何番がお好き? vol.69
- 腕をよく上げて動いている女の子は可愛い子ぶっているわけではないことも多い。それは自身の巨乳を隠すためにやっていることであったりする。それを可愛い子ぶっているから嫌い、と判断するのは私の最も嫌いなことだ。相手の本当に隠したいものに気付き、それをどう処理するかが、私の仕事。
- 極力、私はひとと関わりたくない。本気でないひとがひとと関わるわけでしょう。そこをつくと、結局「なに熱くなってんの」「なに本気になってんの」的な戯言をぬかす。勘弁してくれ。その温度が違うことはこちとら承知よ。だからこそ、そこは絡むひとが相手の温度に合わさなくてはならないのよ。
- あなたは、飛躍が過ぎてまともに目の前の相手と会話ができていないことを顧みず自身の妄想からくる取って付けただけのあくまで個人的な見解である虚像をそのまま相手に押し付けながら会話を進めるその根性が考える葦であるとされる人間として他者を人間を生き物を馬鹿にするような態度であることに気付かない。
- 人前で喋るということは、その時に黙る自分を殺し、また喋る相手を殺すことになる。
- 「こういうこと言いたくはないけど、『在日』ってのはこの日本ではゴミクズなのよ。日本に渡ってきた一世たちは泥すすって生きてきた。その子孫であるあなたがね、日本で地方参政権だろうと永住権だって、ヘイトスピーチに抗議する権利だって自ら求めちゃならないのよ。映画『ゴッドファーザー』を観なさい!」
- 立場を知れ。私たちは潜在的犯罪者だ。そんなことは相手の立場に立てば、容易に理解できる。だったらどうしなきゃいけないかってのが問題で、日本に住むってことは日本人になるってことだよ。となると、日本人になろうと努力しないといけないんだ。それをさ、道外して助けてください、はないだろう。
- 私にとって、いい映画やいい本の条件は、一瞬でも「人を殺したい」と思わせてくれるかどうかだ。
- 「こんな汚い川でよく生きていられるよね」と人は言うけど「こんな汚い川だからこそ生きていられるのよ」。
- 日本語が、というより建設的な話し合いができない人間が、なぜこうも人と話したがるのか、私には理解できない。祖国の言葉ではなく、生まれ育った母国語を扱えないなら、死ぬしかない。ひとと関わるには条件がある。そして、もちろん礼儀やしきたりも知らなくてはならない。
- 他者と会話をするとき、相手の一言が一体どんな背景から、どんな意図で出てきたのかを考える。大体において予想がつくのだが、その確証がないままに次のターンに移ろうなどとは思わない。なぜなら、その意味を取り違えていたら、後々になって一切「対話」をしていなかったことになりかねないからだ。
- 察しが悪いのではなくて、私があなたにその能力を使っていないだけなの。それを喜べないのなら、死ぬしかないわ。要するに私の前では、近しい者は、一周して全くの他人となるのだ。でもそれは私からすれば本当に尊いものなの。ただ信じるだけ。それ以上何かいる?
- あなたにとって私が完璧なら、私はあなたの世界に必ず存在しない。
- 戦場ヶ原は誰にでも救いの手を差し伸べる阿良々木のことを運命の相手だと思えた。恐らくあそこにいたのが戦場ヶ原でなくとも阿良々木は救おうとしたに違いない。そういう運命性に戦場ヶ原は賭けたのだ。決して戦場ヶ原を救う為だけに生まれてきた訳でない阿良々木だからこそ戦場ヶ原を救えたのだ。
- 運命のような命題から逃れられない呪われた自分を愛す他、生きる道はないの。
- 正しい価値観なんてものはないという考えは正しいのだけれども、少なくとも、自分が持つ価値観を、なぜ正しいのかは誰にだって説明できなきゃならないのよ。
