ガッカリする」と言った。あなたの言う、TVを通して見抜いた人間性ってなんだよ、それを含めた人間性じゃねぇのかよ。だったら、ファンって言うな。
  20.  
  21. 相手と「会話」をするってことはだよ、相手の脳みそに入り込んで、全く同じようにインプットからアウトプットまでの回路を辿れなきゃならないのよ。そうしてこそ、やっと相手の言っていることの意味が少しはわかるというものだ。なのに、みんな自分の思考回路で相手の言葉の意味を捉えようとするのよね。
  22.  
  23. 奇跡的なことで、もちろん勘違いだとも思うけど、でもね、相手が私に向けてくれた言葉が、何にも‘濾過’されずに入って来ることってあるわよね。あなたが昔言ったその言葉は、何度思い返しても、寸分くらいなく、わかる。普通、誰のどんな言葉でも自分の中で書き換えて理解しているのに、だよ。
  24.  
  25. ひな壇でトークしている芸人さんの席の横にメガネが用意されていて、「さぁ、かけてください」とMCに言われ、みんなかけようとするんだけど、それぞれの右と左に置いてあるからって、みんながちゃんと自分のを取ってから、自分のをかけようとする人がいたのね。その人はキョロキョロして最後にメガネをかけたことで、MCや周りの人に「横にあるのに何でわからないんだよ。目悪すぎだろ」みたいにツッコまれていて、えへへ顔をしたの。でも、私はその人が誰よりも先にメガネを見つけ、みんながちゃんとかけられるように待っていたと信じている。そう、目がよすぎたのだ。
  26.  
  27. いつだってそう。誰かのために、なんてものはない。暇だからその件に手を出しただけ。絶対に、その人のためにしただなんて思ってはダメ、ましてや言ってはダメ。暇で気分が向けば、誰だって助けたい。それで事態が悪い方向に向かったとしたら、それは絶対ぜったい私のせいなのよ。暇つぶしにも責任がある。
  28.  
  29. お礼みたいなものって、いつも素直に受け取れない。ガキなんだと思うけど、自分のやったことがどれくらい有効であったか自分でちゃんとわかっているから、ちゃんと活躍してもいないのに褒められると騙しているような気持ちになる。それでも、本当にお礼が欲しい時もある。そういう時はあんまり誰も褒めてくれない。トホホ。

 

秋 @

 

〈私の〉太田光さん

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太田光のカッコよさ(可愛さ)は、自分でも言いたくもないようなことを言いながら、その場の空気を読み、後悔しているところ。

(たぶん、言った直後に後悔が始まる。)

まぁ言いたいことではあるのだろうが、そのクオリティに一度も納得なんてしたことはないだろう。

厳密には、言いたいというか、いま言えること、(ものすごい葛藤の中)渾身の力を振り絞って出てきた言葉って感じかな。

言いたくないのに恥ずかしくて言ってしまう、またそれが恥ずかしい、その繰り返し。

 

目立ちたいという思いと同時に、「恥ずかしがり屋」が出てきてしまう性(さが)。

いつだって背反する自分の気持ちに正直に向かい合う。

周りから見たら、つまらないのかもしれない。

確かに、単なる「リハビリ」、独りよがりの「芸」かもしれない。

 

だけど、私は彼を見るたびに自分の生き方が間違いではなかった、と確信を持てる。

勇気が出るんだ。ああなりたい。

 

 

お祭りは好きだけど恥ずかしくて、その場にいることすら辛い。

彼がラジオ番組で、村上龍を前にして龍と春樹を比較し言った「(春樹のように)自意識の揺れなんか書いてもつまらないですよね?」に、龍も苦笑いをしていたのが懐かしい。

 

彼の「優しさ」(繊細さ)に気づける人間が、この世にどれほどいるのだろうか。

 

目立ちたがり屋でシャイな、

気弱なのに強気な発言をする、

いけないことだとわかっているからこそタブーに挑戦したくなってしまう、

優しいのにそれが上手く表現できない、

「自分勝手」で気遣いの、

天邪鬼な彼。

 

