何番がお好き? vol.67
- 私はたくさんのサインを出している。でもそれを拾うか拾わないかはあなた次第。
- いつだって、絶対的な見方と相対的な見方を持っていなくては、遠近感がでないのよ。そうでなきゃ世界を正しくは見れないと私は信じている。絵画の世界では、遠近法を取り入れたことがとんでもない革命だったわけでしょう。それとは違うのかもだけど、私にとっては、絶対と相対を両方駆使して世界や私、あなたを見ることが何より大事なの。
- 現実的に正しいことは正しい。それだけ。正しいというのは、価値観ではなく、科学的に証明できる因果関係のこと。
- 私はね、平等は嫌いだけど、対等なことって大事だと思うの。だから、男と女に限らず、あなたとわたしの「対等」を探しましょうよ。
- 女にとって、この世界はどう足掻いても不利な世の中なんだよ。綺麗でも、頭が良くても、ブスでも、馬鹿でも、男の前ではいつだって圧倒的不利なんだよ。何を言っているかって? 女は男に物理的に勝てないということだよ。だって、私、リング上じゃない、距離がある場所なら吉田沙保里に勝てるもん。
- 私が女なら、あなたに犯されたいと思うけど、私が男なら、あなたを犯したいとは思わない。
- やっぱり私は差別主義者だと思うんだけど、東京の地下鉄の中で大きな声で関西弁をしゃべるのは禁止すべきだと思うの。勘違いしないで、私は関西弁が好きなのよ。でもその恥のなさにまったくもって「日本人」を感じないのよ。それはとても耳障りなものになる。
- 君じゃなきゃならないだなんて、嫌だ。誰だっていい、誰だっていいから、目の前にいる君でいい、じゃなきゃ嫌だ。
- 誰とでもできることを特別な人とすること以外に、その「Special」感を味わうことなんてできないのよ。なんで、あなた方はそうやって誰とでもできないことをまずやろうとするのよ。その時点で、負けなのよ。この世界はね、酸化しながらしか生きていけないのよ。
- わかるって言っているものって全然わかっていない。わかると言ったものより、わからないと言ったものの方が、実際はわかっていることに近づいている。
- 「世間体は、冠婚葬祭に、親戚に在る」
- 「映画を撮るのではなく、私が映画だ」
- 強姦魔である僕が、女性である私を犯したことを肯定する。
- どんなものだろうが、圧倒的なものって格好いいのよ。
- 能力や運ではなく、すべてはその人の性格・性質によるところが大きいな。
- 私の理想の会話というのはね、わかり合いすぎて、逆に訳がわからなくなることなんだ。だから結局またわかりあえないねっていうのを未来永劫にやることなんだ。それが私の会話だ。自分の中でも相手の中でも何周もして、二人でひたすらに行き違えばいい。それが永遠だ。
- 今会っていない、連絡取っていない人は私の中では死んでいるの。「今」というのは、ここ1ヶ月だろう。ただ最近会っているだけではダメなの。条件としては、私が本気を出せる相手、そして負けたくないと思う相手かしら。相手にとって私がそうかは全く関係ないし、知らない。
- 座右の銘 「自ら選択し、責任を取る」
- 私個人としては、「言動全てが大衆受けしてたまるか」という気持ちがあります。
- 大衆に迎合する「怖れ」は物心ついた時からある。
- 私を差別主義者に仕立て上げるのは、紛れもなくあなただ。だとしたら、それは私にもブーメランのように返ってくるのだろうか。返ってこなくとも、私は私でそのブーメランを、最強のブーメランを、どんな時も想定しなくてはならない。
- 噓なら、いらない。それだけ。
- 「自分らの方が凄い」と私はいつだって思っている。基本的には「自分の方が凄い」なのだけど、今回は珍しく団体戦だったので。でも、同時に「自分(ら)の方が凄い」ことを疑わなくてはならない。私にそう言える自信があるのは、その場で、対峙している相手方の思いをほぼ完璧に理解しているからだ。
- 何をやってもいい。ただその時には「その言動全てに死ぬまで責任を取る」という覚悟が必要なだけである。