- 「ぼくは、私の妻と不倫したいの」
- 完璧に価値観や相性が合う人なんてこの世にはいない。私がそういう人があなたにも必ずいると言うのは、そう勘違いさせてくれる人は必ずいるという意味で、だ。でもね、勘違いで十分なのよ。ドッペルゲンガーだと思わせてくれて出会った瞬間、二人とも死んじゃえばいいのよ。
- 学歴なんて関係ないよ、と言えるのはこの日本では東大生だけだとして、私が学歴なんて関係ない、と言うのは、もうピエロで言っているのよ。
- 踏んでるか、踏んでいないかでしょう。
- 例えば、私が何かを馬鹿にしたとする。その対象に、目の前の人が入っていたとしても、私たちの信頼関係のもと、その話をしている時点で、それは目の前の人を馬鹿にするものでない、客観的な事実を話したまでだということを理解できないのだろうか。私の言い方が、やや挑発的であることは否めないが……。
- 言い方を変えなくてはならないのだろうか。私がそこで折れると、目の前の人を信頼していないということになってしまう。私の勝手なのか。ただ信じているかどうかの踏み絵なのよ。大丈夫な場合に、種明かしをするのさ。誰だって信じていないからね。
- 自分が飲みたくて飲みたくて仕方がなくて午後の紅茶を買ったのに、乾いている植木を見て、その私の心から欲していた水分を午後の紅茶に与える時、私は本当に愛に溢れている、共産主義者だな、と思う。
- カッコいいままで死ぬことよりも、ダサくて生き恥晒してでも生きることを、本当にカッコいいと思える人間でありたい。
- 私は、他人を「私」だと思っている。私は「私」を救うためだけに生きている。
- 私の直近の夢はね、東京朝鮮高校で演説することだ。「お前らの考えは間違っている! お前らは強制的に連れてこられたことを論拠にしているが、それなら国へ帰れ! そうでないなら、お前らは自ら日本国で生きることを決めたんだよな! ならば起立」(君が代が流れる)「国歌斉唱!」。
- 例えば精神論だが、在日というのは、一世のように生きねばならないと思う。泥をすすり、血と汗を舐め、人を殺して(注・比喩)生きていくんだ。現代で言えば、日本国の一員として社会の規範を守り、一生懸命働いて、死に物狂いで家族を守るんだよ。
- 世間的には矛盾するかもしれないけれど、例えば、四六時中、理性だ理性だと言っている奴が、「この人は黒人だから嫌い」と言ったって、私はそこにちゃんとその人のポリシーを感じるわ。
- 例えば、あなたのそのポリシーに、哲学に、思想に、システムに一貫性があるのなら、私はあなたが快楽殺人犯だって愛すのよ。
- すべての人に共感してもらいたいとは思わない。いつだって世間とのズレを一番に意識している。誰よりも俗物なの。でもだからこそ、自分の言動がどれほど正しくて、美しいかを知っている。私の言動は、私が思う一番のものでなければならない。みんなだってそうよ? 覚悟がないことをやっちゃダメ。
- それは何かをやってくれるとかではなく、ちゃんと手順を、論理を踏むってことだ。それを私は何よりも重んじる。要するに、筋だ。その上に感情が、怠惰が、愛が存在するのよ。私の生き方は変えられない。
- こんなにも他人本位なのだから、これ以上折れることなどできない。これが、私の言う動物と人間に線を引くってことなの。
- 互いにいい方向に勘違いしてふたりがひたすらに自分の中でだけ表と裏を行き来しながら相手と会話をする、要するに自分と会話をし続ける、これが恋でしょう。
- 「お前とは親友だよな? 信じていいんだよな?」。なぁ、どうなんだよ!?