大好きで、尊敬する、〈私の〉太田光さん。

 

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私の叫び 79

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  1. ウインドウショッピングの何が楽しいって、色んなものを見ているうちに、その全てが手に入ったかのような錯覚に陥ることができることだ。こんなにある中から選べるという至福感。それだけでほとんど手にしたと同じ。知る、理解するということは、手に入れるってことだ。手に入れたら、もうそれはない。
  2. 「食事は、何を食べるかより誰と食べるかが大事」という戯言だけを私は信じない。それは必ず「食事は、何を食べるかが大事」という前提を踏まえていなければならない。そのことをしっかりとわかっている人間だけがやっと「食事は、何を食べるかより誰と食べるかが大事」と言うことができる。
  3. 多くの言う、多様な価値観を認めるというものは、プレゼントをあげてもありがとうの言葉どころか、そういう気持ちすら持ち合わせていない相手に対して何のムカつきの感情も抱かない、どんなことに対しても(突然見知らぬ人に切りつけられようとも)寛容でいるということなのよ。
  4. 美女を捕まえるために一流大学から一流企業に入った男がいるとして、それのどこが悪いの? その男を悪だという女どもよ、聞け。あなた方の言う、心? 内面? クソ食らえさ。結局、みんな同じことを平気でやっているじゃないか。
  5. 人が何かを知っていることで自慢げに語っている時、大人になったのか、それが可愛いと思うようになり、相手がもう一つ気持ちよくなるように乗せてあげるようにしている。相手の自慢は、私にとって苦痛でなくなった。そこに私への直接的な攻撃性のようなものがなければ、その気持ちもわかるから、嬉しい。
  6. ‪この場の勝負なんかに勝つよりも、相手を気持ちよくさせるほうが気持ちがいい。本当に相手の気持ちを察し理解することができれば、やっぱり誰に対しても私は気持ちよくなって欲しいと思うから、相手に乗る。それこそが私の「勝ち」だとも、いまや思わない。お互いに相手を気持ちよくできればいい。‬
  7. ある意味では、どんな人の言葉でさえ、私を縛る原因になっている。人がおはようと言ったら、おはようと返さなくてはならない。
  8. どんなに偉い人だって、どんなに頭のいい人だって、言葉にした時点で「負け」なのよ。それを理解できなくては、人前でしゃべる権利なんてないのよ。
  9. 私はね、グリーン上で3番アイアンを使うような男になりたいんだよ。そして、キャディも「それしかありません」と言うだろう。
  10. 宇多田ヒカルを聴かないで、浜崎あゆみを聴くというのは、より完璧主義に近づこうとしている兆候。宇多田ヒカルは、どこかいい加減。浜崎あゆみは全力な気がする。
  11. たとえば、私のすることで私が完璧だと思わないものが、誰かにとって完璧だったとしたら…。結局ね、みんな自分勝手なのよね。でも、私それイヤなの。目の前の相手が完璧だと思うようなものを提供したいじゃない、それがどれ程私にとって完璧じゃなかったとしても。それが愛でしょう。
  12. 感覚が似てるから「友達」なんじゃなくて、全く違う感性を持っていたとしてもちゃんと想像してわかってあげられるから「友達」なんだよね。私は私のコピーなんかと話したくない。私と違う感覚を持っている人と互いに分かり合おうと最大限努力するのが好きなの。マックスまで考える気がない人ならいらない。
  13. サッカーの試合中は魔法使いのように、このメンバーの中で誰よりも冷静でいなくてはならないと思っている。私は特別背が高いわけでも、体がゴツいわけでも、足が速いわけでも、技術があるわけでもない。だから、自分のやりたいことをやるために周りをうまく使う。あ、編集と同じだ!
  14. 「評価に値するのはそいつの行動のみ」。よくわかる。でもだからこそ、私はね、その行動に至るまでの心の揺れ動きみたいなものを拾わなくてはならないと思うのよ。そこに至らなかった人の気持ちにも、色んな葛藤や迷いがあるはずでしょう。そういうのがわからないような大人にはなりなたくないの。
  15. 「仕事ができる」って言い方をよく聞くが、私もたまに使ってしまうのだが、とんでもなく差別的な言葉だから使わない方がいいと思う。そういう言葉が沢山ある。仕事ができるって何? ご存知の通り、その意味では、私は仕事なんてできない。そういう仕事をしたくないと思っている。仕事が早いとか草。

