「世界は無機質なものを欲した」
世界は無機質なものを欲した。
それが、いまや人間としての“進歩”なのだ。
動物と一線を画すということだ。
ラム肉やカモ肉の肉臭さは、現在の世では〈悪〉とされるだろう。それは結局、今の世からすると「美しくない」のだ。
飛行機は離陸の直前に物凄いスピードを出す、空を飛ぶために。
私は飛行機が揺れる度に手に汗を握る。
機長のアナウンスによれば、地上8200メートルほどを飛んでいるらしい。
特に、離陸後の並行飛行に至るまでの間の、直下型の揺れを感じる場合に、私の恐怖心はMAXになる。地から離れて生きることを嫌う。何故なら、私の力がまったくと言っていいほど及ばないからだ。
私は、私と物理的に繋がる地面を、そして地面と繋がる私を全面的に肯定して生きている。
水平飛行してからも、機体は何度も上下左右に揺れた。
たとえば、「整合性」とはこういうものだ。
肉臭いラム肉やカモ肉が好きだとしよう。
となると、この飛行機に乗ることもまた好きだ(ろう)ということだ。
私が飛行機に感じる違和感は、〈無機質〉でないというところだ。リアルで、生である点だ。
確かに、考え方によっては、フォルムといい、巨大な鉄の塊が空を飛ぶという点といい、何となく〈無機質〉のようなものも感じられる。
ただ、本当に飛行機が〈無機物〉なものであるのなら、乗りさえすれば、一切の揺れも、また私の感じる「違和感」というものも一切ないはずなのだ。
矢張り、〈無機質な〉世界に慣れ親しんだ私には、飛行機に乗ることが耐えられない。
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@pourguoi 秋人間
「一般常識の存在理由」
たとえば、公衆トイレを使いトイレットペーパーがなくなったとしたら、次の人のために取り替えるのが、一般常識よね。
でも多くの「馬鹿」は、それを取り替えたことによって、次の人に怒られたとしたら、常識を盾に怒るだろう。
私にはそれがわからない。
接客業を真剣にやったことがないんだ。
なぜ、次の人が“トイレットペーパーを自分でセッティングしたい系の人”だと気付けなかったのだろうか、という考えに至らなかった己を蔑まないんだろうか。
一般常識やルールが、何のために存在するのかがわからない人、本質を見極めようとしない人とはコミュニケーションが取れない。
みんなが加害者や被害者にならないためにルールがある。
そこに細かい人間の機微を察するようなシステムは組み込まれていない。
最低最悪の事態が起きないようにルールはあるんだ。
赤信号を渡ってはならないのも、そのためだ。
本来なら、赤信号を渡って事故ったとしたら、法律など無視して、車に乗った加害者に土下座すべきだ。
自分の選択した言動は、全て自分で回収しなくてはならない。
人間として、自分の選択に覚悟と責任を持たなくてはならない。
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「私のルール」
飲食店の喫煙席で煙草を吸う。
灰皿が依然として出てこないとしよう。
もちろん私には、自ら灰皿を取りに行くという選択肢もある。
ただ今回、灰を机の上に落としてしまったとしよう。
その後、店員が食べ物を運んで来た時に、机に灰が落ちているのを見てムッとした表情をしたとする。
それは、私からするとアウトだ!
それはね、間違いなの。
あなたは店員で、私は客。
でもこれは私にとって大した関係性ではない。
別に、私はクレーマーではない。
ただね、あなたはムッとするより以前に「(灰皿を)今すぐお持ちします」と言わなくてはならなった(でもそれさえも私への皮肉になるでしょうね)。
私が言いたいのはね、
初めにあなたが私に「お煙草はお吸いになられますか?」と聞いたってことなのよ。
責任を取りなさい、立場を知りなさい。
ということなのよ。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.62
- やっぱり私は一周していない人を信じられない。余裕があれば二、三周すべきだ。少なくとも一周はしていなくてはならない。選択肢が毎回一つしか浮かばないだなんて動物でしょう。種の保存の為だけにセックスしないのなら、何度も何度も死ぬほど考えて、それで自分の言動を自分が責任を持って決めなくちゃダメなのよ。
- もしかすると、私の言っていることがわかる人って物凄く少ないのかもしれない。私にもね、あなた方のように何も考えずに生きていた時期が長いことあったの。そうね、19歳くらいまで私は馬鹿だったの。その時に何が起きたって? 村上龍と内田春菊とソシュールに出逢ったのよ。それからはこの通り。
- もしかしたら男女で色の見え方が違うように、それぞれにこの世界の全てが違って見えるのかもしれない。だから私の言っていることがわかるだなんて人がいるのは、インチキなのよ。あるいはDoppelgängerなのよ。そんなの、ありえない。その勘違いを本気で信じさせてしまうのが恋でしょう。
- 全く同じものを同時に見たくない? それは長年連れ添ったから見えるものでも、教えて見られるようになるものでもない。個々人が積み上げてきたものの結果として表れるご褒美みたいなもので、その瞬間、互いが同じものを見ていることを確認しなくても、それが明らかなのよ。そういう場面にあなたも立ち会いたくない?