- お前が馬鹿かどうかは俺が決める。だからお前は俺が馬鹿かどうかお前が決めろ。
- 本当の女は男を男だと認識させるでしょう。本当の男は女を女だと認識させるでしょう。二人とも同性の中にいると、まるで異性のような存在なのに。
- 苺ショートケーキの包装紙を舐めることは、その行為が大変にハシタナイことだと知っている場合にのみ許される。
- 顔が性格で、性格が顔だよ。
- あなたは私の前で裸になった。それを大勢の通行人が見ていた。あなたは言った。「私を裸にしてよ」。私はその女の脱いだ服を一枚ずつ着せていった。靴下と靴を履かせると、女は満足そうに私を見て微笑んだ。
- 私を非現実的・理想主義的と批判するけど、私からするとあなたはとってもじゃないけど現実的でないのよ。私が言っている現実ってただ「現実」ということじゃないの。現実を経て、非現実を経て、現実に着地するってことなの。
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何番がお好き? vol.68
- 映画『男はつらいよ』の一番の見どころは、寅とリリーの恋模様だろう。まるでフランス映画に出てくる男女のような大人っぽい関係にウットリする。寅はリリーとは似た者同士だと言うが、リリーはそう思っていない。だからリリーは何度も結婚し離婚するのだ。寅には「家」がある。その差はとても大きい。
- 私以外の人間が存在する理由が私の世界の中では、ない。
- 人と話すのは疲れる。緊張するからだ。そして自分を守るために私は喋る。確かに、他者がいなくては自分の存在を証明することなんてできないわけだが、私は恐らく、私はあるということ、それを他者という人間を介さずに証明したいのだと思う。要するに、私は私があることを私で証明したいのだ。
- 社会と個人。在野でいたいと思った瞬間、それは在野とそうでないものを意識している。その瞬間、在野でもなんでもなくなると思うの。
- 私が二十歳前後に信じて崇拝した「未来の私」は存在し得なかった。それは今となってわかることだが、あの頃描いたものに取って代わるようなものが、果たして今の私に描けるだろうか。
- 俗世間に媚を売り、いわゆる人間に成り上がろうとする時、私たちはいずれにしても「個」でなくなる。
- 残るものは、すべて他者、他物だ。ハナから我々は自分のものなんて何一つ持ち合わせていなかったんだ。私のこの身体だって、この思想だって、この常識も癖もすべて私のものではなかったんだ。それに気付けた時、私は私でなくなっていた。
- 女にモテるための要素の一つに、本当に女が必要だと心の底から思っていることが挙げられると思う。それは別に女が好きでなくてもいいということだ。女が嫌いで嫌いで仕方がなくても、必要だと思っているかどうかがポイントなのである。
- サプライズでプロポーズできる男が男らしくて、女に言われて結婚したやつが男らしくないだなんて思わない。やっぱりそういうものの見方をしたくない。もちろんその通りの人もいる。そいつらとわたしの言っている人間を見分けられる人間だけをわたしは信じている。
- 私は、基本的に全体が見えてこない限り派手に暴れたりはしない人種なの。だって怖いじゃない? 私が知らないゾーンやラインで罠を仕掛けている人だっているかもしれないでしょう。
- 「しかし私は迷信深い。万一息子が事故に遭ったり警官に撃たれたりした場合は心穏やかではなくなる。独房で首を吊ったりしても同じこと。例え雷に打たれて死んでもだ。私は諸君の中の一人の仕業と思う。決して許しはしない。」映画「ゴッドファーザー」より
- 私は返事を待った。一日中、ポストの前で待った。しかし、届かなかった。気がつくと、私は手紙を出していないばかりか、紙や封筒、そしてペンさえも揃えていなかった。それでも私は今日も待っている。明日も待つことになるだろう。
- みんな個人的な悩みを抱えている。どれほど馬鹿げていようが、それを批判したりする権利など誰もが持っていない。
- 私は基本的には超だらしがなく、テキトーなので、よく周りの皆さんにご迷惑をおかけします。O型だからなのか、楽観主義者だからか、本当に“大体”で生きてきました。しかし、こと仕事に関しては、なるたけ時間通りに、丁寧に、ちゃんとやっているつもりです。それはなかなか骨が折れるもんです。
- ある意味では、作品と作家は別物だと思う。私は、どれほど作り手が人格破綻者だろうが、“いい作品はいい”論者です。
- 考え方というのは、その人間そのものである。
- こちらが完全に正しいとしても相手を責めることは、私の罪悪感に火をつける。例えば、相手を責めていないとしても、いわゆる普通の会話をしていても、この自分の「温度」は相手にとって適切かどうか悩みに悩む。だから、気を許せて話せた試しなんてない。いつだってアウェイ、万歳。
- 私が人前で不機嫌になるのは、その人のことが好きな証拠だ。
- 死ぬということは美味しいということだ。
- 私の言葉はね、19歳の女の子が20歳になるためにあるのよ。