私の叫び 78

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  1. 「タイプは、ケチじゃない人」と言うが、無職の人からなけなしの100円でガムを買ってもらって、喜ぶのだろうか。私は喜ぶ。すごく嬉しい。じゃなけりゃ、「タイプは、お金持ち」と言ってほしい。せっかくなら、なんでも頑張ったその幅を評価したいし、されたいよな。
  2.  
  3. 何が起きても、まず自分に刃を向けないのは、私からするとルール違反。
  4.  
  5. 思えば、そんな大した話をしたことはなかった。その時には、なんとなく同じようなことを感じ、考えているのだろうと漠然と思っていた、仮に違っていても別にいいやというくらいの。でも時間を経て話してみると、意外とほとんど同じ領域で話をしていたんだなと思えた。だから、ある意味ではその頃にはすでに共有できていたんだと思う。
  6.  
  7. ‪極端に言えば、どんな悪いことをしてもいい、ただ自分で何をやっているのかがわかっているのであれば。‬
  8.  
  9. 自分が馬鹿であることが悪いのではなく、自分が馬鹿であることに気づかないことが悪いのである。
  10.  
  11. ‪超個人主義者にしか他者を救う権利は与えられない。‬
  12.  
  13. 私の身体、思考、言葉、感情、行動、所作、考え方の癖、行動の癖、そのあらゆるものを自らのコントロール下に置かなくてはならない。私は最強になりたいんだ。ステキな年始(2018)を迎えられるように、自分が関わるものをちゃんと意識し、その言動(外に漏れないものも含む)に責任を取ろうと思う、完全無欠に。
  14.  
  15. 修行タイムに入る。私がやることなすことすべてに責任を取るということ。私の関わるあらゆることを自らの意識下に置きコントロールすること。「完全完璧に人間になる」ということ。決して「完全完璧な人間になること」ではない。私はまだまだ一人で立てていない。この身体で、この二本足でちゃんと立ちたい。
  16.  
  17. 世間の流行や論調をつくるのは、マスコミや仕掛ける側だけでなく、国民一人ひとりであることに気づいていない人が多い。
  18.  
  19. 問題は、自己嫌悪と自信のないこと。自己嫌悪がないというのは、自分の言動に自信があるということか。もしくは、振り返らないか。自虐風マウンティング的自己嫌悪を表出することは悪だろう。それでも信頼する相手に対して、それを出すことが甘えだとしても、そうやってしか自らを保てないとしたら、どうだ。
  20.  
  21. 他者に全く影響されない自分を獲得した時に、果たして他者に対して興味や関心を持ち、私事のように考え想うことができるのだろうか。私と他者との境界線は必要なのか、それとも必要ないのか。その境界線をどこで引くかを自ら定め、またその相手を選ぶことで、私は保たれるのか。そのようにして保つべきなのか。
  22.  
  23. いつだって消え行かないこの浮遊感。仕事をしていても、いつも地に足がついていない。どうしたら地に足つくのか。地に足ついたからといって、満足いく日常を過ごせるかどうかはまた別の話で、いったい私はいつになったら「私」になれるのか。私とは誰か。私とは何なのか。他者を通してしか確認できないのか。
  24.  
  25. 最近気づいたことがたくさんある。大局的視野を手に入れつつある。前よりも世を、世界を上から見ている感覚。自分の中で色々なものが入れ替わる気がする。まずは心身、そしてお金。マインドフルネス実践。2018年の目標は「白」、カラーはシャンパンゴールド(金)。2017年は「力」、イタリアンブルーだった。
  26.  
  27. お仕事柄とか言うけど、私は物書きじゃない、作家じゃない。編集者なんだ、黒子なんだ。作家先生に頼んで書いてもらう立場で、自分で書くわけじゃない。意外と、この職種って理解されていないんだな。編集者がペンネームを名乗っていたとしたら、作家を馬鹿にしているだろう。まぁ、わからなくて当然。
  28.  
  29. 人間なんてものは矛盾する生き物だ。私が大切にしていることは、その矛盾を自分の中でちゃんと飼い慣らしているか否か、だ。矛盾することが悪いのではない。その矛盾を自ら認識し、そんな自分を抱き込む客観性と愛がなければ、人間なんてものは本来成り立たない。覚悟がなければ、到底人間にはなれない。
  30.  
  31. 現実的に起こるってことは、何よりのそれが正しいことの証明である。
  32.  
  33. ‪「自立」しないと、なにも始まらない。