- 次元が違うことを、どう咎められるのだろうか。
- ツッコミは、聴衆の思いを代弁するという行為だと思う。となると、ボケ以外に対してツッコむのであれば、そのボケでないものをボケにしなくては必ずならない。もしくは、本当にそれがボケだったとするならば、やはり代弁になるはずなんだ。そこ(笑い)にはね、個人の感情なんてものはないのよ。
- ボケに関して言えば、それが完全に個人の感情から発されたものでも全く問題ない。ただしボケる人間には、これが「ツッコまれなかったら終わる」という恐怖心を持っていなくてはならない。もちろんセオリーとしては、だ。私個人としては全員を引かせて、黙らせるボケやツッコミが最上級のものと考える。
- 「頑張らなくていい」という情報は、安心をくれたり、心の支えになったりする。しかし、それをそう感じていい人間というのは、「常に頑張らなきゃならない」と思っている人間だけなような気が私はする。最初から、何もかも「頑張らなくていい」と思っている人間なんて大嫌いだ。簡単な方へ逃げるな。
- どんなに偉い人だって、どんなに頭のいい人だって、言葉にした時点で「負け」なのよ。それを理解できなくては、人前でしゃべる権利なんてないのよ。
- 人に信頼されないってこんなに悲しいんだね。私は本気で全てに対応してるのに、私の思う、真っ当な評価もされずに、差別主義者だ、と断定されるのは悲しくて、夜も眠れない。私はズルいけど、優しく人思いだと思っている。そして何よりフェアだ。感情より論理を優先するのは、何より感情が強いからだ。
- なぜ、だ。全部逆の意味で捉えられている気がする。こっちはプラスに捉えて、むしろそっちをマイナスに捉えるべきだろう。私ね、セオリーって大事にしているの。セオリーを知っているのなら、どう破ったってあなたのアレンジなのね、と観念するわ、いや、恐らく感動すると思うの。
- 相手に対して“よかれと思って”やったこたを相手が無視したり、それで機嫌を悪くしたりしたら、なぜ即キレてしまうのだろうか。それは「逆ギレ」なのよ。私にはわからない。私は相手に誕生日プレゼントをプレゼントする時だって毎度毎度“本当すみません”と思っている。
- 血縁関係のある人間でない、一番信頼している人間に対して、私は最大級の気遣いをする。それが私とあなたの間柄だ(愛だからだ)。
- どれ程ふにゃふにゃで赤ちゃんみたくなっている時でさえも、私の頭はフル回転している。そうでなく、そんな状態になるだなんて馬鹿のすることなのよ。私はどこまでいっても、私でありたいの。馬鹿な私は19歳の時に捨てた。いつでも自分は「私」に見張られていて、四六時中監視されている。
- 「頭が悪い」と女を評価する時に、男は必ず「言う事を聞かない」の意味で使ってはならないと思う。例え相手が男だろうが女だろうが、老人だろうが子供だろうが、誰だってわかることを何の思考もせずに間違えた時にだけ、それを使わなくてはならない。それが私の公平性だ。
- 「すっぴんの方が可愛いね」と言われるのが本当に嫌な人に、「すっぴんの方が可愛いね」と言う為に、そしてそれを最高にいいものだと思わせる為に生きている。比喩です。
- なぜ自身の行動すべて間違いだと思わずに生きていられるのかわからない。私はそういう人を相手にすると、疲弊しきってしまう。
- 「確かにある側面においては、わたしは男に犯されてる。でもね、半面、わたしは私という女をわたしが犯してると感じてるの。だから、その行為について一般的に言われているような、女だけが『奪われる』という認識は間違いなのかもしれないわね。だって、わたしはいつだってわたしを奪ってるのよ」
- ガムと煙草は唾で繋がっている。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.66
- 格好悪いというのは、老人に優しくないことでも、女の子とのデートで食事代をワリカンにすることでもない。自分の行動に確固たる意志がないことだ。私は、道徳的に悪いとされることをその人がしていても、何らおかしいと思わない。ただ、それがその人自身によって「回収」されるかどうかは問う。