- たとえば、ぼくは女の子に元気が出るようにと本をプレゼントすることができる。たとえば、ぼくは女の子に元気が出るようにとデザートを買ってあげることができる。
- 持って出掛けた傘を、ちゃんと持って帰ってくることができるのが大人だと思う。
- たとえば、罪悪感。たとえば、責任感。たとえるとするならば、落ち葉。
- でも、メールが来ることが事前にわかることはよくあるんです。ネタばらしをすれば、それは私がそう願っているからであり、そう仕組んでいるからなんです。
- Twitterで、社会に対してではなく、恋人や不倫・浮気相手などの好きな人に対して何か言っている人の方が好き。人間って感じがするし、それはそれはとっても哲学的なことを、誰しもが言っていたりするから。私が欲しいのは、不特定多数にかける言葉でなく、特定の人にかける言葉なの。
- その人の為だけに考え作った言葉は、誰もが見れるような場所にどれほど晒されようと、それそのものの力は一切衰えない、と私は考えます。言葉を発した人が、誰かに見てほしいという邪な考えを持ったとしても、それは言葉を紡いだ後、あるいは前のことだからです。
- 言えば言うほどドツボにはまるから言わないという選択肢は、私にはないの。そのまま地獄に落ちようが、言い続けるの。いいの、私の人生は私のものだから。ただ聞かれたら、その動機や構造を何から何まで説明できなくてはならない。
- 結局、私たちは“お母さん”のために生きている。
- みんな結局、“お母さん”に褒められたくて生きているのよ。絶対そうよ。
- どんな人だろうと組織だろうと、そこで機能しているシステムさえ理解できれば、私はちゃんとそれに合ったものを提供できる。セオリーさえわかっちゃえば、例外にも対応できる。エアコンの単純な温度設定だけでなく、風向きや風量みたいなものもつかんでから、私はその部屋に入りたいの。
- その場面においては「調和を乱すことこそが、調和」という美を私は信じている。
- 私はズルい。だから他人のするズルにすぐ気付いてしまう。私はズルい。でも私は私がズルいことを知っているから、人と関わる時には、相当な覚悟がない限りズルしないの。
- 私、本当異性の友達に恋愛感情を全く持たないことで有名なのよ。男友達だとは思っていない。とにかく妹みたいな感覚に近いと思う。ヤリたい妹に昇格したら、嫁にする。
- すべては行動力。
- 「本当の武道は、怪我をしないで長生きすることだ」
- 夫婦別姓の違憲訴訟は、壮大なのろけであり、金持ちの暇つぶしである。
- 私の言葉は、全部ダブルミーニング。
- なるべく分かりにくい文章を書きたいと昔から思って書いてきた。でも、分かりにくい文章を書くには、分かりやすい文章を書けなくてはならないことに気づく。
- 中二病って、ドストエフスキーの『罪と罰』をブックカバーをかけないで、その表紙を見せびらかすことではなく、それをハシタナイと思い、わざわざブックカバーをかけて電車でその本を読むことなのよ。わかるかしら。もうこういう考えを持った時点で中二病なのよ。だから私は表紙を見せびらかして読むの。
- 世界はおにぎり化した。そして混沌としているように見える浮世は、実はピザ化しているのだった。
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@pourguoi 秋人間
掌編小説『革靴専門店』
気が付くと、目の前に靴屋があった。
革靴専門店のようだ。
高級革靴店ではないようだが、そこいらの革靴店でもない。そのちょうど間くらいの門構えをしている。入り口は小さいが、店は大きな道路に面している。いわゆる路面店である。山手線のS駅とH駅の真ん中くらいに位置している。
私はその靴屋に入った。
扉を開くと、いらっしゃいませの声掛けが私に向かってされた。店員は私と目が合う前に私の靴を一瞥した。その後で私の目を見てにっこりと微笑んだ。
私はその場をすぐに立ち去りたかった。私はスニーカーを履いていたからだ。それに接客をする上でその品物を扱っている店員が客の身につけているその品物を真っ先に見るだなんて言語道断。失礼極まりない。
しかし私は妙な好奇心を持ってしまう。このような接客をする店員が他にどのような致命的な接客を今後するのか気になったのだ。私はただその好奇心のみでこの店に留まることにした。
店員は一人しかいないようだ。小さい店だった。しかしそこには沢山の革靴が綺麗に配置され、革の匂いが充満していた。私はこの匂いが大好きだった。品物もちゃんと選んできたものらしく店員は満足気な笑みを常に浮かべている。いわゆる靴のセレクトショップだった。恐らく私が声を掛ければ、サイズを聞きそのサイズの革靴を笑顔のままこの店員は出すだろう。
でも私はこの店員との直接的なコミュニケーションなしに、例の接客を見たかった。店員は相変わらず笑みを浮かべている。ふと店員の靴を私は見た。店員はスニーカーを履いていた。
あるまじき……、と私は思った。革靴専門店の店員がスニーカーを履いている。それで先ほど私より先に私の靴を見たのか。
私が店員の靴を見たせいか、一瞬にして店の雰囲気が変わったように思えた。もう革の匂いも一切してこなかった。