この場で一番の「弱者」は誰か。

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単に立場的に弱いものを弱者と認めない。頑張っている(行動の伴っている)弱者をこそ、弱者とする。その上で、弱者とされるもの、「小さくされたもの」を助けたい、というとおこがましいが、その人に連帯したい。

弱者の声に耳を傾けたい。

 

この場で一番の弱者は誰か。

 

誰にでもわかる明らかな弱者を私が助けることはない。私の出番ではないからだ。

「狙って」泣いている女の子を救うのは泣いている女をほっとけるはずがないと思う男に任せればいい。

【バカップルの誕生】

 

私は、なにより権力のある強者とされるものが弱者となる瞬間を見逃したくないのだ。

 

マイノリティや、立場の弱い人の気持ちをわかろうとし、彼らを擁護するような立場に立とうと思う人はね、その場で一番の弱者が誰なのかを真剣に考えなきゃならないと思う。

私は、突然何かが起こって、権力者がマイノリティになる瞬間を見逃すようなリベラリストにだけはなりたくないの。

 

結局、そういう風に言ってしまうと、その人が最も大事にしていた主義・主張と反することを自らがやることになってしまうことに気づけないのか。

私はたとえここで死んだとしてもそうなりたくない。

それが、私にとって人間としてちゃんと責任を持ってこの地球で生きるってことだから。
そうじゃなくて、そういう被害を受けたからには、少なくとも弱者やマイノリティに対して少しでも傷つけないように言葉を選んだり、誤解されないような態度をとったりすることが、傷つけられた人ができる最高の姿勢じゃないのかな。

結局、私が「弱者」、「小さくされたもの」の存在に気づいてあげられなくなると、母はおろか、父のことさえも「救えない」人間になってしまうんだ。

私は両親を救いたい。

それが、世界平和へと繋がると信じている。

 

目の前にいる人を【ハラワタを突き動かされて】救えなきゃならないんだ。

頭で考えることではない。

 

たとえば、いかに白人を恨んでいる黒人でさえも、黒人街で金髪白人女性が道で倒れていたら助けるでしょう。

違うのかな、少なくとも私はそうありたい。

そういう場面では、反射的に体が動くと予想している。

 

父は、「評価に値するのは行動(結果)のみ」と言った。しかしそれは必ず、「プロセス」を含んでいる。

父の誤解されている点は、私がみんなに誤解される点と重なる。

結果だけを求めていると勘違いされるが、本当は「優しすぎる心」を経ているんだ。

 

男女平等ってなんですか? 共働きでも女の人が料理を作らないといけない暗黙の縛りはなんですか? 全然平等じゃない。それを込み込みでやっているのならいいと思う。でもそこで女の人が私の方が負荷がかかると思っていながらもやっているのなら、やはり目に見えない「常識」に縛られていると思う。

男女平等を目指すのであれば、女の人に「料理作れるの?」と言うことはセクハラだろう。

 

どんなときでも、自らの加害者性に気づかなくてはならない。

 

自分が楽だからこれでいいと思っていても、そのせいで周りが迷惑しているのなら全然平和的じゃない。話し合って役割分担を決めることも大事だろう。助け合いの精神ってのが難しい。その人にとってのキャパもあるし、その点、ずっと家事をしている父は本当に偉い。