- ちなみに私は、大変ノーマルです。目隠しし、腕を上げたノーブラタンクトップの女を椅子の上で、ノーパンでM字開脚させることがちょっと好きな、くらいです。
- 快楽主義者でない人間を信じない。そして愛する人のために己に課したタブーをやぶれ。
- 例えば、私が生まれてこのかた浮気をしたことがないのは、自身の快楽に対して真っ当に向き合っているからだ。不運にも命を落とす人間すべてを救うことのできない私に唯できることは、自らの快楽を追い求めることだ。つまりね、浮気するよりも浮気しないでいる方が快楽を感じるのよ。自尊心の問題なのよ。
- 女を好きなように弄くり回せる男が、海を越えたヨーロッパや中東で不運にも命を落とす人間について、親身になって考えられますか。考えられるとしたら、とんでもない変態だと思う。サイコパスだと思う。私は、自分で考えられる限り、サイコパスではない。物凄い普通の人なんだ。
- 世界情勢なんて知らないわよ。だって私は、私の半径2メートルくらいまでしか手出しできないんですもの。そう思わない?
- 君じゃなきゃならないだなんて、嫌だね。誰だっていい、誰だっていいから、目の前にいる君でいい、じゃなきゃ嫌だ。
- 刺激が欲しいか、「安定」が欲しいか。私が言いたいのは、刺激しか「安定」にならないということなの。「安定」ってまやかしなのよ。だって死んでいるということでしょう。私たちはね、毎秒変化している、それはある意味では刺激で、だから続けていく(生きていく)には、刺激(変化)しかないのよ。
- 自分が一番偉いという考え方が一番醜い。
- 自分でリストカットするところを想像すると、怖くて、気持ち悪くてできない人が多数だと思う。でもそれはある意味狂っている状態で、私たちは生きているんだから、多分そのくらいのことを他で平気でやっているのよ。だから精神病だからとかじゃなくてね、本気で生きているからできるってこともあると思うの。
- 敏感と純粋って反対言葉みたいね。私はそれを両方欲している。ほら、矛盾こそ真理という考え方もあるでしょう。
- 一般的に正しいことって本当にどうでも良くて、私にとっていつだって世界は「私とあなた」で構成されている。抽象概念なんてものはその場には持ち込めない。だから、「私とあなた」の間で通じる言葉を作りましょう。
- みんな信じないかもしれないけれど、運命の人って一人じゃないのよ。というか、ここまで言っていいものかわからないけれども、あなたにとっての他者は全てが運命の人なのよ。全てをもっと大事にしなさい。
- 恋人が異性と会うのは嫌だ。これは感情だ。そして甘えだ。権威・専制主義だ。感情の対となるものが理性なら、この時の理性とは、ガンガンに異性と会って、他の人と比べて私のことが本当にいいかどうか毎瞬間考えてもらって、それでもなお私がよくてこちらに戻ってくるなら、幸いだと考えることだ。
- その人の大好きなものが私の大嫌いなものだった場合、私は目の前でそれを批判する。その時に、まるで人格否定の様に捉える人って私、無理だわ。
- 恋人というのは、並々に注いだグラスを自分の魂だとして、それをその人に預けても構わないと思える人なんです。勿論それを零さない様に大事に持っていてもらっても構わないし、不注意だろうが意図的だろうが、それをひっくり返して零してしまっても-例えばそれで私の魂が消滅しても-構わないようなものなんです。
- わざとなの知ってる。でも動けない。それは私が私を殺すことになる。私は私でなくては必ずならない。だって、あなたも私が私でなくては意味がないでしょう。これに対する反論も全部承知してる。全部だ、全部。
- どの角度から見ても間違っていてもいいの、唯私を納得させて。
- いいものって説明できない。でもだから私たちは、それを説明しようと努力している。神の領域だとは思う。でもそこは、挑戦すべき価値のある場所なのよ。
- だから、紗栄子とか藤井リナが最強なんじゃないの?