急に店員が私に近寄り話し掛けた。
「見ましたか?」
私は戸惑った。
「見ましたか?」と店員は念を押してきた。優しいような怖いような声だった。そこには感情の機微など一切ないようにとれた。
「何をです?」
「私の靴をですよ」
「いえ、見ていません」
「では私の靴が何なのかお分かりでしたらこの店の靴を一点無料で差し上げます。さあ当てて見てください」
店員の足元を見ると、真っ黒いビニール袋で両足とも覆われていて、上の方できっちりと結ばれていた。目が合うと先よりも強く微笑みながら店員は言った。
「さあ、お客様、お当て下さい」
続く)
2014年04月29日
秋人間
「回想記2」
しかし、それはいわゆる性欲とはかけ離れたものだった。ほとんど乳離れができていないことと同義だったように思う。
もしかすると、人間はお母さんがいないと生きられないのかもしれない。その「お母さん」というのは、特に血の繋がりを求めない、誤解を恐れないで言うと、ただただ「おっぱい」ということだ。
成人の性欲とは違えど、私は確信犯的に女の裸を見ようとしていたことは確かだった。
小学校三年生くらいの頃。家族で旅行に行った先のホテルの大浴場でのことだ。
母が先に女湯に入った後、父はいますぐに母に伝えなくてはならないことがあった。私はそこで「(女湯に入って)母に伝えてくる」と伝える。
すると、父は私を止めた。
いま思うと、私はその頃にはすでに敏感だった。人の言動の裏が透けて見えた。
父が私を止めた理由はすぐに理解できた。
結局、2歳年下の弟がその役割を担うことになった。
何より悔しく悲しかったことは、このとき私自身に「女の裸が見たい」というやましい思いは何一つなかったことだ。
私は、正当に評価されないことを忌み嫌う。たとえば、やっていないことをやっていると言われることには耐えられない。やや矛盾するが、やったことをやっていないと言われるのには少し耐えられる。
ただ自分の中では、罪悪感が芽生える。
罪悪感があれば、私は何をしてもいいとさえ思っている節がある。
2016年1月30日
秋人間
「回想記」
大学に入学してすぐ、体育のような授業で20メートルシャトルランをやらされたわけですが、完全にサッカー部という格好で挑んだら、意外と女子ウケがよくてビックリしました。フットサルシューズから短パン、上着のピステまで、格好いいと褒められました。もしかすると、うちの大学には、女子校あがりが多いから珍しかったのかもしれないけれど……。
まだまだ私も調子に乗っていて、シャトルランも125回やり、最終的にはラグビー部の人と二人きりになってしまい、アイコンタクトで「俺たちピエロだな」ということで、止めることに。
拍手喝采だったのを覚えている。
その後、その授業には出なくなり、ほとんど休んだ挙句、ジネディーヌ・ジダンについての論文を書いて、なんとか単位をもらったということがありました。
その頃は、性交していない奴とシャトルラン125回できない人は、大学に入学すべきでないと本気で思っていた。
高校の時に、馬のように走らされた記憶がないやつは信じたくない。
そう思っていた。
しかし、そんなことができなくても、十分に気合いの入ったやつを私は見てきた。
そういう人たちを見ると、本当に感動する。どうしてそんなに気合いが入っているのか大変気になったものだ。
ーーあの頃の記憶。
雨の日に市営バスに乗り、重い鞄を持ち、今日の宿題はどのくらいあったか、などを一人で悶々としながら端っこの座席に座っていた。バスの中に、誰かがテイクアウトしたマクドナルドのポテトの匂いが充満してきた頃、私はちゃんと生きているのだか、ほとんど死んでいるのだかわからなくなった。なんの希望もなかった。
私には高校の頃まで自我など存在しなく、ただただ時に身を任せていたと思う。サッカーと勉強。それもそれなりに。何かこう、主体的に取り組んだというものはなかった。
浪人した時に初めて、自分にとっては「自由」というものを感じた。主体的に生きていると思った。本当は何もわかっていなかったけれど。
浪人時の私のひそかな夢は、たしか、「何にも拘束されず、鞄を持たずに白いスニーカーを履き、カフェで煙草を吸うこと」だった。
そう考えると私は大学デビュー、いや浪人デビューをした者なのかもしれない。髪の毛も坊主から一気に超ロングヘアーへと変わった。でもやっぱり、その時に馬鹿みたいに高い服を着て、イキがったからこそ、見えたこともあった。
今まで私が生きた世界とはまったく違っていた。
私は中学校の頃の夢であった「通訳者」を目指さなくなった。芸術に触れて生きていこう、と思った。その時に私ができることは、文章を書くことだった。それで作家を目指すことにした。とにかく、そう思ってからはmixiで毎日毎日、拙い文章を書いた。
言ってしまえば、私はいつだってモテたかった。それは特に、ゼックスがしたいとか、異性の身体に触りたいだとか、そういう欲求を叶えるためではなかった。
ただ、私の容姿や考え方、私自身を認めてもらいたかった、支持されたかった。それだけだった。でも、モテたいと思っていない人なんて、私は絶対に信じない。
2016.1.29.