- みんなも私と同じように色んなものをよく見ていると思っていた。だから例えば、喫茶店で向かい合えば、大概の場合5分話したら、どこまでわかってくれるのか、互いが互いにわかるはずなの。表では普通に自己紹介をしているのに、裏ではあなたのことが好きです、と伝えているなんてこともしょっちゅうだ。
- そういう(私の言葉だけど)裏の会話が成り立たない人とは普通に表の会話の中で裏の会話もしなくてはならない。そもそも相手に裏の会話という概念がないのだから、表の会話の中で裏の会話ですが……という前置きをしなくては成り立たず、裏の会話なのだからと前置きをした時点で効力を失うのだけど。
- 差別主義者だと非難されてきたけど、ちゃんと分解して読み解いてくれれば、あなたの方が随分と差別的なことがわかると思うわ。私は目の前のどんな相手にも畏れを抱く。畏れという概念が、日本人には無くなってしまった。畏れとはね、「私が生きているだけで周りに迷惑をかけている」という考え方だ。
- 「お互い様」という言葉を日本人はよく使うが、最近は使い方が本来の使い方と大分かけ離れてしまっている気がする。こんな基本的なことを言わなくてはならないだなんて、義務教育とは何なのかと思えてしまうが、「お互い様」と言えるのは、迷惑をかけられた方と相場は決まっている。例外はほぼない。
- 私はね、インチキなものや偽物がダメだとは一切思わないの。そう判断する人って、要するに現在の一般常識やルール、法律を自分の基準にしますと宣言しているということよね。となるとだ、私とは違うルールで生きている。だから話し合うことはないのよ。だってあなたの基準からすると私はアウトだもの。
- 私は横にいる人が身体障害者だから舌打ちをしたんじゃないの。知能?に問題はないのに、私に対して(法律用語の)悪意があることがわかるから、舌打ちをするの。でもね、みんなはあの人は身体障害者に舌打ちする悪い奴だと判断する。全然構わないけど、私と絡まないでね。絶対に殺すからね。
- 私は横にいる人間が、たとえ身体障害者でなくとも悪意を感じたら舌打ちをします。私は差別をしません。ただ私の基準から漏れた人を殺すのみです。個別的自衛権です。私の自然権です。
- それまでに私は他人には三度注意喚起します。そして一度でも話したことがある人に関しては二度注意をします。それでも改善がない場合は故意、悪意だと判断します。そうなったら、最後。私は殺人マシーン。絶対にぶっ殺す。
- 私は心から奴隷になりたいのに、誰もが私をスレイブホルダーにさせる。
- 私はね、そのやり方がどれほどキツくても、それが真っ当なものなら、それを批判しない。真っ向から受け止める。馬鹿な私にはそれしかできない。
- 迷いのない、不屈の、自己満足・責任的な意志と毎瞬間監視され精査され続ける、そんなシステム。理論武装と肉体武装。光に晒され続けると闇になり、闇に包まれ続けると光になる、そういう物質。自己と他者が鏡の関係になり、産まれたばかりの赤ん坊が老婆を殺す様な生と死、食物連鎖の崩壊。その美。
- 私はね、みんなだってそうだけど、自分の感受性を信じるしか道がないのよ。だからってそれだけに頼らない。背景を知らずに映画を観ても本を読んでも意味がないの。徹底的に調べ上げて勉強した後に、自分の純粋な感受性を発揮できるように、すべて自分で整えなくてはならないのよ。それが人間なのよ。
- 私は極端なまでに相手本位なのよ。それが一周して自分本位に見えるのだろう。私からルール違反することは皆無だ。
- 騙すのは嫌だけど、私は私を騙しながら生きている。そうでなきゃ生きていけないから。もし仮に本気で「人間」をやっていいお達しがくるなり、環境が整うのなら、私は部屋から一歩も出ずにひたすら寝ながら-少々矛盾するかもしれないが-私は私であることを忘れ、「人間」を極めるわよ。そして死ぬの。
- 私ね、記憶力が尋常じゃないくらいにいいの。忘れている振りをすることだってよくあるくらいに。
- 自分のことは自分が一番わからない、わかっていないとかいう言説が存在するが、私はそんなもの一切信じない。私のことを私が一番知っていなくてはならない。少なくとも知ろうとしなくてはならない。そうでなきゃ他者にどれ程までに迷惑をかけることになるのか、それを想像するだけで血反吐が出る。