- 表で完全に齟齬が生じ、どんな無茶苦茶で残酷なすれ違いをしても、裏で、心で、「おんなじ」ものをちゃんと通い合わせられるのなら、それはそれで大成功なのよ。あなたの「青」が私の「赤」かもしれないじゃない。そしてあなたは少し常軌を逸していて、青は止まれと思っていて、私は従来通り、赤は止まれと思っていたら、ちゃんと合致するのよ。
- 一歩動くと責任がつきまとって、私が動くたびにその借金が増える。そのうちね、それで死んじゃうと思うの。私だって自己破産したいわよ、本当は。だからね、私もこうしてやっと生きている。
- もう冬なの? 秋の命は短い、そしてその境目がないことで、そいつをよりくっきりとさせる。
- 好き嫌いや価値観が合うのではなく、その好き嫌いや価値観を導くまでの構造がしっかりと体系化されているか否かの方が大切。「本当」の会話をする上では、好き嫌いや価値観が異なっても何ら問題ない。それを知らずに「顔でなく内面」と言い、その内面も好き嫌いや価値観が合うというものを言うのでしょう。
- 価値観が合うというものを恋愛観において絶対正義にするということはだよ、要するにそういう人たちが一番否定する外見重視になるということに、なぜ気付かない。
- 私たち大人が、大人になることがとんでもなくつまらないものだと思っていたり、(子供に)教えたりしてはならないと思うのよね。私は毎秒進む毎にワクワクしているわよ。これは本当よ。どんな苦しい未来が待っているのか、と期待するのよ。
- むかーしむかし、五つ上くらいの女に「社会人を五年くらいやったらこう(いう考えに)なるのよ」と言われた。私が「本当につまらない、美しくない」と言った後だった。あれから何年か経ち、私は今こうして社会人をやっている。でもそんなつまらないことを考えたり言ったりはしていないと思う、ザマァ。
- 私の美学というのは、つまるところ宗教に相通ずる部分が相当あるのかもしれない。
- 例えば、私が言っているのはね、どうしてもヤりたい女がいるとして、その女とヤる為にはね、死ぬ思いで頑張って誘って、それからラブホテルに入りシャワーを浴びた後、まさに「今から」という時に、その女に銃で撃ち殺されなくてはならないのよ。
- 何かを差し出さなくては本当に欲しいものなんて絶対に手に入らない。
- 絶望とは、ないことではなく、あることがないことである。
- 人間は外見である。絶世の美男美女以外に生きている価値なんてない。少なくとも他者に「私」を提供しなければ、生きられない人間にとっては。
- 私は本当に選ばれたのだろうか。それとも本当はたまたまそこに居合わせただけなのだろうか。
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@pourguoi 秋人間
SNSのプロフィール写真について
日本人があれをやるということは、結局のところ、ハロウィンパーティーにしかならないのよね。
なぜ、フランスだけなのか。
フランスでの自爆テロについては哀しみ、ロシアの旅客機が墜落したことには哀しまないのか。
もうその時点で「平等」ではない。そんな人たちが「自由・平等・博愛」(トリコロール)の旗を振るのか。
私は何も考えずにプロフィール写真を変えている人が嫌なんです。本質を見極めようと努力しないお祭り人間が嫌いなんです。
SNS上だろうが、どこであっても他人様が見ている場所で「表現」するということには、責任が伴うんです。
はっきりと自分はフランス贔屓(かぶれ)なんです、と言って欲しい。
それならば、なんら矛盾しない。
そうでないのなら、とんでもない差別主義者だ。
トリコロールは、「自由・平等・博愛」を表す。
自由を掲げるならね、自爆テロも自由の一つでしょう。賞賛しなくとも認めなくてはならないわよね。
いつだって自分が殺される可能性がある社会こそが、あなたにとって自由な社会なのよ。
プロフィール写真をトリコロールにして、「反IS」を唱えるなら、結局、「やられたらやり返す」ということを唱えることになるわよね。