 

愛, 優しさ, 慈愛, ほっとけない精神
論理, 整合性, 筋
正義, 倫理, 公平
情熱, パワー, 熱量

 

この日本にいて相手がいる状況ならば、必ず「正解」はある。

でなければ、快楽殺人犯はいくらでも人を殺してもいいということになってしまう。

極端なのではない。大なり小なりそういうところの甘さがある人はいつだって自分だけが攻撃できる、救われる論法を使う。だからそれが私の正義に反するのだ。

 

‪どんなにウザくてヤバい奴がいたとしても、私はそいつとの関係を自ら切らない。

少なくとも、話をすると思うんだ。

そうやって話すことさえしない人たちは、殺人犯は自分らとはまったく違う価値観を持っている、単なる異常者だとして思考停止してしまうだろう。

その結論こそが殺人犯を育てるとしたらどうだろう。‬

「お金を稼ぐ」

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現代社会で生きている以上、私たちは分業で支えあっている。
お金を稼ぐのは、他人の力を借りるため。

生きていくために他人の力を借りたければ、自分も他人の力になれるようなことをする。
お金を稼ぐというのは、価値を集めるということ。

その価値を裏付けているのは、人々の信頼や感謝という気持ち。

 

本当は、お金の貯め方ではなく、その使い方にこそ注目すべきで、単に浪費を避けるという意味ではなく、何にどのくらいの対価を払うことをよしとするかどうか、ということのような気がする。
極端に言えば、お金は手元になくてもいい。
例えば、信頼があれば、信頼してくれる人にお金を借りまくれば成り立つ。

 

そうなると、借金することが一概に悪とは言えなくなる。
お金を借りて、そのお金をどう使うかこそが、その人そのものな気がする。
借りられるということであれば、それはそれまでのその人の人望や信頼の証である。
稼ぐことというのは、ある意味、その信頼をどのように増やしていくか、である。

 

お金は「天下の回りもの」と言うが、今まではその意味を正確に理解できていなかった。
お金を使うことで、色んな人のところを回っている、という意味だけではない。
それはなんかしらの法則で、どこかに集まっているんだ。集まるところに集まる。
それをどう使うかによって、また集まり方が異なってくる。

 

集まるという言い方は的を射ていない気もするけど、価値のあるところに、信頼のあるところに入って来て、またそれが外に出て、倍増して戻って来る。これが回っている、ということ。


この場合の価値や信頼、それは単純に「この額を払ってでも手に入れたい」というものを意味しない。
本物の価値や信頼だ。

 

信頼や価値というと、なんだか説明不足なのだけど、結局は相手のことを思っているかどうか、本当の意味で他人に感謝されるかどうか、である。


世の中の人がみんな支え合って生きていると書いたが、支え合う時にどのように相手のためになるかを考える。
そして、それを真に実践する人だけが、本当の意味で、お金を稼ぐということになる。

 