- 私という人間は本当にギリギリ生きていて、我ながらとんでもない比率で右脳と左脳を騙しながら、常に一歩を出していると思うわよ。普通に歩けているのは、本当は諦めでしかない。全てに諦めない場合、人間は部屋から一歩も出ずに干からびて死ぬだろう。そこまで考え込むのなら、人間だと私は思うわよ。
- こっちはな、10年以上「人間」やっているんですよ。
- 動物と人間なら、動物側にいる生き物が私にたてつこうとすること自体むちゃくちゃだ。それこそ野蛮だ。動物だから仕方がないと私は思えない。だってあなたは動物に対してかわいいという感情を持つのよね。もう矛盾するのよ。
- 私を縛れるのは唯、私。私はエゴイスティックでない。目の前の相手のルールをちゃんと理解しようとする。ただし、相手に規則性がないのは困る。こちらもルール無用と判断せざるを得ないからだ。他者と関わるなら少なくとも規則性を持っていなくてはならない。私は他者の趣味の問題をとやかく言わない。
- いわゆる一般的なルール、常識、道徳観等は私にとって線引きの論拠になり得ない。むしろそれを論証として話を進める人って人を馬鹿にしているわよね。そうすることによって相手だけでなく自分に対しても不要な“縛り”が発生することを知っているのだろうか。それなのにそういう輩は平気で自ら常識を破ったりする。
- 不思議なことよね。今生きているあなたは、まるで今生きている私みたい。全てがまるで違うはずなのに。
- 約束の時間に相手が来なかったことで怒る人ってわからない。なぜその時に、間に合うように会いに来てくれないくらいに自分に魅力がないんだと思えないんだろう。私にはわからない。そもそも口約束なんて願望でしかない。私は相手が約束の時間に来なくとも、バックれようとも相手に対してマイナス評価を下さない。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.61
- 私は理由なくキレない。決して愉快犯じゃない。本気で全てのことを毎秒ジャッジして生きている。
- 私みたいに生きていない人ばかりなんだろうな。そういう人たちを心底羨むよ。でもね、私はこうやってでしか生きることができないの。あなた方みたく自信満々で生きていないのよ。ごめんなさい人生なのよ。
- このままだと分離しちゃうよ。
- 本気で生きている人を馬鹿にしないで。
- 感情まんまなら、感情まんまでいいの。一貫してくれと言っているの。自分の選び取った言動を、一般論的セーフに持ち込んで、何のアウトもしていません顔をしないでください。あなたが生きているだけで、アウトなんです。私だって生きているだけでアウトなんです。だから最大限気を遣うんです。
- いつも思うのよね。私だけ一周しているの。あなたは周回遅れなの。だけど、あなたは私よりも前にいるから、周回遅れであることに気付かないの。私はね、誰と話す時でも、自分が周回遅れしていると思って、話しています。それでやっとイーヴンになるのよ。
- 私はこの命を、脳を、身体を少しずつ削って生きている。それが本当でなくとも、勘違いだとしても、私はそう感じて生きている。だからそうなの。私はね、本気で生きているの。だからね、別に放っておいてくれて構わないのよ。でもね、関わるのなら覚悟を持って。あなたもこの基準で生きてとは言わない。
- 歩く速度が同じじゃなきゃいけないだなんて馬鹿げている。何故スタスタ先に行く=心配していないという図式になるのか全くもってわからない。恋人というのは、裏切られているように見えたとしても、どこまでも信じ続けなくてはならない、その“最後通牒”をこの耳で聞くまでは。
- 誰を相手にしたって、それがたとえ家族でも、感情をあらわにし怒る時というのは、一度は完全な理性を経た時のみだ。私がそれをしなかった時にはあなたの目の前で死んでやるよ。
- こっちはね、命を懸けて、削って一秒一秒生きている。それを愚弄する対応をそこそこ近しい人がすることを私は許さない。そうするのは、私があなたに賭けているからだ。