それこそが、あなた方の毛嫌いし、馬鹿にしている「反民主主義」そのものではないですか。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.65
- 会話って、その場の空気がほとんどを占めるから思い通りにはいかない。だけど、やっぱり一人でエゴイスティックに何かをつくるよりも、思い通りにいかなくとも二人で何かをつくる方が尊い。
- 自分のやっていることを話すことは恥ずかしい。自分の考えていることを話すのは恥ずかしくない。何故なら、目に見えないものだからだ。真実より事実の方が恥ずかしい。
- 本当にね、(二者間で起こるもので)感動したものってね、絶対に絶対に片方だけが感動するものじゃないのよ。それはね、両方とも同時に感動するものなのよ。これは理想論ではない。
- 人間が最大限の力を行使したとしても、人ひとり殺すのがやっとだと思わない? となるとよ、じゃ、あなたは誰を殺しますか、ということになるのよ。要するに誰に殺されたいですか、ということですよ。
- あなたが間違っているのなら、私はそのせいであなたが死んだとしても仕方がないと思うの。悲しくないと言うと、噓になるかもしれない。それでもね、死ななくてはならない瞬間はあると思うの。あなたは本当にちゃんと人間として「生」を選択した? 「生」を選択しない人間なら少なくとも「死」は選べよ。
- 自分より感度の低い者を見ると、嫌気がさす。しかし自分より感度の高い相手は私をどう見、感じているのだろうか。そんな人と出会ったことがないからわからない。いや、もしかすると私が感度が低いと判断した者の中に私を感度の低い者と判断している人がいるのかもしれない。否、そんなことは必ずない。
- 自分の弱みを隠すことに長けている人間にとっては、目の前の人間がウィークポイントだと思っている部分があるか、どこを隠したいのか、一目瞭然である。
- 女は男の愛に惚れて欲しいし,男は女の才能に惚れて欲しい.要するに其れは,ピアノを弾くのは女の役目ではなく,あくまで男の役目であって,その前で歌を歌うのが,女の本当の役目であるということ.
- 好きなことを仕事にすることをよしとする風潮があるが、好きなものを仕事にすると、仮にそれを嫌いになったとしても、つきまとう・つきまとわれることになる。となると、嫌いになったとしても続けたい(あるいは続けられる)ことを仕事にした方がいいと思う。私の場合、まだまだ本を嫌いにはなれませんが……。
- 嫌われたくないから、要するに好きだから距離を保って近付かないようにする人間もいるのよ。残る選択肢は、信じること、待つこと、自分を晒すことなのよ。
- 私って人からすると、とっても難しいらしいのだけど、確かに客観的に私を見ると偏屈だし、扱いづらいと思う。私は私のことをよく知っているから、扱い方がわかるのかしら。やっぱり違うと思うのよね。なんでそんなにわからないの? 人ってガン見していたら、大体パターンなんてつかめるでしょう。
- 私にはわからない、ネットの世界だろうと、現実? の世界だろうと挨拶なしに人と絡める人間が。そして何の知識もないのにノリだけで、人と接触しようと試みることが、また逃げ道を用意しておく、その卑怯な心意気がわからない。私は、真っ向勝負一本です。
- 私と話して、簡単に結論にたどりつけると思うなよ。
- あなたが勝手だと思う私は、私の勝手だと思うあなたよ。
- “ありがとう”と“ごめんね”は相手よりも多く言うのが、鉄則であります。
- 私は暗い、筈なんだ。人前で明るく振る舞うのは、それは広告なの、情報操作なの、プロパガンダなのよ。
- 誕生日を聞くってことは、恐らくは好きってことなのよ。
- 自分のコンプレックスを何の前触れもなく目の前の相手に報告するのは、私は汚いやり方だと思う。黙っていろ。それが不快だと決めるのは、他でもない目の前の相手なのだから。
- 自分を守るためだけにある方策をもって、何の落ち度もない目の前の相手を傷つけるというのは許されない。
- 私が父から教わったことの一つは、「荷物を持ったら、それを含め自分の身体だと思いなさい」である。