秋人間
「父による村上春樹に関する考察」
どうやら、日本一売れる作家のことが多少なりとも気になっていたようだ。
2016年1月16日 秋人間
何番がお好き? vol.67
- 私はたくさんのサインを出している。でもそれを拾うか拾わないかはあなた次第。
- いつだって、絶対的な見方と相対的な見方を持っていなくては、遠近感がでないのよ。そうでなきゃ世界を正しくは見れないと私は信じている。絵画の世界では、遠近法を取り入れたことがとんでもない革命だったわけでしょう。それとは違うのかもだけど、私にとっては、絶対と相対を両方駆使して世界や私、あなたを見ることが何より大事なの。
- 現実的に正しいことは正しい。それだけ。正しいというのは、価値観ではなく、科学的に証明できる因果関係のこと。
- 私はね、平等は嫌いだけど、対等なことって大事だと思うの。だから、男と女に限らず、あなたとわたしの「対等」を探しましょうよ。
- 女にとって、この世界はどう足掻いても不利な世の中なんだよ。綺麗でも、頭が良くても、ブスでも、馬鹿でも、男の前ではいつだって圧倒的不利なんだよ。何を言っているかって? 女は男に物理的に勝てないということだよ。だって、私、リング上じゃない、距離がある場所なら吉田沙保里に勝てるもん。
- 私が女なら、あなたに犯されたいと思うけど、私が男なら、あなたを犯したいとは思わない。
- やっぱり私は差別主義者だと思うんだけど、東京の地下鉄の中で大きな声で関西弁をしゃべるのは禁止すべきだと思うの。勘違いしないで、私は関西弁が好きなのよ。でもその恥のなさにまったくもって「日本人」を感じないのよ。それはとても耳障りなものになる。
- 君じゃなきゃならないだなんて、嫌だ。誰だっていい、誰だっていいから、目の前にいる君でいい、じゃなきゃ嫌だ。
- 誰とでもできることを特別な人とすること以外に、その「Special」感を味わうことなんてできないのよ。なんで、あなた方はそうやって誰とでもできないことをまずやろうとするのよ。その時点で、負けなのよ。この世界はね、酸化しながらしか生きていけないのよ。
- わかるって言っているものって全然わかっていない。わかると言ったものより、わからないと言ったものの方が、実際はわかっていることに近づいている。
- 「世間体は、冠婚葬祭に、親戚に在る」
- 「映画を撮るのではなく、私が映画だ」
- 強姦魔である僕が、女性である私を犯したことを肯定する。
- どんなものだろうが、圧倒的なものって格好いいのよ。
- 能力や運ではなく、すべてはその人の性格・性質によるところが大きいな。
- 私の理想の会話というのはね、わかり合いすぎて、逆に訳がわからなくなることなんだ。だから結局またわかりあえないねっていうのを未来永劫にやることなんだ。それが私の会話だ。自分の中でも相手の中でも何周もして、二人でひたすらに行き違えばいい。それが永遠だ。
- 今会っていない、連絡取っていない人は私の中では死んでいるの。「今」というのは、ここ1ヶ月だろう。ただ最近会っているだけではダメなの。条件としては、私が本気を出せる相手、そして負けたくないと思う相手かしら。相手にとって私がそうかは全く関係ないし、知らない。
- 座右の銘 「自ら選択し、責任を取る」
- 私個人としては、「言動全てが大衆受けしてたまるか」という気持ちがあります。
- 大衆に迎合する「怖れ」は物心ついた時からある。
- 私を差別主義者に仕立て上げるのは、紛れもなくあなただ。だとしたら、それは私にもブーメランのように返ってくるのだろうか。返ってこなくとも、私は私でそのブーメランを、最強のブーメランを、どんな時も想定しなくてはならない。
- 噓なら、いらない。それだけ。
- 「自分らの方が凄い」と私はいつだって思っている。基本的には「自分の方が凄い」なのだけど、今回は珍しく団体戦だったので。でも、同時に「自分(ら)の方が凄い」ことを疑わなくてはならない。私にそう言える自信があるのは、その場で、対峙している相手方の思いをほぼ完璧に理解しているからだ。