- 理性のない人って女の人に限らず私は好きじゃないんです。たとえどんな事態に陥ったとしても、最後の最後まで、理性と感情なら理性を選び取る人間に幸せが訪れるものだと私は考えています。私はただ、如何なる場合においても理性を放棄する人間が好かんのです。
- どこまでもどこまでも理性のない人間はクズだ。理性をといていいのは、唯死ぬ時だ。そうでなければ、我々はね、人間ではなくなってしまうのよ。
- アーペーセーのプチスタンダードの27インチのデニムとディオールオムのサイズ42の白シャツがウォークインクローゼットにずらりと並べられていれば、それで私の一生の服は足ります。
- でもね、事実を知った上でやっと真実を語る権利が生じるのよ。
- 気を遣うということをね、真剣にやっている人ってほとんどいない。だって本来それは、目の前の相手に対する気遣いよね。その人を不快にさせない為のものなはずよね。でもいつしかあなた方はいわゆる常識を盾にして、本来の目的を忘れ、平気で無礼を働く。それならね、初めから気なんて遣わないでよ。
- もうここまで来てしまった私たちはね、一周まわって一般的な恋愛論にしか当てはまらなくなる。例えば、距離を埋めることに躍起になるのではなく、その距離を愛すこと、とかね。その後でその距離を縮めることを考えて実行に移すの。要するにいつもと逆のアプローチなのよ。先ずは自らを売るということ。
- 不思議なことに自分好みの、自分が欲しいと思うようなモノをつくるのは、いつだって自分以外の人間なんです。私ではね、本当に私が欲しいモノをつくれないのよ。変よね、それって、まるで私自身が私の本当に欲しいモノをわかっていないみたいじゃない。でもね、そうでなくとも私ではつくれないのよ。
- 他力本願なのかもしれないけれど、だからね、私がつくるモノがもしかしたら、私以外の誰かの側に置いておきたいモノになるかもしれない。偶然にも、それがあなたの心を突くモノになるかもしれない。そう信じているの。だから、私はつくることをやめないの。噓よ、私はただつくりたいの。
- 「粗茶ですが……」は、「あなたにとって粗茶かも知れませんが、出来る限り美味しく煎れました」の意。
- 格好良さや可愛さは後からついてくるものだけど美しさは必ず先に立つものだ。美しさとは、格好悪さと格好よさを、血反吐を吐きながら身をもって研究・実験してきた人間がとんでもない割合(黄金比)で、ブレンドしたものが形となって表れたものだ。
- 異性とするSかMかの話程くだらないものはない。
- 私はね、胡散臭い男が好きなの。だってね、胡散臭い男ほど信用できる男はいないと思うの。
- 刃をどちら側に向けているかが私の判断する“日本人”かどうかの境界線。刃を自身に向ける人が日本人で、相手に向ける人はそうでない。相手に刃を向けすぎているというご批判をよく頂くのですが、それは見当違いだと思われます。私が相手に刃を向ける時には、必ず先に私自身に向けているのですから。
- 私は相手にとっていいことをしたと思えたとしても、都度私を殺さんばかりに私を疑います。私に刃を向けこれでもかと思うほどグリグリその心臓付近をめがけ、その肉片をほじくり返します。私が今から相手に与えるその衝撃分よりも少しだけ重く、私を削ります。その上で、私は目の前の相手を糾弾します。
- 結局ね、想像力のない、話の通じない人は往々にして、“他者を一個人として認めます”論者なのね。だから自分も他者のほとんどすべてのことを寛容する代わりに他者にも寛容を求めるの。それはそれで素晴らしいと思う。でもね、その理論で他者が傷つくことに関してケアしないのって私には信じられないの。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.60
- 喉が痛くなるくらい、吐き気がするくらい重い煙草を吸って、私は私を慰めているの。要するにリストカットをしているのよ。そうでもしなければ耐えられないのよ。
- 私の言い方が差別的なのかもだけれど、話が通じる人になるためには特殊な能力が必要なのではない。自分の言動が相手にとってどれ程迷惑になるのか常に意識しない人を話の通じない人としている。要するにね、思慮の浅いピエロなの。私だってみんなに馬鹿にされながら生きてきた。だから頑張っているの。