- 明日のことを今日やっていたら、死ぬ日には明日のことができないじゃないか。
- 人間にとって大事なものは、実力や運などでは決してない。結局はその性格がすべてを決めるのだ。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.64
- おかしなことに、としをとると段々と論理みたいなものが面倒になってくるのだと思う。そうやって大人は傲慢になっていくんでしょうね。論理を重んじてきた人間も経験と知識が増えると、ひとりよがりの判断をしてしまいがちである。私からすると自分が間違っていないと思う人間は既に死んでいるのですが。
- 実際に中出ししたいのではなく「中に出していいよ」というお許しが欲しいだけなんだ。そのお許しが出た瞬間、もう射精なんてどうでもいいでしょう。
- 私は別に噓をつかない聖者ではない。聖者が噓をつかない人のことを指すかもわからない。私はよく噓をつく。ただそれに対して責任は取るということなの。それだけよ。
- 私は基本的に一目惚れ主義なので、対象を見つけた瞬間にガン見します。「え? なに知り合い?」とばかりに見ます。そうしたら相手も自然と目を合わさざるを得ないでしょう。私の考えはいささか勝手だが、目が合ったら死んでも落とせると思っている。というか「落ちているよね?」顔をすれば勝てる。
- 世界はおにぎり化している。
- 目の前の人間が傷ついていることは蚊帳の外に置いといて、常識で人をけちょんけちょんにする人って本当にどういう正義を持っているのだろうか。それで左翼思想? 笑わせるわ。私は国粋主義者だけど、目の前の人間の痛みや悲しみはわかるつもりよ。
- 理性があるということは、理性を理性でねじふせることができるということよ。あなたのそれを理性というのであれば、とんだ不良品だわ。もう一度低賃金労働者のいる工場へ戻ればいいわよ。
- ホテルとかネットカフェとかそういう所で、自分の名前や住所、電話番号書くわよね? その時に本当の名前や住所、電話番号をみんな書くって本当なの? 私、絶対に書かないわよ。もうこれは根無し草の本能なのよ。
- 恋人に人を殺してきてと言われて、そこで常識という縛りが発動する人を私は好まない。すぐさま殺さなきゃと思えなきゃならない。逆に理性がないと思える。
- 筋を通した、論理的に正しいことはどの世界にも通じる、と私は信じている。だけど世界は決してそれだけで構成されていないことを理解している。でもだからこそ、論理的整合性というのは何にもまして大事なのよ。
- 喫煙所で出会った女と何気なく会話になり、都合よく誕生日の話になった。女の誕生日は今日だと言う。私はその女をこの後飲みに誘いホテルを取りバースデーケーキを用意し、丁寧にクンニをしセックスまでしなくてはならないという責任感に駆られる。冗談であり妄想である。
- 人に好かれるには、人に嫌われることを知らなくてはならない。
- もう単純に、射精こそエロス(生)。
- 寒いのが好きなのだけど、それは夏よりも人のことがよく見えるからである。
- 私はノーミスこそ素晴らしいと考えている。
- 本当にその人が欲しいのかどうかわからない人って私からするととても多くて、それが納得いかないのよ。命を差し出す気がないのなら、初めから一人で生きればいいじゃない。
- 私のことが欲しいのなら遠回りをして来て欲しいの。無理矢理にでも遠回りを。徒歩10分圏内の場所に向かうのでさえも飛行機を何回も乗り継いで来て欲しいの。私はね、そういう行為が無駄だとは全く思わないの。あなたの本気を見せて欲しいの。私はその分だけちゃんと私をあなたに差し上げるわ。
- 年上の女が年下の男をちゃんと可愛がれるかどうかは、その日の天気にかかっている。
- 誰とでもできることを特別な人とすること以外に、その「Special」感を味わうことなんてできないのよ。なんで、あなた方はそうやって誰とでもできないことをまずやろうとするのよ。その時点で、負けなのよ。この世界はね、酸化しながらしか生きていけないのよ。