- 何をやってもいい。ただその時には「その言動全てに死ぬまで責任を取る」という覚悟が必要なだけである。
- 次元が違うことを、どう咎められるのだろうか。
- ツッコミは、聴衆の思いを代弁するという行為だと思う。となると、ボケ以外に対してツッコむのであれば、そのボケでないものをボケにしなくては必ずならない。もしくは、本当にそれがボケだったとするならば、やはり代弁になるはずなんだ。そこ(笑い)にはね、個人の感情なんてものはないのよ。
- ボケに関して言えば、それが完全に個人の感情から発されたものでも全く問題ない。ただしボケる人間には、これが「ツッコまれなかったら終わる」という恐怖心を持っていなくてはならない。もちろんセオリーとしては、だ。私個人としては全員を引かせて、黙らせるボケやツッコミが最上級のものと考える。
- 「頑張らなくていい」という情報は、安心をくれたり、心の支えになったりする。しかし、それをそう感じていい人間というのは、「常に頑張らなきゃならない」と思っている人間だけなような気が私はする。最初から、何もかも「頑張らなくていい」と思っている人間なんて大嫌いだ。簡単な方へ逃げるな。
- どんなに偉い人だって、どんなに頭のいい人だって、言葉にした時点で「負け」なのよ。それを理解できなくては、人前でしゃべる権利なんてないのよ。
- 人に信頼されないってこんなに悲しいんだね。私は本気で全てに対応してるのに、私の思う、真っ当な評価もされずに、差別主義者だ、と断定されるのは悲しくて、夜も眠れない。私はズルいけど、優しく人思いだと思っている。そして何よりフェアだ。感情より論理を優先するのは、何より感情が強いからだ。
- なぜ、だ。全部逆の意味で捉えられている気がする。こっちはプラスに捉えて、むしろそっちをマイナスに捉えるべきだろう。私ね、セオリーって大事にしているの。セオリーを知っているのなら、どう破ったってあなたのアレンジなのね、と観念するわ、いや、恐らく感動すると思うの。
- 相手に対して“よかれと思って”やったこたを相手が無視したり、それで機嫌を悪くしたりしたら、なぜ即キレてしまうのだろうか。それは「逆ギレ」なのよ。私にはわからない。私は相手に誕生日プレゼントをプレゼントする時だって毎度毎度“本当すみません”と思っている。
- 血縁関係のある人間でない、一番信頼している人間に対して、私は最大級の気遣いをする。それが私とあなたの間柄だ(愛だからだ)。
- どれ程ふにゃふにゃで赤ちゃんみたくなっている時でさえも、私の頭はフル回転している。そうでなく、そんな状態になるだなんて馬鹿のすることなのよ。私はどこまでいっても、私でありたいの。馬鹿な私は19歳の時に捨てた。いつでも自分は「私」に見張られていて、四六時中監視されている。
- 「頭が悪い」と女を評価する時に、男は必ず「言う事を聞かない」の意味で使ってはならないと思う。例え相手が男だろうが女だろうが、老人だろうが子供だろうが、誰だってわかることを何の思考もせずに間違えた時にだけ、それを使わなくてはならない。それが私の公平性だ。
- 「すっぴんの方が可愛いね」と言われるのが本当に嫌な人に、「すっぴんの方が可愛いね」と言う為に、そしてそれを最高にいいものだと思わせる為に生きている。比喩です。
- なぜ自身の行動すべて間違いだと思わずに生きていられるのかわからない。私はそういう人を相手にすると、疲弊しきってしまう。
- 「確かにある側面においては、わたしは男に犯されてる。でもね、半面、わたしは私という女をわたしが犯してると感じてるの。だから、その行為について一般的に言われているような、女だけが『奪われる』という認識は間違いなのかもしれないわね。だって、わたしはいつだってわたしを奪ってるのよ」
- ガムと煙草は唾で繋がっている。
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