- 結局ね、想像力のない人、話の通じない人は往々にして、他者を一個人として認めます論者なのね。だから自分も他者のほとんどすべてのことを寛容する代わりに他者にも寛容を求めるの。それはそれで素晴らしいと思う。でもね、その理論で他者が傷つくことに関してケアしないのって私には信じられないの。
- 私よく思うの。話の通じない人と話していると、確かにスタート位置とゴール位置で見ると私の方が遅れている。でもね、本当は私、先に一周してきているの。だからね、あなたは周回遅れなの。でもそういう人たちは私よりも前にいるという自信があるのよね。私だったらそんなに堂々と走れない。
- 指示語って素敵。だってなんだか、ほら二人だけの秘密みたいでしょう。それが何かだなんて他の人にはわからないのよ。
- 起こり得る全てのことに対して最低・最悪の事態を想定するとね、一歩も動けないのよ。一言も喋れないし、一つも動けないの。そういう経験をしたことがある? そういう経験をしたことがない人の言動ってすぐわかるの。一周していない人たちを私は信じていない。その上で私は一つ動いているのよ。信じて。
- 私は初めて会った人に-失礼なのかもしれないけれど-序盤に「ご両親はご健在?」と高確率で聞くのよ。失礼だとは思う。でもね、色んな人がいるでしょう、両親がいない人も亡くなられた人も。私はね、そこで失礼だと思われることより何より、その後の盛り上がった会話中に地雷を踏む方が恐ろしい。
- 私の言っている勝ち負けってどちらが本当に愛しているのかという意味だから。
- 逆を言えば、許すことができない人間が怒ったり感情をあらわにしてはならないと思う。私は怒らないで流すことができるから、怒るの。私は必ず感情だけで怒っていない。私が怒る、感情をあらわにする時、その前には私は私を殺さんばかりに疑い詰める。その上でやっと怒るのよ。これが愛なのに、誰もわからない。
- 許すというのは諦めるということでしょう。嫌なのに許すということでしょう。それで耐えきれなくなったらその関係を切るんでしょう。だったら初めから許して我慢する意味ないじゃん。無駄だと思うの。だから勝負は一瞬。出逢って目が合うか合わないかでもう決まっているの。目が合って直帰したい。
- 相手の長所を見出し、短所には目をつむる。果たしてそれが私たちのすることだろうか。私にはできない。先ずは真っ向勝負。その後でやっと諦めることができるの。現実では予想だにしないことが往々にして起こる。だからって何の準備もしない人って私嫌いなの。本気で準備して、現実がそれを超えてきてほしい。
- 寛容の精神なんてものはない。それは私が沢山の人に寛容されてきたからかもしれない。寛容されればされるほど相手にされていないという事実を、寛容され満足気な人たちは気付かない。私はね、無視されるくらいなら殴られたいの。何十倍にも復讐するからね。互いに認め合うって何よ。意味わからない。
- 要するに、目の前の相手になれなければ、あなたはここであなたを主張することなんて到底できないのよ。あなたという存在は目の前の相手によってたまたま浮き出された幻の様なものなのですから。
- 私は常識なんてもの大嫌いだけれども、社会で生きるためにはその国や地域独特の(暗黙の)ルールみたいなものを熟知しておかなけらばならない。その上でやっとそれをぶち破る権利が生じるのよ。
- 私の王子様はね、私が王子様を待っている間に「あなたがあなたの王子様を待つ間私もここで待っています」と言う“無顏”の人なのよ。
- 私たちはいつでも立場や相手との関係性を意識することを強いられている。でもそれが社会で生きるということでしょう。
- 本当に対等な関係なんて、この世界にはどこにもないんですから。
- 相手にどれほど迷惑がかかろうと、不快に思われようと、私は言う必要のないことも全部言ってしまう。それでなくてはなんの意味もないと思うからだ。ただ黙っているだけなら、ギリギリ噓ではないのにね。私、よーいドンの合図が聞こえたら、少し遅れてスタートするの。ちゃんとイーヴンにしたいの。
- 許容することを他人に強要するだなんて馬鹿げている。冗談じゃない。