- 「今日ね、めちゃくちゃ可愛い人に会ったんだよ」的なことを話してくる彼氏は浮気しない気がする。そういうのを聞いて嫌がったり、そういう話はしないでというスタンスを取る女の方がよっぽど浮気されると思う。コンビニで横に彼女がいながらエロ本を読む彼氏ほど浮気しない奴はいないと私は思う。
- 善でも悪でもどっちでも構わない。私はただ強烈な衝撃を受けたいの。本当にそれだけ。それは気持ちいいとか気持ちよくないだとか、いい悪いだとかという二元論で構成されている世界にはないもので、私が欲しいのはそういうものなの。全部が全部、「善悪の彼岸」ね。
- ミクロで見ると今やっているこれも、マクロで見る人生と全く同じ構図なのよ。それは私が表現したい美の一つである。
- そんなのね、自分の能力不足を呪うだけよ。私はね、どれほどまでに自分が出来ないかを知っている。這い上がるしかないのよ。自信なんてものはこれっぽっちもないのよ。努力はする。ただその道筋が見えないことにはどうにも動けないからね。今はもう少しゴールまでの道のりがどんなものなのか知りたい。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.63
- あるものでなく、「ない」ものを証明するということ。
- 全ては不完全でいて、とても脆いものだと思うのよね。だからそれらはある種の想像、あるいは妄想みたいなもので補って初めて完成するものなのよ。要するにそれ単体では成り立たないものに私は興味があるんだと思う。だけどその単体は常に完全を目指していなくては成り立たないの。
- 私は彼氏に私以外の女で抜いて欲しくないとは思わない。私を愛していることと私以外の女で抜くことには相関性がないからだ。むしろ私はあなたがどんなもので抜いているのかとても気になるし、知りたい。
- 私ってやっぱり強迫性障害みたい。でもある程度コントロールできている気もする。コントロールできない、落とし所を見つけられないとそのままラリっちゃうからね。そういう意味では、私はまだまだ諦めているのよ。私は病気になったとしても、気狂いピエロになったとしても諦めたくない。
- 編集者って面白くて、自分で何一つ文章を書けなくても、最悪日本語が全く読めなくてもね、最強の著者と校正者とブックデザイナーをパーティに揃えれば、最強の本が仕上がる。そういう意味では、全能感を味わえるね。編集者は営業に比べたら、現場の人だけど、最前線には矢張りいない。
- 私にとって平仮名は特別なの。ひらがなは特別なの。私は男の子だから。
- 私としては、不味い餃子ほど美味いものはない。
- 論理的整合性を持ち出さなきゃならないだなんて彼氏彼女間で言えば、とても寂しいわよね。だって恋人同士なら噓を本当に、本当を噓に出来るはずだから。その時には互いが盲目的に信じ合っていなくてはならない。でもそれができないならもう戦争になる。“論理”以外の共通次元がないのよ。
- 本当に純粋に人の為に何かをやるだなんてことを私はできない。あるいは母親なら子供に対してそういう気持ちを持つのかも知れないが、私にそれはない。だから何かをしてあげた時に、私はなるたけ気障にやる。そして最後に「格好つけるためにやったんだ」とネタばらしをする。そうでなきゃ耐えられない。
- 日本では昔から血ではなく「型」を重んじてきた。要するに「私」という自我ありきではなく、先ずその輪郭が、型があるだけなんだ。それを演じることで、「私」という自我が事後的に生きてくるという仕組み。
- 運命の相手に出会うために必要な最後のピースはタイミングなのよ。ほんのコンマ2秒遅くても、ダメなのよね。
- 考えても考えても相手の要望を満たせないのなら、ただ明るく振る舞うことくらいしかできない。
- 私はね、感情での判断は全て誤りであると思っているわけじゃないの。ただね、本当に感情で判断すべきことってそうないと思うのよ。だからね、私が言いたいのはね、本当に感情で判断する時のために、それまではせめて感情は押し殺して論理的に全てを解釈すべきだということなの。
- ほら、あなたと私の間にアドルフ・ヒトラーがいるでしょう。あなたにも見えるでしょう。これを含めたものが私たちなのよ。わかる?