2017.10.31 秋

私の叫び 77

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  1. 単純にすべてを懸けたい、と思える相手を見つけられるかどうか、だ。そう思える決め手は、その人にとって顔かもしれない。でも、いまの私にとってはそれが顔じゃないのかもしれないと思っている。もちろん、とんだブスとは付き合えない。しかし、本当に熱意があり真剣だったら、もしかしたら考えるかもしれない。もう歳だからなのか、心が満たされない時間がひどく辛い。
  2. 私が「負ける」なんて、本当に想像したことがなかった。その時までの私は、とても自己中心的だったのかもしれない。
  3. 最近、人間として一個レベルが上がったと思う。というか、本当に大事なものが何なのか気づいた。ありきたりな言葉なんだけど、勇気とか一途、真剣、仁義、義理、決意、覚悟、責任。
  4. 「あなたのために」という部分がなくては信頼なんてされない。そして、その部分は相手に絶対にバレてはならないんだ。そうすることで、知らぬ間に信頼度が上がる。あるいは、相手がそれに気づいたときには、信頼度0が急に100になるんだ。だから、こちらは出し惜しみなんてしてはならない。本当に好きなら、ね。
  5. 最近、相手を選ぶときに本当に大事なものに気づいた。それは顔ではなく、その熱意や本気度(真剣度)なんだ。そういうものでしか人間と人間の関係を強固になんてできない。まぁ、想いというか。
  6. 最近わかったのは、本当に信頼できる人は一目ではわからないということ。過去の発言を撤回するわけではない。ただ、人を評価するには、ある程度(それがたった5分でも)時間の流れというか、伏線というか、なにかこう2次元ではなく3次元的な判断が必要になってくるんだと思う。そういう意味では、顔が好きで付き合うのはリスキー。
  7. もしかしたら、人をちゃんと好きになったり、信頼したりしたことってないのかもしれない。本当に好きで信頼する人が現れたら、たぶん本当に私のすべてを捧げようと思うと思う。それは単にMとかではなく。
  8. 誰かが私に危害を加えたことを私はただ批判しない。それでどれほど傷つけたかを想像できる人にそれ以上何か言う必要なんてない。あるいはその気持ちだけで、そのミスは帳消しになる。私にとって、傷つけられること自体は問題じゃない。それ以上に、そのことをちゃんと本人が理解しているかどうか、だ。
  9. 私には人に自慢できるものが何一つない。周りから見たらそうでないかもしれない、自分の理想が高いだけなのかもしれない。それでも自分には本当に何にも(武器やら何やらが)ないことが悔しい。努力しかない。
  10. 初めての経験だが、全く音楽を受け付けない身体になっている。今までは音楽がなくては通勤時間も辛かったのだけど、今はそんなことはない。音楽なんてまるで雑音だ。心の中に鳴るものが、響くものが常にある感じ。この心をちゃんと飼い慣らさないと、大変なことになる。
  11. 答えだけを求める人って結局、次同じ事が起きても自分だけでは対応できないのよ。本当はすべて自分で考えなきゃならない。たとえば、そんなものがあるかどうかは知らないけど、本当の答えと違ったって、今のあなたが導き出したものなら、それに自信を持つしかない。大事なのは、「あなたがどうしたいか」よ。
  12. ‪多くの人は、本性を自分の「もと」からある性質のことだと思っている。でも違う。私たちは人間だから、自分を完璧に管理することによって、その性質を「変える」ことができる。ムチャクチャな自分ではなく、すべてをコントロール下に置いた自分こそが、「本性」なんだ。それでやっと相手と接することができる。‬
  13. サッカーは確かに11対11なんだけど、局面では一対一だから好きなんだ。結局、目の前の相手を一人くらいはぶっ殺さなきゃ試合に勝てないわけで、タイマンで勝てる力が必要とされる。ただ同時に、周りには味方がいて、勝つ可能性が高くなるなら、味方と組んで二対ニや三対三にすることもできるんだ。
  14. 誰かがそうであるように、9月10日以降、私の世界もガラリと変わった。フェーズ、ステージ、ゾーン、、何かが明らかに変わった。見える景色(視野)が違うというか、一つ選択肢が広がったというか。しかし、その変わりように未だに慣れない。感覚的にそちらの世界へと誘われた、というような。この世界は先がなにも見えない。ただそんなに不安ではない。確かに“光”みたいなものが見えたんだ。あるいは(今も)見える気がする。
  15. 誰かに傷つけられて、その相手はちゃんと傷つけたことを認識し、反省していたとする。その場合、これ以上何も言えない。しかし、ここからだ。本当に信頼している間柄なら、「あなたがつけた傷なんだから、あなたが治さないと死んじゃう」と言える。ここまできたら信頼しきっている。しかし、そんなことをするということは、もう人間でなくなったいることを意味する。いい意味だ。

  16. 傷つけた本人しかその傷を癒せない。「あなたがつけた傷なんだから、あなたが治してくれないなら、私は死んでしまう」だなんて言ってみたいよね。