- あれだけ鍛えているのだから、EXILEが「戦争反対」って訴えていたら結構面白くないですか。逆に「戦争へ行こう」を掲げるなら、私はEXILEもなかなか整合性とれているなと思うよ。
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@pourguoi 秋人間
何番がお好き? vol.59
- 自分が嫌いな人って、一つ視点を変えると、自分そのものだったりするから恐ろしいわよね。
- 私たちはそれをお花と呼んでいるけれどお花の本質ってどこにあるのかしら。“花”は結果でしかない。ならば種なのか、茎、葉、根なのか。あなたは薔薇の花や棘をむしり取った状態の薔薇を、ちゃんと「薔薇」として愛せますか。
- 人っ子ひとりいない夜の街を歩いていると、私は突然背の高い何かに前を遮られた。それは百合の花だった。百合って、ボルゾイのように美しい。白くて、鼻が長くて、独特の匂いがする。お見舞いで病院に持って行ってはいけない花らしいけど、そんなの、むしろ百合側からNGよね。あんなとこに誰が行くもんですか。
- アーティストの作品を批評する場合、自分も何かしらの作品を持っていなくてはならないと私は思っていて、ボコボコに批判される対象を持っていないというのは、なんとなく成り立たないと思えるのよね。私は批評する側と批評される側がイーヴンであって欲しいの。プレイヤーでない、批判対象を持たない人間に発言権はないのよ。
- この前、友人に一緒にマリファナをやりましょう、と言われたのね。でもね、素面で酔えない奴が酒を飲むなんて馬鹿げている様に、素面でトべない奴がトんでいるのも馬鹿げているのよ、私からするとね。お母さんに言えないようなことはやってはダメなのよ。
- 真にピュアであること、私が望むのはそういうものだ。何も知らないことによって生まれるピュアを私は信じない。盲目でこそ、ピュアが成り立つだなんて絶対に信じない。真にピュアな人は、全てを知っているにもかかわらず、初めて経験するかのように喜び、悲しみ、怒り、楽しめる人だ。
- 東京メトロ丸ノ内線で関西弁で喋る女性に関西弁が出る度にガンを飛ばしています、かなり厳し目に。ここは東京だ。私が大阪で受けた仕打ちを倍返しにしてやる、東京なめんな、べらんめえ。あのね、関西弁を喋ることが即悪ではない、電車内で大声で喋ることが問題なのだ。関西弁は鼻につくという認識を持つがいい。
- 例えばね、私の好きな人というのはね、観念論なのだけれども、私が待ちに待った超高級万年筆が届いたとするじゃない? それをね、なんの許可もなく先に勝手に使っていたとしても、挙句その万年筆をぶっ壊したとしても全然構わないと思える人なの。ぶっ壊れる過程を闇雲に信じられるのよ。
- いい小説というのは、どちらかだ。私に小説を書かせようとするか、無気力にさせて死ねと言ってくるものかだ。
- 私はひねくれているのか、黒人が白人に勝つ瞬間を夢見ていない。私が夢見ているのは、黒人街に育つ白人が黒人を差別する白人を打ち負かす瞬間だ。
- 単に本物ではなく、偽物が本物になる瞬間を私は“本物”としている。
- 小説はフィクションだから読まないという人間もいるそうだが、そういう人とは恐らく相容れない。ある物理学者も言ったが、私も想像できるすべてのものは現実に起こり得ると信じている。それどころか、そういう考え方が小さい頃からカラダに染み込んでいる。言葉にしたら陳腐だけど、私は“永遠”や“本物”が欲しいの。
- Yappariwatashishousetsukaninaru.
- 表現者の条件というと偉そうだが、表現者は寂しい存在でいなくてはならないと私は思う。それは周りと比べてということではなく、自分よがりの判断で一向に構わないのだが、私こそが世界で一番寂しい、否、誰と比べなくとも私は絶対的に寂しい、勘違いだとしてもそう思っている存在でなくてはならない。
- テーマは真逆の(矛盾する、邪魔になる)ものが並行して生きること。
- 私の美とは、煩わしくて面倒くさくて危険なものを側に置いておくという美のこと。
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@pourguoi 秋人間