- 私、私に対して過ちを犯す人に本当に死んで欲しいと思っていて、それは本気なんです。本当に死んで欲しいんです。今ここから飛び降りてぐちゃぐちゃになったとしても、ざまあとしか思いません。本当なんです。逆に言えば、私がそれをしたら、この場で自刃します。それはお約束できます。
- 日本人のよさは、他者と全く関係なく、これといった聖書も必要とせず、他の人間と共有すべき概念もなく、己と“神”との契約によってのみ生きることができるところです。でもこの日本国に生きていて、これぞ日本人だと思える人はほんの数人しか私は見たことがありません。
- だから三島由紀夫でしょう。絶対に太宰治じゃない。彼は何一つ回収しない。回収しなくてはならないことはわかっているところが、更に鬱病に拍車をかけている気がする。
- 極端な例だけど、公衆トイレでトイレットペーパーがなくなったら次の人の為に取り替えるのが一般常識よね。でも多くの馬鹿は取り替えたことによって、次の人に怒られたとしたら、常識を盾に怒る。私にはわからない。接客業を真剣にやったことがないんだ。な 次の人がトイレットペーパーを自分でセッティングしたい系の人だと気付けなかったのだろうかと、なぜ至らない己を蔑まないんだろうか。私にはやっぱりわからない。一般常識やルールが何の為に存在するのかわからない人、本質を見極めようとしない人とは一緒にいれない。
- みんなが加害者や被害者にならない為にルールがある。そこに細かい人間の機微を察するようなシステムは組み込まれていない。最低最悪の事態が起きないようにルールがある。赤信号を渡ってはならないのも、それだ。赤信号で渡って事故ったとしたら、法律など無視して車に乗った加害者に土下座すべきだ。
- 完璧なあなたが、私を後回しにすることに愛を感じる。
- 私はよく勘違いされるような言い方や書き方をする。でもそれは私がこれまでで習得した自己防衛の一つなの。他人を信じていなのではなく、他人を信じたいの。だからわかりにくく誤解されるようなものの言い方や書き方しかできないの。我儘だけど、その上で本質までたどり着いて汲み取ってくれなきゃ、私はあなたのことを信じないの。
- 私は知らないで幸せになるより、知って不幸になりたいの。悲しみと無なら悲しみを迷わず選ぶの。
- 直接的な返事がなくとも色んな形で暗に示唆されたりする。それをとらえられるかどうかは感度次第で、例えば、返事がない場合、自分の直前の発言に相手を不快にする言葉がなかったか疑う。それでもなんの落ち度がなかったら、待つしかない。その答えは形を変え、私の前に“ご褒美”として現れることもある。
- 私は大人になった。以前よりもほんの少しだけ待つことができるようになった。
- 私は意地を張り切ってから、待つタイプです。
- 現段階では判定不可能なものを無理矢理判定してきた私だが、もう一瞬だけ「待つ」ことの大切さを生きていて感じている。でもそれは究極の場面で選択できる人にしか訪れない“時間”である。選択もできない人が待つこととは異なる。
- 本当に分かり合えるのなら、言語による会話なんて必要でない。だから言語による会話というものは、我々人間にとって“おふざけ”でしかないのだ。私はその“おふざけ”が大好きなの。子供なんていらないのにするセックスだって、まさにそれでしょう。人間にとって、わざと繰り返すことだけが愛なのよ。
- なるべく簡素な文を書きたい。骨格しか残らないような。構造は変わらない。絵本に無駄がないとしたら、それが私にとって完璧な本だ。
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